第2話 突然の出来事(2)


 金属と金属を強く擦り付けたような激しいブレーキ音が辺りに響く。


「おい! 人が飛び降りたぞ!」

「きゃああああっ、血がっ!」


(ん・・・・・・?)

 なんだが目上の方から騒がしい声が聞こえる。


「早く! 早く、来てくれ!」

「警察と救急車だ! ――って、もう死んでいるか・・・・・・っ!」

 何やら周囲では慌てた空気が漂っていた。

 数多の足音が聞こえ、その音は一向に止む気配が無い。


(そうだ・・・! 俺は電車に轢かれて――?)

 気が付いたように春樹はハッと目を開けた。


「――なっ?」

 目を開けると、目の前は真っ赤な海。

 いや、これは――血か。春樹はある違和感に気づく。

「視界が低い・・・・・・?」

 まるで、自分が線路に俯せになっているような視界だった。

 でも、俯せになっている身体的感覚はない。

 むしろ、この感覚は見上げているような感覚に近い。


「なんだ・・・?」

 何かがおかしい。

 辺りを見渡すと、視界の外側で茶色い毛のようなものが見えた。

 その茶色い毛はどうやら自分に密着しているようにも見える。


「んー? 猫でも抱き着いているのかな?」

 不思議に思い、視線でその先を辿る。


 辿ると犬の手のようなものがあり、試しに右手をぐーぱーしてみる。

 その犬の手もぐーぱーしている。もう一回やってみる。

 やっぱり、その手も同じ動きをする。


 ――って。


「んん? んー?」

 春樹は首を傾げる。

 とりあえず、その両手で顔を触ってみる。


 もふもふした感触がある。

 これは人間の頬の感触ではない。


 どうやら、今の俺は人間ではないのかもしれない。

 凄い夢だ。


「おい、こっちだ!」

 その声と共に大勢の人間がこっちへ向かってくる足音がした。


 どうしてか、いつもよりも音がよく聞こえる。

 遠くにいるはずの彼らの会話までも。

 透き通るように周囲の音が身体へ入っていく。


「とりあえず、移動するか――」

 いつまでも線路の中にいたら危険だ。

 春樹は逃げるようにこの場を去った。



「どんな夢だよ・・・・・・」

 線路から出た春樹はとぼとぼとホーム内を歩いていた。


 歩くというよりも、ハイハイをしているような感覚。

 もしかして、俺は四つん這いで歩いているのだろうか。

 でも、不思議と違和感がない。


 鏡張りの壁の前に辿り着くと、目の前には茶色い犬がいた。

「おー、こんなところに犬がいるのか。珍しいな、ホーム内に」

 春樹は面白半分でその犬に近づいていく。


 見た感じ、可愛らしく大人しそうに見える。

 どうして、犬がこんなところに。

 迷子とかだろうか。それもまた珍しいことだ。


「おおっ、懐っこいな」

 その犬も春樹と同じような歩幅で近づいていく。


 公園とかで会う犬は避けられていたが、今回の犬は違うようだ。


 次第にその距離は近づいていき――。


「いてっ」

 春樹は鏡に激突する。


「――って、あれ?」

 見上げると、犬の顔が目の前にある。


 瞬きをする。

 右手を挙げてみる。

 やっぱり、同じ動きをする。


 ――同じ動きをする。


「まさか――?」

 春樹は青ざめたような顔で驚いた。


 そう、彼は――。

 

 ――柴犬になっていたのだ。


「えええっ・・・・・・。柴犬って・・・・・・」

 鏡の前で春樹は引きつった顔で後ずさる。


 違和感の理由がやっとわかったが、どうも納得がいかない。


 すると、駆け足で走る音が聞こえた。

 次第にその音は近づいていく。


「駅員さん、あの犬です!」

 駆け足で歩く女性が春樹を見るなり、ビシッと指を差す。

 その後ろで大きな網を持った駅員が春樹へと向かって行く。


 春樹は咄嗟にテレビで見た

 『山から市街地に来てしまった野性動物を追う警察官』の姿を思い出した。

 確かあれくらいの網を持って走り回っていた記憶がある。


「やべっ!」


 そうだ。そうだとも。

 もしも、俺が犬だとしたら、こんなところにいては捕まってしまう。


 春樹は急いで改札口を通り、一目散に地上へと逃げていく。


 いったい何が起きたんだ――わん。


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