第15話 雷落とし
ぱちりと乾いた音がして、梢が飛んでいった。一本、二本、カミラタの身に降りかかった枝々は一つ残らず電気の網に弾かれ、辺りに転がった。カミラタは鼻を鳴らし、こちらに雷電を放った。俺の頭を掠めて樹にぶち当たる。狙いも正確だ。
木がまた発火し始めたので、俺は慌ててアテネのもとへ戻る。
「何だあれは?」俺は小声で独り言ちる。
「雷の盾よ……。カミラタに物理攻撃は効かないわ。有名な話よ」
「くそ、聞いてないぞ……」
アテネの説明に俺は歯噛みした。陽動どころか目くらましにもならない。このままではジリ貧である。
「仕方ない」
アテネを連れて火の手から逃れながら、俺は呟く。煤煙で既に息苦しい。
「……俺がやつを惹きつける。その隙にお前は逃げろ」
アテネは荒い息をしながらこちらを見る。
「無理な相談じゃないこと……? この脚ではすぐに追いつかれるわ。いっそ私が囮に……」
「それこそ無理な相談だな」俺はきっぱりと断る。「君ひとり残していくわけにはいかない。それに、俺だけ生き残るのは……」
ジンメルたちの顔が脳裏にちらつく。俺は押し黙った。
カミラタは腕を組んで足踏みをしている。もう降伏まで秒読みといった体勢だ。だが油断なく周囲を窺っている。
「なら二手に別れて……、いや、それも難しいわね。さっき同時に二方向へ攻撃してたし……」
アテネがぶつぶつと呟く。もう火の手はそこまで迫ってきていた……。
「惜しかったですが、手数が足りませんでしたな」
肩を叩かれ、思わず叫びそうになる。ボアだった。別々に逃れていた彼が合流したということは、もう安全地帯もここ以外残っていないということだ。そしてその場所すらじわじわと狭まりつつある。
俺はボアの言葉に眉を顰める。
「手数……? 破りようがあるってことか? あの電磁膜を」
「教主殿の闘いを見てきましたので……」
ボアは煙を吸わぬよう腰を低く構えて続ける。
「我々教會は警備隊と幾度も衝突してきましてな……。特に福音派の長である教主殿はカミラタと幾度も手を合わせてきた。奴への攻撃手法も明確化されているわけです。奴の防御を破る方法は大きく分けて2つ。1つは電気を通さぬ物質を武器に戦うこと。警棒を鉄条網の支えに使い捨ててしまったのが痛いですな……。……もう1つは、カミラタの攻撃直後を狙うことです。充電の数瞬、やつの電気が切れる」
「なるほど……。つまりさっきの燃枝の投擲も、タイミングと量を調整すれば通用したのかもしれない、ということか」
「でもそう簡単に中(あ)たるかしら?」
アテネが咳き込みながら問う。ボアソナードも肯く。
「左様。奴は反射も回避能力もそれなりに高い。遠距離からの軽い攻撃だけで仕留めるのは難しい。やはり接近して確実に落とさなければならない。それが出来るのは……」
「俺だけか……」
アテネは機動力を奪われている。ボアソナードも武闘派ではなさそうだ。唯一猿の肉体を持つ俺だけが可能性があった。
「私が後方から援護射撃をします。やつがこちらに攻撃を仕掛けた直後を狙い、波状攻撃で止めを刺しましょう」
あたりが煙で薄暗くなってくる。俺は腕で口と鼻をふさぐ。茂の下を這い進み、カミラタの近くまで回り込む。
カミラタが汗を拭く、火影が堀の深い顔に陰影を作っている。
その顔面をめがけて、石礫が飛んでいった。ボアソナードの合図だ! カミラタはボアの大まかな位置を既に察していたのだろう、石弾を躱し、返す刀で雷の矢を放った。
ここだ! 俺は勢いよく叢を飛び出した。奴は今無防備、この一撃は決まる……。
両頬に振動を感じた。……一瞬遅れて、奴の掌底を食らったのだと理解する。カミラタが視界から消える。
「ましら殿! 下です!」
腹部が痺れ、身体が浮き上がる。俺の体は後ろ様に吹き飛ばされていた。
燃え尽きた木々をなぎ倒しながら、俺はアテネたちの手前まで転がった。
「ましらどッ……っ!」
稲妻が、駆け寄ってきたボアソナードの体を打ち抜く。
