第31話 対峙
女の言う通り、数分で車は止まった。
それは、私が最初に排除してしまった可能性。あいつの、自宅。
「きっと自宅は最初に候補から外したんだろう? ただ、普通に考えれば自宅が最も楽ではないかい?」
それは、そうだ。しかし。
「あぁ、此処には花音ちゃん一人しか住んでいないのさ。両親は忙しくて出ずっぱり。一ヶ月に一度、顔を出しに来る程度かな? それでも殆どの場合、文字通り顔を見せるだけで直ぐに帰る。だから、好き勝手に出来るのだよ。監禁部屋だって、金さえ積めば造るのはどうにでもなる。金。金。金だよ。彼女の最大にして、最強の武器」
「ここに、透がっ……!」
直ぐにでも車から飛び出そうとする私へ、女が声を掛ける。後ろへと視線を向ける女は、いつの間にか煙を立てる紙巻きたばこを咥えていた。
「一応言っとくけどねえ。あの子、タフだよ。精神だけじゃなく、肉体もハイスペック。キミも大概だけど、そう簡単に行くとは思わない方がいい」
目の前の、三階建ての大きな家を見上げる。或いは。地下方面へと視線を落とす。
玄関前まで近づき、ドアへと耳を当てる。中からは何の音も聞こえない。
ふと、空を見上げる。
広がる曇天。今にも雨が降ってきそうな黒い雲が広がっている。
念の為ドアの取っ手に手を掛けて手前に引く。鍵は掛かっておらず、容易にそれは開いた。まるで誘われていようで、眉を顰める。しかし、進まないという選択肢は私に存在しない。
息を潜めて出来るだけ物音を立てないように、中へと入る。電気は点いておらず、目の前には薄暗く長い廊下。万一のことを想定して靴は脱がない。一歩、フローリング製の廊下に踏み入れる。きしり、と僅かに床が鳴った。
一番手前にある扉を開く。誰も使っていないのだろうか。部屋の中は酷く殺風景だった。シングルベッドが一つとクローゼットが一つ、それぞれ置いてあるだけ。それ以外には何も無い。
少し進むと、二階に上がるための階段。一先ず一階をクリアにしてから。直ぐにナイフを抜けるように右手をポケットに当てながら、一階を捜索していく。さすがに部屋数が多かった。
そして、とある部屋の奥。
そこには鉄製の扉があった。
直感が告げる、あそこだと。
あの向こうに、愛する
ドアノブを掴むと当然ながら鍵が掛かっている。こんなものは、障害でもなんでもない。
「ふっ……!!」
息を吐き、思い切り背中を鉄扉へとぶつける。硬いもの同士がぶつかる鈍い音が響き、たった一回だけで扉全体が凹む。二度、三度と繰り返せば、鍵だけでなく扉自体も大きく破損し、ゆっくりと軋んだ音を立てて道を開いた。半開きの扉の先は下り階段だった。灯りはなく、闇の中へと誘われているようだった。
もしあいつが家の中にいるのであれば、確実に今の音で異変へ気付く。一瞬、動きを止めるが周囲には何の物音も気配もない。それに疑念を覚えつつも、私は階段を駆け下りていく。
階段を下りた先も、闇の中に落ちていた。まだ、目は暗闇に慣れていない。手探りで壁に手を這わせると直ぐにスイッチらしきものが見つかった。迷わずに、それを押す。
「……っっ」
目の前の光景。私はあふれ出す感情に言葉を詰まらせ足を止める。
部屋は、鉄格子で仕切られていた。その先、壁際の一番奥に置かれた簡易的なベッドの上に水色の病院着の透の姿が見える。
一体、何をされたのか。遠目に見るだけでも、頭と片目に包帯が巻かれ、そこには黒ずんだ血が僅かに浮き出ている。片腕も、ギプスで覆われていた。あの様子では、恐らく、その衣服の下にも幾つもの傷があるのではないか。
「透っ……!」
一拍置いてから、私は駆け出した。その勢いのままに、再び体重を込めて背中を鉄格子の入口へとぶつける。走った勢いもあってか、一回で愛する弟とを隔てる邪魔者は消えた。直ぐにベッドに走り寄る。近くで見れば、より悲惨だ。ギプスで覆われた手は、指までもがしっかりと固定されている。もう片方の手も、指まで含めて全体を包帯で覆われていた。その指先に、血の滲んだ跡がある。そして、そして、何よりも、片方だけ見えるその瞳は光を失い、ただ天井を見つめているだけ。
一体、この数日の間に、何をされたというのか。
「戸賀崎、花音っ……」
憎悪。憤怒。あらゆる負の感情を詰め込んで、その名を呼ぶ。
透の瞳が、ゆっくりと私に向けられた。
「ねえ、さん……」
かさついた唇から、か細い声で私の名が呼ばれる。
そして、その視線は、私から、背後へと。
「うし、ろ」
「──バッカルコーン!!」
振り向く間もなく、場に似つかわしくない明るい声が響く。同時に、私の右側頭部を衝撃が襲った。痛みと衝撃に意識が飛びかけるのを何とか耐えて振り向くと、そこには右手に銀に煌めく金属製のバットを持ち、目を丸くした憎き姿があった。
「ありゃ、今ので気絶しないんだ。花音ちゃん、渾身のフルスイングだったんだけどなー」
今なら、届く。
私は思い切り右拳を突き出す。しかし、それはバックステップで容易に躱された。
「っと、予備動作大きすぎー。そんなテレフォンパンチじゃ、何回やっても当たんないよ」
私は舌打ちとともに、背後のポケットからナイフを抜き去る。
「わぉ! それってタクティカルナイフじゃーん! いいねぇ、いいねぇ!」
離された距離を詰めながら、私はナイフを水平に薙ぐ。しかし、不敵な笑み浮かべた少女は反対に此方側へと躊躇無く距離を詰め返し、顔を守るように立てた腕で受け止められ、ナイフが止まる。しかし、こちらは渾身の力を込めている。それを受け止めればどうなるか。相手の腕が軋む感覚。
「……っ! 腕の衝撃、つよぉ! 今のはヒビ入ったわー。でも、力があるだけで技術はないんだ。素人相手ならそれで済んだだろうけど、さっ!」
予備動作なく、近距離で振り上げられた膝が私の鳩尾を捉える。
「かはっ……」
痛みに耐えかねてその場に膝を付く。その姿を見て、相手は笑顔でくるくると回りながら私から距離を取った。今のは、追撃出来た。その表情や態度からも、この状況を
口端を何かが伝う感触がしてそれを手の甲で拭うと、そこには浅黒い血が付いていた。どうやら、先程の一撃で内臓が傷ついたようだ。
「ねぇねぇ、こんなので終わりじゃないよねぇ? まだまだやれるよねぇ?」
その目には怪しく紫の光が宿っていた。しかし、骨の軋む音は聞き間違いではなかったのだろう、右腕はだらりと下がっており、左手にバットを持っている。バットの先端部が引きずられて、カラカラと音を立てる。
まだ鳩尾への痛みと内臓の痛みで動けない私の前で、金属バットは真上に振り上げられ。
そして、歪んだ笑みと共に全力で振り下ろされた。
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