第25話 西南連合 その4
喉から掠れた息が漏れ出る。世界がちかちかと暗転しぐるぐると眩暈がした。
「手間かけさせやがって」
ニミリの声が聞こえる。
「あとは僕がやるよ。こいつは元々僕の獲物だ。牢獄で舐めた態度をとってきたんだ。一人絞めた程度じゃ、気が収まらない」
「俺ももう少し楽しみたかったんだがね。とすると俺は鬼サマお守(もり)かい?」
「ああ。ニミリには若頭をやるよ。素人に相手させとくのも厳しいしね」
俺は目を見開く。ぼやけた輪郭の焦点を合わす。グラムシが視線に気づいて愉快そうに唇を歪めた。
「惨めな有様だねえ、救世主君。囚人のお仲間にそっくりだよ」
グラムシは追想に浸るようにゆったりと続ける。
「君のお友達は、いたぶりがいが無くってねえ。簡単に死んじゃった。人間ってのはすぐ壊れる生き物だよねえ」
「お前……、誰の話をしている」
俺は呪い殺すような目でグラムシを睨みつける。
「嫌だなあ、もう分かっているだろ? 君の脱獄仲間のジンメル君だよ。もっとも、彼はとうとう塀の外を拝めなかったがね」
「貴様ッ! お前がジンメルを殺したのか!」
「殺すつもりはなかったんだよ? できるだけ穏便に済ませようとしたんだ。僕の手下がたまたま彼の怪しい素振を目撃してね。脱獄計画なら便乗してやろうと思ったんだ。二、三発小突けば白状するだろうと思ったけど存外強情でね。日時と方法は吐かせたけど、いくら痛めつけても協力者を言わない。おまけに生意気な眼で睨んでくるからね。そこでふと、そう言えばこいつは君の取り巻きだったなと思い出したんだ。そうしたらむらむらと怒りが湧いてきてね。つい本気で撲っちゃった。どれだけ打ち込んだか覚えてないけど」
グラムシは肩をすくめる。「気が付いたら死んでたよ」
「この……外道が……!」
俺は歯軋りして腕を伸ばし、踵を返しかけていたニミリの踝を掴んだ。
気力を奮って身を起こし、ニミリの身体を砂中に引きずり倒す。「そこで見ていろグラムシ、今からお前の大事な相方の身体を破壊してやる」俺は暴れるニミリの背中に素早く馬乗りになり、固く技をかけた。
「穏やかじゃないねえ」
グラムシは動じる様子が無い。一本、手始めに腕の尺骨を折る。ニミリの呻き声にもグラムシは鼻で息をひとつ吐いただけだった。俺は唇を噛む。嫌な気分だ。しかし躊躇いを見せれば揺さぶりにならない。指先に進み、五指を一息に砕く。ニミリが叫ぶ。
「ァァ兄貴! 見てねェで助けろ!」
「世話が焼けるね」
溜息をついたグラムシが一歩踏み出す。「くそッ」敵とは言え、直接に関係の無いニミリをこれ以上痛めつけるのは気が退けた。俺は咄嗟に
人質から技を外すとは思わなかったのだろう、グラムシの防御が遅れた。額から血が伝う。
「ッ痛ってェなぁあ!!」
血を見て亢奮したらしい、グラムシは語気を荒げた。同胞が傷つけられるよりも自分に危害が及ぶことの方が、よほど彼の勘に障るようだった。
「どうせ腕と指砕くならよォ」砂の上にニミリが手を這わせる。「両腕壊さにゃだめだろォ、│
砂の穴に仕込んでいたのだろう、ニミリは地中から鉄槌を掴み出し、俺の肩に叩きつけた。あっと叫んで俺は転がる。予知は届いていたが、先の悲鳴がよぎり、反撃を躊躇した。その隙をつかれてしまった。
激したグラムシが、猛然とのしかかってくる。二、三発と膝立ちのまま殴打を回避する。拳が背後の砂壁を軽々と吹き飛ばす。落ちていたナイフを拾い上げ、転がり避けながら奴の右足裏に突き刺す。「糞がッ!!!! 二度もやりやがった!!!!」グラムシの悪態を横にニミリの鉄槌を躱し、そのまま顔面を蹴り抜く。割れた色眼鏡宙を舞う。そのまま奴の袈裟の襟を掴み、足を払い、その体をグラムシ目掛けて投げつけた。
「邪魔だァ!!!」
グラムシは裏拳を放ち、全力でニミリを吹き飛ばした。そのまま周囲の猿を薙ぎ払いながら弾丸のように飛び込んでくる。「オラァア!!!!」