アテネが鈍い呼吸をしながら、満身の力で俺たちを木陰に引きずり込んだ。だが居場所は丸わかりだ。奴の次の攻撃で、俺たちは捕えられるだろう。火の熱と木の剥がれる音が間近に迫っている。
……俺はゆらりと立ち上がった。
「ほう、まだ立ってくるか」
俺の影を見てカミラタは感心したように言い、独り言ちる。「さっきの一撃は、充電が不完全だったようだな。衝撃重視の放射に切り替えたが……、まだ調整が甘いな」
「ましら」
アテネが引き留めるように俺の腕を掴む。俺は振り返る。
「アテネは、ボアソナードを頼む」
「どうする気?」
「まだ逃げ筋はある……。相討ち覚悟で突っこめば、奴に組み付くくらい出来るはずだ。放電を食うが、反射で筋肉が硬直し、かえって奴をホールド出来る」
「それじゃ、まるっきり自殺行為……」
アテネは俺の目を見て口をつぐむ。
「……わからないわ。どうしてそんな晴れやかな顔が出来るのかしら。……それに、こんな形で命を拾うなんて御免よ? 腐っても端くれでも貴族なの、私は」
「すまないな」
眉に皺をよせる。それでも、ここは譲れない。
「しかし名誉を重んじる者として、分かってほしい。俺は、生きた証を残さなきゃいけないんだ。……の代わりに……。英雄的功績、強く人々の心に残る様な最期……、そのために手段を選んではいけない……」
俺は自分に言い聞かせるように、粒々と呟く。「消火隊が来る前に終わらせよう」カミラタが最後の仕上げと言いたげに首を鳴らし、肩を回す。どうやら充電は終了間際のようだ。アテネは根負けしたように溜息をつき、ボアを担いで腰を上げた。
「蛮勇ではないようね」
「当たり前だ」
俺は汗を拭い、肯く。アテネはやれやれと首を振った。
「いいわ。恩人を身代わりに潰走なんて屈辱だけど……、今回ばかりは、貴方の誇りを尊重してあげる」
アテネは俺の腕に再び触れた。俺の体の痛み、疲労、その一切がすうっと消えていくのが分かった。俺は驚いてアテネの顔を見る。
「気を付けてね。苦痛を麻痺させているだけ。治癒されているわけじゃないわ。生憎私は、魔法使いじゃないからね」
「いや……、大分やりやすくなった。感謝するよ」
ふ、とアテネは小さく笑った。
「3度も助けられて、感謝までされたら敵わないわ」
俺はしゃがみ込み、茂みの根を掴んで引き上げる。アテネはいつでも駆けだせるように腰を落とした。
「骨は拾ってあげるわ」
「骨ならカミラタが拾ってくれるさ。……君らは川に逃げ込め。流れに乗れば追手を撒ける」
俺は燃え盛る茂みを両手一杯に抱え上げ、声を張る。「今だ、走れ!」
燃える草叢を目隠しにした特攻……、一見すれば破れかぶれだが、無策ではない。カミラタの意表をつくことで距離を縮める隙を作り、火炎と煙と茂みによって的を絞らせず電撃を回避する可能性を上げる……。
眼前が真っ白な電光に包まれた。同時に、凄まじい雷鳴。稲妻が直撃したのか? ……
そうではなかった。俺の体はまだ動いていた。だが視界と聴覚が完全に麻痺している。
閃光弾(スタングレネード)だ。カミラタは俺が何かしら仕掛けてくることを読んで、全方位・複数人に対応できる応用技を選んできたのだ。
ホワイトアウトした視界と、劈かれた耳、臭いは煙に紛れ、触覚は炎熱と痺れに侵されている。五感の不在……、それが俺を内なる感覚に深く没入させた。
俺は葉叢を放り出す。こうなっては荷物にしかならない。完全に身軽な状態で、俺は直感を頼りに猛進する。『雷音が、空気を裂いて咆哮する』。
刹那、俺は高く跳躍した。右眼の包帯をかなぐり捨てる。下方、霞む瞳の中に、カミラタの驚いた表情と放たれたばかりの電光が写る。俺は拳を固め、突撃の勢いのままに渾身の一撃を繰り出した。
カミラタの体が跳ね、川べりに勢いよく転がり込む。
俺は着地でバランスを崩す。カミラタは血の付いた唾を吐き捨てながら、即座に起き上がる。また指を立てる。距離がある。次が来る!
