§013 束の間の休息

『ウィズ~! これとか絶対に似合うよ! 着てごらんよ!』


 私とウィズはマリングラードに到着していた。

 そして、今、私達がいるのは――マリングラードで随一と言われる水着屋さんだ。


「クルミ! なぜこんな時期に水着屋さんなんですか! もっと他にやることがあるでしょう!」


 サマルトリア戦において重要な話があると嘘をついてウィズを連れてきたため、ウィズの機嫌は若干斜めだ。

 私がせっかく可愛い水着を見繕ってあげようとしているのに、見向きもしない。


『ウィズはわかってないな~。マリングラードは海に面してる地方都市だよ? こんなにも綺麗な海原が広がってるんだよ? そうしたら水着は絶対必要でしょ』


「クルミはマリングラードにバカンスに来たのですか? そんなことをしている暇があったら、作戦の復習とか、物資の調達とか、情報の分析とか、やることはいくらでもあるでしょう」


 私の説得も虚しく、更につんけんするウィズ。


 私達がマリングラードに到着したのは一週間ほど前だ。

 ウィズには公爵家の人脈を使って四方に手を尽くしてもらったが、結局連れてこられた手勢はウィズの私兵の百人ほど。

 そのため、私達は、私、ウィズ、ウィズの私兵百人で、バカ王子率いる正規の軍とは別動して、エディンビアラを勝利に導かなければならないのだ。


 私は知っている。

 サマルトリアが侵攻を開始するのが、一週間後の満潮の日であることを。


 バカ王子率いるエディンビアラ軍がマリングラードに到達すると思うように動けなくなるために、私達は可能な限り早めにマリングラードに前乗りし、地形の分析、罠の設置、必要物資の確保などを行ってきた。


 そして、先ほど、明日にはバカ王子率いるエディンビアラ軍がマリングラードに到達するという情報に接した。


 つまり、私達が自由に動けるのは、今日が最後となるのだ。


 ウィズはマリングラードに到着してからの一週間。

 寝る間も惜しんで情報収集をして、地形の調査をして、更には街の人に聞き込みまでしてどうにか作戦を成功させようと躍起になっていた。


 そんなウィズに息抜きをさせてあげたいと思ったから水着屋さんに……ううん、ここまで来たらそういう理屈っぽいのはやめよう。


 私は純粋にウィズとお出掛けをしたいと思った。

 友達のように、家族のように、そして、恋人のように。


 だからこそ、私は少しずるいかと思ったけど、その気持ちをウィズに伝える。


『ウィズは私とお出掛けするのは嫌だった?』


 その問いにウィズは少し気まずそうな表情を見せる。


「クルミ。その質問はずるいですよ。私はただ時と場所をわきまえましょうと言っているだけで……決して出掛けるのが嫌だとは……」


『うん。知ってる。私、ずるい子だよね。でもね、ずるいなりに言わせてほしいけど、私は今日という日に出来ることはやっておきたいと思ってるんだ』


 私がいつになく神妙な面持ちだったからか、ウィズは不機嫌な表情を収めて、私の方に向き直る。


『私はね、前の世界では不運な事故に遭って死んだの。前世の私にだってね、もちろん夢はあった。希望もあった。やりたいこともあった。でも、今日は忙しい。明日やればなんとかなるだろう。そう言って、どんどん先延ばしにして目の前のことばかりに集中しちゃうのが人間っていう生物なんだよ』


「…………」



『でも、死んでからわかった。いや、死んだからこそ教訓として学べたというべきかな。私はね……今世では後悔だけはしたくないんだ。別にこの戦争でウィズが死んじゃうとは思ってないよ? 私がついているんだからウィズは死なせない。でも……私だっていつまでここにいられるかわからないからさ……。バカ王子達が到着する前の今日くらいはウィズと一緒に楽しく過ごしたいと思ったんだ』


 私の伝え方が悪かったのだろうか。

 ウィズは心底悲しそうな顔をすると、私に縋るように一歩前に歩み出る。


「……クルミはいつか消えてしまうのですか?」


『え、あ~そういう意味じゃなくて、それは例え話だよ。急に消えたりしないから安心してよ』


 しかし、ウィズはかぶりを振った。


「クルミはこの世界に来た理由も、どうしてこのような状況になったのかもわからないとおっしゃっていました。人の死は突然訪れます。私だって今日死ぬかもしれないし、明日死ぬかも知れません。それなのに幽霊であるクルミがいつまでも私と一緒にいられる保証があるのですか」