奴の体(たい)を紙一重で避け、中空に放り出されたニミリの鉄槌を掴み、グラムシの左膝に打ち込む。負傷した両脚には彼の巨体は重厚すぎた。支えを失ったグラムシの肉体はその勢いのまま砂壁に激突し、崩れた大量の砂の下敷きになって沈黙した。
荒く息を付き、流れる血を抑えながら、俺はユーメルヴィルの方を振り返った。
「おう、終わったか」最後の野風を殴り倒し、ユーメルヴィルは疲弊した様子で敵僧の山に腰を下ろした。「さすがにこの数はきつかったな!」
「こっちも片付いたところよ」
アテネが隣から声をかける。俺はそちらに目をやる。ユーメルヴィルにやられたのだろう、四肢の関節を外されて自由を封じられた鎧の男が、アテネの催眠で眠らされたところだった。
「くそっ……、兄貴……」
這々の体でニミリが呻く。思うように体が動かないようだ。だがグラムシのあの一撃を食らって気を保っていたのは流石というべきだろう。
「そのまま寝てろ、ニミリ。お前らの手勢は全滅、援軍が来てもこの有様を見れば戦意を失う。これ以上続けるのは無駄だ。損得勘定は得意だろ?」
「馬鹿言うなよ若頭クン……。まだ倒れるわけにゃいかねえ。俺が……、支えるんだ、兄貴を……」
「あいつは君を殴り飛ばしたんだぜ。それに、叫ぶ姿を黙って眺めてた。あいつに尽くす義理があるのか?」
俺の問いかけにニミリは皮肉な笑みを浮かべた。
「兄貴にはよォ……。もう俺しかいねェんだ。寂しい人だからよ……」
ニミリは目を伏せる。「あの頃の俺たちは……。西面じゃ敵無しの、これ以上ない2人組だった……。だが、ちょっとしたしくじりで兄貴が捕まった時、……面会に来た何期の家族が、ヒト族の囚人たちに無残に殺されて……、それから、兄貴はおかしくなっちまった」
「……! そういえばそのような事件が、ありましたな。まだカミラタが獄卒をやっていた頃の……」
ボアソナードが思い出したように言う。
「出所した兄貴は神を疑うようになった。信仰を捨て、故郷を捨て、俺たちを捨て……、南面に移り住んで、歯向かう奴がいなくなるまで暴れ回った。南面の族長になってからは、警備隊を襲撃するようになって、終いには手下諸共牢屋送りになった」
「……それで今に至るってわけか」
「そうだ。脱獄の噂を聞きつけた頃には、俺は西面のトップに立っていた。兄貴と肩を並べられる地位にいた。だからそいつを——」ニミリは鎧の兵を指さした。「——そいつを、予言の救世主として祭り上げ、西面と南面が手を組める下地を作ったんだ。緑衣の鬼は、南面の荒くれを束ねるのに都合の良い存在だった」
「鬼(ゴブリン)?」アテネが眉を顰めた。「緑衣の鬼(グリーン・ゴブリン)がどこにいるというの?」
「あんたの目の前にいるだろ、嬢ちゃん」ニミリは鎧を目で示して薄く笑った。
「……?」
ニミリの言葉に、ボアソナードがぴくりと反応する。「それはおかしいわ。緑衣の鬼はもっと小柄で、華奢な体型のはずよ。こいつは長身すぎるわ」アテネが戸惑ったように言う。
「アテネ殿の仰る通りです」ボアソナードがニミリに詰め寄る。「貴方は嘘を付いている。まさか……、あの緑衣の鬼(グリーン・ゴブリン)は、偽も――」
腐った魚を刻むような音がした。
それは一瞬の出来事だった。ボアソナードの言葉尻が曖昧な音の塊になって途切れる。
俺達は振り向く。紅い筋肉が見えた。ボアソナードの肩口が引き裂け、そこから筋繊維が露出している。その隙間から、小さな刃が覗く。砂上に斑点を描く血の雫が、刃先から零れている。赤く染まった革の手袋が、その柄をしなやかに握っている。
「っあ……」
ボアソナードは血と共にしゃがれた息を吹きだす。砂の上に、膝から崩れ落ちた。背後の人影が闇の中に浮かぶ。
雲間から漏れた月明かりが、その姿を照らし出す。暗い、深緑のローブに身を包んだ、子供のように小柄で瘦身の怪人。フードの奥で瞳が揺れる。それは、緑の宝石のように見えた。
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