§009 共闘

 こうして幕を開けたグロリア嬢とウィズの兵棋演習。

 私は視覚を遮られているからこそ試されるウィズの考え方を学ぶつもりだった。


 しかし、慮外なことに――勝負は予想よりも早くついた。


「グロリア様! せっかくの機会ですし、次の対局は自分も混ぜてもらっていいッスか? 別に自分は国家軍師になりたいわけではないですが、ウィズリーゼ様に勝ったって言ったら親にも自慢できるじゃないッスか。ってあれ、もう終わって……え、」


 従者が盤面を見やって、同時に目を見開く。


「な、なんですかこれ。圧倒的じゃないですか……」


「……くっ、化け物が」


 そう。視覚阻害魔法程度では、ウィズの相手にもならなかったのだ。


 この二戦を通して、私はウィズの特徴を理解したつもりだ。


 ウィズがずば抜けているもの。

 それは――圧倒的な数学的センスだ。


 ウィズは持ち前の頭の良さで、盤面を計算して確率を導き出した上で、常に最善の手を繰り出しているのだ。

 おそらくウィズには兵棋演習の盤面は数字の塊に見えているのだろう。


 だからこそウィズにとっては物理的な盤面というのはあくまで記号にすぎず、視覚阻害状態という特殊な状況下においても、普段と変わることなく、手を進めることができた。


 本当にウィズは天才なんだ……。


 そんな月並みな感想しか出てこないほどに、ウィズの兵棋演習は完成されたものだった。


「これで気が済みましたか? それでは私はこれで失礼させていただきます」


 ウィズがグロリア嬢にお辞儀をして席を立とうしたそのとき――グロリア嬢がウィズの腕を掴んだ。


「お待ちなさい! サラ! 貴方もここに座って演習の準備をなさい!」


「え」


 ウィズは訳がわからず困惑の声を漏らす。


「一人じゃ相手にならないのなら二人でかかるしかないでしょう! 戦場でも数が多い方が圧倒的に有利! それは兵棋演習でも変わりありませんわ! さすがに化け物でも二人相手じゃ先ほどのようにはいかないでしょう!」


 私はその光景を見て嘆息する。

 この状況に陥るのはわかっていたことだった。

 もしかしたらウィズは圧倒的な力を見せつければ相手の心が折れると思っていたのかもしれないが、相手の目的は、何かしらの理由を付けてでもウィズに勝つこと。

 それが成就しなかったのだから、形振り構わずかかってくることは必然。

 元々これは勝負などではなく、ウィズを負けさせるためだけに存在する通過儀礼にすぎなかったのだから。


 だから私は止めたのに……。

 でも、もうウィズもわかったよね。この対局がどれほど無意味なものか。


 私は今度こそはと思って、少し語気を強めてウィズに言う。


『ウィズ! もう帰ろう! 一局付き合ってあげただけでも十分だよ!」


 その言葉に思わず私の方に視線を向けるウィズ。

 その瞳には既に闘志は宿っておらず、ウィズ自身もこの場からどう退散するかを思案しているような目だった。


 しかし、グロリア嬢の一言で状況は大きく変わる。


「やっぱり逃げるのですわね。血は争えないものですわね」


「は?」


 グロリア嬢に血相を変えて振り向くウィズ。


「あら、図星ですわね。全軍壊滅の中、。確か貴方の母上でしたわよね?」


「違う! 母は逃げ帰ったのではない! 決して生き延びられる戦場の中、次なる凄惨な結果を引き起こさないために相手の重要な機密情報を国に持ち帰ったんです!」


 華奢なウィズの身体から出たとは思えない怒声。

 私でも目を見開いてしまうほどの怒りの業火に、場は一時騒然となった。

 しかし、グロリア嬢がしゃくるようにウィズを見やると、睨み付けるように言う。


「ならば、自身の手で証明してみなさい。貴方はどんな状況であろうと決して逃げないのだということを」


 その一言にバンっと机を叩き、席に腰を下ろすウィズ。


「先行はお譲りします。母を愚弄したこと、後悔させてやりましょう」


 そんな明らかに冷静さを欠いているウィズをどうにか止めに入る私。


『バカウィズ! いい加減にしなさい! 貴方の母君の話は知らない! けど、ここで戦わないことは決して逃げることじゃないよ! 国を背負う軍師であるならばそれくらいの分別を付けなさい!』


