第29話 姉、或いは

「生活費の出処、気になったことない?」


 戸賀崎さんは、にこりと笑った。



 まだ、空も明るくなり始めた程度の早朝。

 私が想定した場所は、とある理由・・・・・で、多少なりとも土地勘のある場所。その場所は、以前よりも閑散としていて人の住んでいる気配はまばらだ。それもそのはずだろう。


 私は、高齢者しか住んでいないことが判明している家以外の場所を探った。一件、綺麗さを保った、大きめなログハウスを見つけた。2DK、といったところだろうか。中に人の気配はない。躊躇うことなく、その入口を蹴り飛ばすと、一瞬だけ軋みの音を発した丸太で出来た扉が、発泡スチロールか何かのように弾け飛ぶ。中に入るが、やはり誰もいない。木製のテーブルが置かれたキッチン。テーブルを指でなぞると、指先には埃がまとわりついていた。背後を振り返ると、蹴り飛ばされた扉によって舞っている埃が視界に入る。この家自体は、暫く誰も使っていないようだった。


 しかし、声に乗った僅かなノイズから地下にある可能性も存在する。私は外に出て、家の外周を回る。ここも暫く人の手が入っていないのか、雑草が生い茂っていた。ぐるりと一周回ってみたが、扉はおろか、刈り取られた跡すらない。認めたくは無かったが、どう考えても、空振りだった。


「……何処にいるの、透」


 鈴のような、僅かに震えた声が漏れる。


「あの、女っ……!」


 先程とは似つかない、怨嗟に満ちた呟き。憎しみの衝動。そして、その感情は捌け口を探して体内を暴れ回す。冷静に考えるためには、一先ず吐き出さねば。


 ふと、一つの民家が目に入った。よく言えば趣きのある、しかしてただの古臭い家。朝早くに目覚めたのか、灯り点くのが見えた。あそこは年老いた男性の一人暮らしだったはず。あんなことがあっても、此処から離れることが出来ない、他に行き場のない哀れな老人。


「あはっ……」


 その笑い声には狂気が満ちていた。迷うことなく、その家に向かって歩みを進めていく。


 ──嗚呼、やはり世界は、私の都合の良いように出来ている。



「酷い言い方かもだけど、透くんの家はお金持ちだった? 例えば子供の将来を見据えてたとしても、透くんが中学生の時点で貯蓄がそんなにあったと思う?」


「それは……」


 痛いところを、突かれて言葉に詰まる。気になったことは何度もある。けれど、姉さんに聞いてもはぐらかされるばかりだった。そう、一体、何処から。


「あ、心配しないで。体を売ってるとかそういうことはないから。きっと、あの趣味の悪いビデオ撮った時が初めてだったんじゃない?」


 一瞬、脳内を過ぎった想像を戸賀崎さんが打ち消した。安堵する。しかし、それなら姉さんは何処から。


「ねぇ、透くん。知ってる? 最近さ、この町で事件が起きてるの。少し間隔が空いてるけど、二件の殺人事件。どちらも老夫婦を狙ったもの。所謂、箪笥たんす貯金してる人なのかな? どっちも、鋭利な刃物で首の動脈を綺麗に切られた上に、ご丁寧に首の骨まで折られてる。えぐいことするよねぇ?」


 突然、話題が変わる。突然に。

 本当に突然に?

 いや、突然だ。そうに決まっている。

 この話題には、なんの意味もない。

 知っているかどうか尋ねられただけ。


 一つは、知っていた。ある朝のニュース。女子アナウンサーが淡々と語っていた。蘇りかける過去の光景。姉さんは直ぐにテレビを消した。僕のことを慮って。或いは、姉さんも思い出したくなかったのだろう。