『脳内に、雷鳴が続けざまに轟く』。数秒先の未来の音……! 連射……。カミラタも本気だ。だが分かっていれば関係ない、俺は前方に駆け出しながら3度身を翻す。霹靂が空気を震わせる。だが雷爪は虚空を掻いた。「……馬鹿な!」
通常の聴覚が戻って来た。既に拳の間合いだった。俺の腕は虚を突かれたカミラタの胸を不器用に打ち抜いた。
入った……!
手応えも束の間、俺の顎にカミラタの靴がめり込む。
「っ脇が甘いぞ! ただの2発入れた程度、余韻に浸るなど百年早いわ!」
俺は大きくのけ反る。そうだ、まだ気は抜けない! 再び脳内の静寂に耳を澄ませる。俺はがむしゃらに拳を打ち込む。猿の筋力だ、闇雲に殴りつけていくだけでもそれなりに効くはずだ。カミラタは唸りながら打撃をいなす。膂力では圧倒的に勝っているはずなのに、格闘技術だけで獣の攻撃をヒトが捌き続けている……。正面からの打ち合いでも優位をとれない! どれほどの研鑽を積んできたというのか……。
カミラタが雄叫びを上げ、前方に巨大な紫電を放つ。が、音を察知した俺は既に
カミラタが低い呻き声を漏らし、膝を付く。
「諦めろカミラタ、お前の技はもう見切った……。俺には未来の音が聴こえている。お前がどれだけ不可避の稲妻を繰り出そうと、俺はその一手先に耳を澄ませているんだ」
カミラタの体は既に襤褸々々(ぼろぼろ)だった。立ち上がれるはずがない。猿の膂力で
「ほざけ、無法者が……!」カミラタが獣のような唸り声をあげる。唖然とする俺の目の前で、カミラタは立ち上がってみせた。ぎらぎらとした眼でこちらを睨みつける。凄まじい眼光。鬼気迫る気魄に、俺は思わず後退る。カミラタが不敵に笑う。
「警備隊を見くびるな……! 我々は法の番人なのだ……。我々が法を守り、法が市民を守る……。そこに猿族とヒトの別はない……。俺は、無法者の悲惨な末路を嫌という程見続けてきた。だからこれ以上、法の網目から零れていく者を見逃すわけにはいかないのだ……。法の外にいる者は、守ることが、できない……」
「まったく、大した奴だよ、あんたは……」俺は膝を叩き、後退しようとする足を踏み留めた。
「あんたの矜持には敬意を表する。……だが、俺にも譲れないものがあるんだ。悪いがここは、罷り通る……!」
俺は大地を蹴って駆けだす。カミラタが裂帛の気合と共に、全身から放電を始める。予測されようが関係ない、躱す空隙の無い全方位攻撃……! 感電に全身が痙攣する。——だが俺は勝鬨を上げ、光の中を突き進む。カミラタと視線がぶつかる。俺は吠える。……俺の拳が、光の輪を突き抜けた。
渾身の一撃が、顎から脳天に突き抜ける。
骨が軋み、カミラタの足が地を離れる。雷(いかづち)が空白の中に走り去っていく。打ち抜いた腕から、全身を微振動が駆けていった。カミラタの身体がきりもみのように宙を舞う。
俺は腕をぶらりと下げ、そのまま前方に倒れ伏した。勝敗の行方を確認する必要はなかった。数秒後に派手な水音の上がることを、俺は知っていた。
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