第12話 邂逅

 夏休みが明けて一週間が経った日曜日。まだ気温が高いとはいえ綺麗な青空だったので、私は散歩に出かけることにした。

 特にコーデは気にしない。ただ、行き先は決まっていた。ならば、と水色のワンピースを着た。気取って麦わら帽子なんかも被ってみる。私くらいの美少女ともなれば、何だって似合うものなのだから。


「わぁ、いい天気だなぁ」


 晴天の下、改めて頭上を見上げて呟いた。私は青空が大好きだった。冬の雲ひとつない澄み切った空も好きだが、夏の入道雲がそびえ立つ空はもっと好きだった。蝉の鳴き声も相まって、生命の息吹を感じる。それが、好きだった。

 九月に入ったとはいえ、まだまだ気温は高く夏空は広がる。自然と笑顔を浮かべながら目的地に向かって歩みを進めていった。


 彼の家は、学校を挟んで反対側だ。歩けば片道四十分程度。まだ三十度を超える残暑の中の散歩としては、少々長いのかもしれない。いくら帽子を被っていても熱中症の危険はあるために、道中の自動販売機で冷たい水を買って、こくりと飲む。やや乾いた喉が潤っていく感覚にも、生を実感した。

 そう、生を感じる。命を感じる。それが私にとってのよろこびなのだ。


「やっほー。──あ、ごめん!ちょっと用事があってさ。また今度誘ってよー」


 途中、クラスメイトとすれ違って笑顔で片手を振った。どうやらこれからカラオケに行くらしい。当然のように私も誘われたが、眉を下げてやんわりと断りを入れた。カラオケだって楽しい、歌うのだって生きているのを感じるから。けど、目下の楽しみはそれではないのだ。


「ふぅ……」


 目的地に着く頃にはさすがに汗が滲んでいた。こんな汗ばんだ状態でもし遭遇したらと思うと気が気でなく、ハンカチで顔周りや腕に滲んだ汗を拭うと共に、あからさまにならないよう軽く香水を掛けておく。爽やかな柑橘系の香り。夏にはよく合う。尤も、例え重めの香りを纏ったとしても私であれば問題は無いのだろうが。


「ふんふんふーん」


 この角を曲がれば彼の家だ。自然と足取りは軽くなり半ば無意識に鼻歌を奏でながら向かった。

 さすがに、以前のように偶然彼が家の前に出ていることはなかった。


 今は家にいるのだろうか?

 突然訪ねたらどんな表情を見せてくれるだろうか?


 そんな悪戯めいたことを考えながら二階にある彼の部屋を見つめつつ、ゆっくりと歩いていく。


「あ、ごめんなさい」


 彼の部屋にばかり注視していたからだろう。アパートの二階に上がる階段へ近づいた所で、反対側から向かってきている人影に気づき、その足取りから此処に住んでいる人なのだろうと判断すれば頭を軽く下げて道を譲る。


「……貴女は」


 相手の足が止まり、透き通った綺麗な声が耳に届く。先程まで興味がなかったために顔は見ていなかったが、小首を傾げて視線を向けてみれば、同年代の中では比較的身長の高い私とほぼ同じくらい、艶やかな黒髪とすらりとした体躯。買い物帰りなのだろう、スーパーのレジ袋を片手に下げた綺麗な女性だった。

 あぁ、と心の中で頷く。例え顔立ちが似ていなくとも、私はこの人物を知っているのだから。


「三嶋くんのお姉さんですよね? こんにちは! 私はクラスメイトの戸——」


「——戸賀崎花音」


 にっこりと笑みを浮かべて自己紹介をしようとして、遮られてしまった。

 まぁ、知られていても不思議ではないだろう。我ながら知名度の高い存在なのだから。

 それにしても、先ほどどいい、今といい、言葉尻にはどうにも嫌悪感のような、何処か棘が混じっている感覚を受ける。


「……あれ? なんか私嫌われてますぅ?」


「ええ、もちろん」


 あっさりと肯定されてしまっては、最早苦笑いを浮かべる他なかった。私はさしずめ『可愛い弟に近づく雌猫』といったところだろうか。

 お姉さんは、何気なさを装ってレジ袋を左手に持ち、体の右側を僅かに引いた。Tシャツにジーンズというラフな服装。右手は体の後ろに隠れている。

 私は、嗜み程度ではあるが、何かあった時のためにある程度の護身術を身に着けている。故に、こちらも何気なさを装って前を向いたまま一歩後ろに距離を取る。


「透なら出かけているわよ、もし居ても会わせはしないけれど」


「やだなー、お姉さん。私はただ散歩してただけですってばー」


「その呼び方、止めてくれる? 馴れ馴れしい」


 互いに視線を交錯させる。私は敵意がないことをアピールするために人懐っこい笑顔を作ってみるも、対するお姉さんは普段は優しげであろう目を鋭く細め、冷たく言い放つ。誰にでも優しい女神、って噂だけれども、むしろ死神ではないか。実際、その方が正確ではあるのだろうが。

 この状況はあまり喜ばしいものではなかった。一度くらいは会いたかったが、既にこちらを知られていて、少なくとも嫌悪感を持たれている、それだけ分かればもう十分だ。


「と、いうわけで私は行きますねー。ではではー」


 とんっ、と跳ねるようにお姉さんから距離を取り、にこやかな笑みを崩さずにひらひらと片手を振ると、そのまま来た道をゆっくりと戻った。振り向きはしないが、背後から視線は感じる。結局、私が角を曲がるまでその視線が途切れることはなかった。


「ひえー……怖かった。さっすが普通の人とは雰囲気違うなぁ……」


 いつの間にか、鳥肌が立っていた。うだるような暑さにも関わらず、ぶるりと競りあがってきた寒気に両手で自らの身を抱く。一応、いつかするはずだった目的は完了。状況は良いとはいえないが、予想の範囲内。

 私は散歩を終えて、家路につく。




「…………」


 あいつが角を曲がっていくのを睨み付けながら、ズボンの後ろポケットに回した手を放す。今日も暑い。夕飯は、透の好物である冷やし中華にでもしようか。

 私は小さく息を零すと二階への階段をゆっくりと登り始めた。

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