 あんな悲惨な光景を。


 不意に、脳内にひびの入る音が響いた。次いで、呻き声を漏らしてしまうほどの強い頭痛が僕を襲い、頭を抱える。


「うっ……」


「どうしたの? ねぇねぇ、どうしたの?」


 戸賀崎さんのたのしそうな声もまた、脳内に響いて頭痛を加速させる。


 本当に、どうしたのか。

 何故、突然。

 何の理由があって。


「いいもの見せてあげるー。はい、どうぞー」


 戸賀崎さんが、部屋に入っていた時に持っていた紙を、僕にまるで卒業証書のように仰々しく差し出した。僕はそれを片手で受け取る。卒業証書と同じような厚紙。


「戸籍、謄本……?」


 僕は最上部に書かれた文字をそのまま読み上げた。何でこんなものを渡されたのか分からずに、首を傾げ、眉を顰めて戸賀崎さんを見上げる。


「もちろん、本物だよぉ? お金があれば、何でも出来るの。さぁ、よく、見て」


 その目には、くらい光が宿っている。

 言われるままに、僕は両手で持ったそれに視線を落とす。父の名前。母の名前。僕の名前。


「あ、れ……?」


 しかし、もう一つ、あるはずのものがない。無意識に両手に力が入り、紙面に皺が入る。僕は上下左右に視線を忙しなく動かす。


 ない。

 ない訳が、ないのに。

 そこに、あるはずのものが、無い。


「ねぇ」


 コツリ、と足音が近づく。


「透くんが姉さんって呼んでる人・・・・・・・・・・って、だぁれ?」



 あの日の記憶。

 

 姉さんが、僕を必死に守ってくれた記憶。


 その日は、雨が降っていた。

 僕は、リビングにいた。お父さんと一緒にリビングでテレビを見ていた。何が起きたのか、分からなかった。休日の夕方、チャイムの音が鳴った。玄関へと向かっていくお母さん。直後に、小さな悲鳴と転ぶ音。お父さんが立ち上がる。


 その後は、よく覚えていない。気づけば、お父さんもお母さんも血まみれになって倒れていた。首が、向いては行けない方向に曲がっていた。その目は光を失い、もう何も写してはいない。


「あぁ! あぁ……!!」


 鈴のように透き通った、しかして恍惚に塗れた声が上がる。


 僕の記憶。両手を広げ、僕に背を向けて守ってくれていた姉さん。しかし、その視線は、前方ではなく──


 ──僕に向けられていた。


「こんな、こんなにも可愛い子が、この世界にいるだなんて……!!」


 少女は、血塗れ・・・の両手を広げた。惚けた僕のことを、そのまま強く抱き締める。


「だ、ぁれ……?」


「あはっ! そう、そうなのね。そういうことなのね! うふふふふっ……」


 少女への、天啓。


 ──世界は、私に都合が良いように出来ている。


「……ねぇ、貴方のお名前は?」


「とお、る……」


「漢字はどう書くの?」


 優しげな声。


「とう、めい……」


「透。透。透。素敵な名前。……透はいま、辛いわよね。お父さんとお母さんを殺されちゃって」


 頭を、撫でられる。


「あっ、あああ……!」


「大丈夫よ、辛いことは忘れちゃえばいいの」


 抱き締める力が強くなる。血錆の臭いの中、桃のような香りが鼻腔を擽った。鼓動を感じる。強ばった心と体が、少しだけ緩む。

 力が緩まるのを感じると、両頬を優しく包まれた。そして、慈愛に満ちた瞳が目の前にあった。


「……透。愛しい透。私は貴方の味方よ。私が守るわ。だって私は、透のお姉ちゃん・・・・・・・だから」


「ねえ、さん……」


「そう、姉さんよ。いい子ね、透。さぁ、それ以外はもう、忘れてしまいなさい・・・・・・・・・・


 もう一度、抱きしめられる。温かいものが流れ込む感覚がした。脳内に靄がかかる。視界がぼやけ、薄れ始める。


「……今は休むのよ、透。ゆっくりと……」





 少女は、力の抜けた少年の体を抱きしめ、首筋に鼻を近付ける。その甘いミルクのような香りを存分に味わい、歓喜に打ち震えた。



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