第3話 モルグ亭の殺人

「上の部屋にあがってください。カミラタ隊長が見えているので」

「カミラタ?」

「警備隊の特務隊長です。事件が起こると、遺体を運びに来るんです。検死も私の仕事なので。そこの御遺体と交換です」

 彼女は俺の隣の棺桶を指し示した。俺と一夜を共にした骸だ。

 見つかると面倒だから、という理由で、俺は警備隊の連中と鉢合わせないよう奥の階段に通された。

「カミラタさんはけっこうなお偉いさんなんですけど、大きな案件では現場の指揮も執る律儀な人なんです。ほんとは椅子の上で、監獄の運営方針や巡察の配備なんかを決定する役職の人なんですけどね」

「ってことは、今回は特別な事件ってことか?」

「詳しい事は、まだ分かりませんが」

 言いつつリリは肯く。

「しかし検死が外注とはね。君の他に、医者はいないのか?」

「いるにはいますよー。特に私の民族は多いみたいですね、代々。アリエスタ族の宿る家は病気知らずという言い伝えさえある程です」

「それじゃ、何故わざわざ君に頼むんだ?」

「大陸の知識を持ってますからね。この辺りでは草本学……、薬草による医術が一般的なんですが、私はそれ以外のアプローチも研究しているんです」

 リリの部屋は病室の消毒液の匂いとは違って、夏の草原めいた緑の香りがした。部屋は整頓されていて、生活感はあまり無い。書棚には医学書を初め難解そうな書物がぎっしりと並べてある。『失われた都市:古代兵器の継続調査』『第三猿人戦録』『王宮公領図』『新版 量子器官解剖図録』……。いくつか読めるタイトルもあるが、大半は謎の文様だ。外国の文字だろうか。

「興味あります?」

 リリは俺の肩越しに書棚を覗いた。

「手に取ってかまいませんよ。カミラタさんに見つからないように、大人しくしててくだされば」

 彼女は俺の唇を人差し指で押さえて悪戯っぽく笑うと、足音も静かに部屋を去っていった。

 俺は書棚から適当に一冊を抜き出して開いてみた。羊皮紙は日に焼けていたが、埃の積もってないところを見ると、ちゃんと掃除しているか、度々読み返しているようだ。

 それは警備隊の活動記録だった。何年か分の事件や事故の統計情報や概要が、大雑把にまとめられている。多分検死の参考に持っているんだろう。城下における猿族の検挙数・死亡事故数まで記録されている。何とはなしに眺めていて、おや、と俺は思った。この数値の遷移は……。

 読みふけっていると、階下で作業が始まったみたいだった。俺はドアを薄く開けて階下の様子を窺った。遺体を運びこむためだろう、警備隊が何人か来てさざめいている。

「……被害者はモルグ亭の奥方でしてな。そう、裏通りの……。おまけに亭主も行方不明……、下手人と思しき猿は逃亡中と来ています」

 古ぼけた暗褐色のコートに身を包んだ男が、布を掛けた担架の横に立ってリリに話しかけていた。歳はそれほど若くないが、老け込んでもいない。鋭い目つきや所作に、叩きあげのベテランの風格が漂っていた。

 あいつがカミラタか。俺は思った。

「逃走中ですか……。目撃情報は?」

 問いかけるとともに、リリの純白の髪が流れる。

「二階の窓から、逃亡する犯人のシルエットが目撃されとります。部屋にも野風やふうの毛がいくつか抜け落ちていた」

「宿泊客の線は?」

「たしかにあの宿は、猿族にも部屋を提供していますな。しかし犯行現場は、亭主の管理人室だった。獣毛も部屋の入口付近には無く、窓枠のあたりに散らばっていた。外部からの押し入りといったところでしょうな」

 布を払いのけるような衣擦れの音がした。安置室へ運び込む前に、簡単に遺体を検めているらしい。

「ふむ……。頸椎が折れていますね。直接の死因は窒息ではなくこちらでしょう。……それにしても、凄い握力ですね。首にくっきりと手形が残っています」

「何か分かりますか」

「そうですねー」

 少し沈黙があって、リリが言葉を続けた。

「手形の小ささを見るに、犯人の上背はそう大きくありませんねー。私の肩くらいでしょうか……。そして手形の角度と首の曲がり方からして、犯人は首を掴んで持ち上げ、そのまま片手で縊り殺しています。こんな怪力が出せるのは、そうですね、猿族かレオニカ人くらいでしょうか」

「怪力か。たしかに、部屋も無茶苦茶に荒らされていましたからな。嵐の過ぎ去った後の要だった」

「物盗りの犯行でしょうか」

「いや、金目のものに手は付けられていなかった。被害者が抵抗し、もみ合いになったのでしょう。気になるのは亭主の行方ですよ。誰も出ていく姿を見た者がないのです。1階の入り口付近では数名の宿泊人が夕食をとっていたが、その夜は誰もそこを出入りしなかったと言います。2階は、生身の人間が飛び降りるには少々高さがある。降りられないではないが、真下の地面に足跡や接地の後は無かった。忽然と姿を消したのです」

「犯人に連れ去られた可能性は?」

「まあ、ありえますな。しかし逃げ去る人影には、誰かを抱えている様子など無かったという証言です。まるで神隠し。緑衣の鬼(グリーン・ゴブリン)が一枚嚙んでいるという噂まである……」

「鬼ですか」リリが言葉を切る。「たしか……、連続誘拐犯の通り名でしたね。身代金を要求するでもなく、神隠しのように人々を連れ去って行くとか……。実在したんですか」

「なに、ただの風説ですよ。近頃失踪事件が多いですからな。誰かのせいにしたいわけだ。たしかに誘拐のプロなら、ここまで鮮やかな手口にも納得が行くが……」

 今度はカミラタが言葉を途切れさせた。「しかしどうでしょうな。巷の噂では、殺しはやらんというのが鬼の信条というではありませんか。もし本当に斯様な奴が潜んでいたとして……、下手人は別にいると考えるべきでしょう」

 首が疲れてきた。俺は体勢を変え、反対側の耳を扉に付ける。

「……大方、教會のやつらでしょう。集団なら誘拐もスムーズだし、特に北面の連中はたちが悪い」

「スペクトラさんは?」

「奴は中央の教主ですから、関わりないでしょう。原祀霊長教會の中では、穏健派ですしな……」

 二人は地下に降りていったのか、声は尻すぼみに聞こえなくなっていった。警備隊……。たしか森の周辺は奴らが巡回していると言っていた。特にカミラタは抜け目ない男のように見えた。

あいつらの目をかいくぐって行くのか。

 俺は壁に寄り掛かって考えた。「悪い魔法使い」を捕まえる……。分かりやすく、単純な目標と捉えていたが……、一筋縄では、いかなさそうだ。

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