収納の悩みとAI絵師の話

 昨日はあの後斜めにベッドに横たわってはいたが、その経緯がいまいち飛んでいる。電気つけっぱなしだったしな……確かにちゃんと寝た記憶がない。この辺が稼働限界らしい。

 ただ今日も今日とて外に出ていた。ただし今日は車移動がメイン。体力をどれだけ使ったかどうかが体のやられ具合のボーダーに関与するらしく、午前中から運ばれていたがそこそこ耐えた。後半再び出かける前に一度寝たが。数日連続で動き続けられるようになるのはいつの日か。


 前半。外出後半戦、先に東急ハンズに行っていた。理由は主に収納道具探しである。

 ここ数日、映画に行ったりその関連のものを買うので細々とした物が増えている。まあそれはいい。自分の意思でやっているし。ただ、細々しているのでせめてソートをしたい。よってここ数日缶バッジとかコースターとか、そういったものを整理するファイルや箱を探していた。後ついでに透明なポーチ。

 結果は玉砕である。ポーチもなんとか該当しそうなものは買ってみたが思った大きさではなかった。有識者にはきっと「多分それ買うアテは東急ハンズではないのでは?」とすぐわかるのだろうが、普段まともに整理に踏み切らないので完全に手探りである。

 行くべきは、この手にだんだん強くなりつつある100均か、コピック買うぶりに足を踏み入れるアニメイトか……心が折れたらAmazonに頼むのだろう。この辺は近々リベンジしようと思う。


 後半。やっぱり出かけているとTwitterを見ないのだが、チラリと見たタイミングでなんかまたAI関係が荒れていた。絵師、絵師なあ……。「絵を描ける人」と「絵師」は多分特にインターネット上では違う概念なのは理解するが、実は明確にどんな利点を伴っているのかを把握していない。ぼんやりとだが、絵師となると「周りからの評価を得ている人」のイメージがついて回っている気がしている。……ここで自分について考えると地獄の禅問答がまた始まってしまうので、絵師そのものの話はこの辺にしておく。

 自分は画像生成を少し触った程度、かつ生成が単語と形状の紐付けからの再構築としか理解していない上で、単純に一つ気になることがある。同じ学習モデルを使い別々の人が同じようなプロンプトで絵を生成した場合、「その人が生成した」という独自性はどこに宿るのだろうか。AIが使える人同士なら、その人ではなく「その人が使ったプロンプト」があればあとは回数をこなせば事足りるので、人に対する評価は風化しやすいと思っている。事実として「いい絵を生成する情報が欲しいだけで、生成したお前はいてもいなくてもいいんだよ」が言えてしまうのは酷であるが、仕組みを知れば知るほど「そんな事はない」を言うのは悩みがちになる。

 Twitterから見るとワンクリック先なので好き勝手な事を言うが、一般的な学習モデルの画像生成AIは、高性能コンパスのイメージが個人的にとても強い。とても綺麗に丸が描けるが、「上手く使えばみんな同じように丸が描けるので、丸を一つ描くだけでは評価の対象になりづらい」。描いた丸をさらに別の絵に取り込むなら加筆・素材利用に近くなるし、独特な丸を描いて欲しいとカスタマイズしたものは独自の絵柄のみをラーニングした学習モデルになると思う。でもこれができるにはやはりAIでの生成以外に自分も絵が描けなければならないあたり、今話題にあがりがちなAI絵師とはどうも少しズレているような。

 技術としてのAIはうまく役割分担をしてパートナーになりたいものだが、「道具をうまく使えること」と「道具を使った結果の生成物が素晴らしいこと」は微妙に褒める先が違う事は自覚する必要があるな、とは思う。自戒。


 では、明日も書けることを祈る。……ちょっと時間が遅いが。(描き終わり時刻、約午前3時半)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る