「クルミ様は黙っててください!!」


「クルミ様?」


『ちょちょちょい、ウィズ。声出てる出てる』


 心の声か現実の声かがわからないほどにウィズは冷静さを欠いているのだ。

 しかし、既にグロリア嬢は一手目を打ち終えていた。同時にウィズの意識は深く深く対局の中へと潜っていく。


 私の声はもう届かない。私はウィズに触れることができない。

 私にはもう……この対局を止める術はなかった。


 私は静かにウィズの対局を見守る。


 序盤はどちらの盤面ともウィズの優勢。

 対局前は冷静さを欠いていたが、対局が進むにつれて持ち前の集中力で、普段の精神状態にまで戻しているようだ。


 しかし、さすがのウィズでも二人相手の、しかも視覚阻害魔法をかけられた状態での兵棋演習は厳しかったのだろう。


 局面が進むにつれて、完璧だったウィズの打ち筋にも陰りが見え出す。


「あらあら、常勝完璧なウィズリーゼ様。ここの軍が壊滅しちゃいますよ~」


 必死に盤上を想起するウィズをおちょくるように挑発してくるグロリア嬢。

 グロリア嬢と従者のサラでは、グロリア嬢の方が実力は格段に上で、現状、サラの盤面では依然としてウィズがリードしているように見えるが、グロリア嬢の盤面は完全なる劣勢に陥っていた。


 ウィズの額には脂汗がにじみ、俯いた彼女の唇からは強く噛みしめ過ぎたことによる流血が滴る。

 そして、それは次第に涙に変わり、ついには嗚咽を漏らし始めた。


「おやおや、ついに泣き始めましたわ。これではわたくしがいじめっ子みたいではないですか」


 泣き崩れるウィズを見て、言葉とは裏腹の歓喜の雄叫びを上げるグロリア嬢。

 もし私に実体があれば確実に右ストレートを見舞っているところだが、今の私ではどうすることもできない。


『ウィズ! ウィズ!』


 私はどうにかウィズに声を届けようと、必死に名前を呼び続けるが、私の声は彼女の耳には届かない。


 兵棋演習中のウィズは常人では考えられないほどの集中力を誇る。

 それはこの状況でも変わらないのだろう。


 彼女は今必死に記憶を手繰り、盤面を想起し、涙を流しながらも懸命に逆転の一手を考えているのだ。


 でも……と私は思う。


 ……ねぇ、ウィズ……そんなに頑張らなくてもいいんだよ。

 ……ウィズも私に言ってくれたじゃん。辛いなら辛いって言えばいいんだよ。


 私、言ったよね。一人で抱え込もうとせずに誰かに相談していこうって。


 この場には私しかいないんだから……私を頼ってよ。


 私は心の中でそう呟いて、触れられないことはわかっているけど、私は手をそっとウィズの肩に置いた。


 すると、どうしたことか。ウィズの身体がビクンと跳ね、俯いていた顔を上げたのだ。


 え、私の感触が伝わった?


 私がウィズに触れられるわけがないのだが、もしかしたらウィズは今、視覚阻害魔法をかけられているから、通常よりも五感が鋭敏になっているのかもしれない。


 ウィズが不思議そうにこちらを振り返る。


 そんなウィズを見て、私は見えていないことはわかっていても、精一杯の笑顔を湛えて、ウィズに声をかける。


『私はここにいるよ。だからさ、全てを背負いこもうとしないで。もっと私に頼ってよ』


「(……クルミ)」


『……悔しかったよね。母君を馬鹿にされた上で、視覚阻害の魔法をかけられているとはいえ、絶対的な自信のあった兵棋演習にも負ける。ウィズにとってこの上ない屈辱だよね。でもね、ウィズは負けないよ。世界最強の軍師である私が断言するんだから間違いない」


「(でも、もう私の頭の中はぐちゃぐちゃで、ここからどうやって挽回すれば……)」


『私がいるでしょ。ウィズはグロリア嬢の盤面を打って。私はサラの方を打つから。そうすればウィズなら大丈夫でしょ?』


「(でも、クルミ様は兵棋演習はやったことないって。見るのも今日が初めてとおっしゃっていたじゃないですか。初心者が勝てるほどサラ様は弱くないですよ)」


『うん。見るのも初めて、やるのも初めてだね。でもね、私はの盤面を間近で2回も見たんだよ? それに実際の戦場なら何千、何万と経験してる(ゲームだけど)。そんな私が、三下のモブキャラに負けるわけがないでしょ?」


「(クルミぃ)」


『さぁ、涙を拭いて。ウィズの圧倒的な力をみせてやりなさい。この勝負、二人で勝つよ!』


「(はい!)」


 この会話の10分後には私達は教室を後にしていた。

 残されたグロリア嬢と従者のサラは脱力して暗く俯き、その後聞いた話によると、二人は軍略学科を退学したとのことであった。




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