『……それは』


 ウィズの熱の籠もった言葉に私は思わず口ごもる。


 正直、それはずっと思っていたことだった。

 私はいつまで今世にいられるのだろう……と。

 幽霊というのは、一般的には何かを成し遂げたら成仏してしまうもの。

 そうすると、もしかしたら、私達が世界最強の軍師になったら、私の夢が叶ったら、私は消えてしまうのではないかと。


 先ほどは急に消えたりしないと詭弁を述べたが、私が明日もウィズと一緒にいられる保証はどこにももないのだ。


 でも、そう考えたら、ウィズと離ればなれになるのが怖くて……私は考えるのを止めていた。


 私がスッと顔を上げると、ウィズは何かを思案するように瞑目している。

 そして、その表情は次第に歪み、瞳からは急に大粒の涙が流れ出していた。


「すみません。クルミが消えてしまうことを想像したら、とても怖くなりました……」


 まるで私が今すぐにでも消えてしまうかのように、声を震わせ、訴えかけるように言葉を紡ぐウィズ。


 人というのは自らがその境遇に陥らなければ学習しない生き物だ。

 私は一度「死」という経験をしているからこそ理解できるところがあるが、大切な人を現に失っていない人が、それを失った時の感情を想起するのはとても難しい。


 人は結局失うまではその大切さに気付けない愚かな生き物なのだ。


 でも、ウィズは人よりも少しだけ……先を見通す力に優れているから……その時の感情を想起できてしまったのだろう。


 でも、私はこの話には乗らない。乗りたくない。

 せっかくウィズと一緒にいられるなら、出来れば笑顔で過ごしたいと思うから。


『ごめんね、変な想像させて。私が言いたかったのは、別れは誰にでも平等。だけど、その別れを後悔しないようにすることはできると思ってるの。だから……私はウィズともっともっと一緒に思い出を作りたい。それは兵棋演習もそうだし、戦争もそうだけど、プライベートも含めてなの。もしかしたらウィズには私がちゃらんぽらんに見えているかもしれないけどさ……私は私なりに考えてる。だから、今日一日だけは私に付き合ってくれないかな? ずるい私からのお願い』


 その言葉を噛みしめるように、咀嚼するように頷くウィズ。

 本当はこんな空気にまでして伝えるつもりはなかったんだけど……言葉というものは伝えないと伝わらないところが多いものだ。


 だから私は敢えて言った。


 そして、しばしの沈黙の後、ウィズは視線をスッと上げた。


「わかりました。どうやら私も開戦が一週間後に迫っていて、心の余裕がなくなっていたようです。私が失敗したら何千の兵が死ぬと思うと気が気でなくて、そのような思いから先ほどの発言をさせていただきました。でも、クルミの話を聞いて、今日はむしろクルミと一緒に楽しく過ごすのが最適解だと思うに至りました」


 そこまで言うと、頬を赤らめて、口の端を上げるウィズ。

 

「なので、不躾でなければ――私に似合う水着を選んでもらってもよろしいですか?」


 私はその言葉に目を見開く。

 潤んだ瞳に、濡れた睫毛の美少女がこんなに恥じらいながらも私と買い物をすることを選んでくれた。

 それだけで私は多幸感でいっぱいだった。


 私はその気持ちを表現するかのように、精一杯の笑顔を作ってみせる。


『はい! 水着のご注文いただきました~!』


 そうして、私は絶対ウィズに似合うと思っていた水着を指さして言う。


「ウィズにはやっぱり水色が似合うと思うんだよね。ほら、ウィズの髪も水色じゃん? 清楚なお嬢様って感じがして私はすごい尊いと思う』


「こ、これはさすがに……もう少し肌を隠せる方が私は好みなのですが……」


 しかし、私が勧めた水着がビキニ型だったからか、しどろもどろになるウィズ。

 その反応が面白くて、もし、私に身体があったら無理矢理にでも試着室に連れ込んでいたと思う。


 そんなこんなで私とウィズは束の間の休息を満喫した。

 ただ、楽しい時間はあっという間に過ぎ……いよいよ決戦の日を迎えるのであった。







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