第12話

 時間は少し遡り……。

 カルラとアンが村人と一緒に村の中へと姿を消すのをヨハンは遠くから見守っていた。

「アンタでもそんな顔するんだな」

 カルラの後ろ姿が見えなくなるまで見つめていると横から聞き慣れた声がした。

「どんな顔ですか、シェイド」

「やめろよ。お嬢様は近くにいないんだから猫を被る必要もないだろう?」

 心底嫌そうにシェイドは眉を顰めて吐くような仕草をする。とても侯爵家の従者とは思えない態度に頭が痛そうに首を左右に振る。そして小さくため息を漏らす。

「僕は君こそ、嘘でも良いから猫を被るべきだと思っているよ」

「お嬢様にフラれたヨハン様のこの後のご予定はなんでしょうか……ってか?」

「シェイド」

「冗談だろ?少しは余裕持てって」

 おどけたような口調で話しながらシェイドはヨハンの肩を組む。今度はヨハンが嫌そうに顔を歪めたが、すぐに笑顔に戻る。

「その笑顔だ。アンタ、それ全く似合ってないぜ。毎回見るたびに気持ち悪くてしょうがない」

 また吐くような仕草をする。それでもヨハンは表情を崩すことはない。だけど瞳の奥が笑っていないことに気がついたシェイドはヨハンから離れると肩をすくめた。

「今のアンタの顔を見たら間違いなく屋敷の連中は恐怖で震え上がるだろうな。今度はどんな無茶が飛び出すのでしょうかって」

「屋敷の奴らなんて気にするだけ無駄だろう。僕は無駄なことはしない主義なんだ」

「無駄なこと……ねぇ」

 カルラに対して猫を被ることこそシェイドからしたら無駄なことに入る。カルラと接するようになってたった数日だが、カルラはヨハンに対して警戒を解くような様子を一切見せていない。それどころか、ヨハンの胡散臭い笑顔を見て明らかに不審がっている。どう考えたってヨハンが表面しか取り繕わないからカルラも信用しきれないのだろう。

 難儀なものだな、とシェイドは心の中で呟く。

***

 シェイドとヨハンは古くからの付き合いである。二人は親友であり悪友でもある。そしてヨハンはシェイドの命の恩人でもあった。

 シェイドの家はもともと首都で力のある商人の家系だった。シェイドの両親は商材があり、いろいろ手広く商売を行う生粋の商人だった。シェイドもいつか両親の後に倣って、二人の仕事を継ぐのだと幼いながらに漠然と思っていた。

 ヨハンと知り合ったのは両親が参加していた貴族主催のお茶会の時だった。首都にいる貴族は傲慢で威張り散らかしている人が多い、と小さい時からシェイドは貴族に対して良い感情を抱いていなかった。だが、そういう相手でも本心を隠して相手をしなくてはいけないと両親を見て学んでいたため、両親と一緒に必要な挨拶だけは済ませていた。しかしそれも終わるとシェイドはパーティー会場の隅でお茶会が終わるのを待っていた。

「君はあの中に混じらないのか?」

 退屈気に貴族の大人や子供たちが茶番のようにお互いを褒めあっているのをぼんやりと眺めていると、そう声をかけてきた人がいた。その人こそヨハンであった。

「あーっと……私は、まぁ、いいかなと……貴方の方こそ、あの方々たちのお話合いに混じらなくてもいいんですか?」

 シェイドより背が高く、体格もしっかりしているヨハンに対して形だけの礼儀を見せる。しかし言外にあっちに行けという思いを込めながら言う。するとヨハンはシェイドの言葉を考える素振りをみせた。

「……あの輪に入ったからといって、有益な何かがあるとは思えない。それよりも、君は敬語を使うのに慣れていないだろう?もっと楽にしてくれて構わない」

 ヨハンの指摘に図星を刺されたシェイドは目線を彷徨わせる。確かに普段は言葉遣いが荒く、敬語も慣れていないのは事実だが、使えないわけでもないと自分では思っていた。

 そしてなにより、明らかに貴族然としている目の前の男にフランクに接したとして何かシェイドに利益があるとは思えなかった。むしろ後から揚げ足を取られることの方が厄介だった。この男のように貴族らしい貴族にはいい印象がなかった。

「いや……流石にそういうわけにもいけないと言いますか」

「ふーん。なんだ、君もあそこにいる奴らと同じでつまらない人間なんだな」

「……はぁ?」

 内心はどうあれ、ヨハンの言葉に丁寧に拒否の姿勢を見せると、ヨハンはつまらなさそうにシェイドから視線を外した。まるで玩具に興味を失ったよう子供のようにシェイドの方を見ることはなかった。

 一方、ヨハンの突然な物言いに思わずシェイドは眉を吊り上げていた。初対面でお互いに名前も知らないのに、いきなりつまらない人間だと言われて元々沸点の低かったシェイドの頭は怒りに染まった。両親に迷惑をかけてはいけないと最後の砦のように頭の片隅で思ったが、それすらも無視した。

「どういう意味だよ」

 相手が貴族の坊ちゃんであることも忘れて睨みつける。するとヨハンの興味がシェイドに戻ったようで、ヨハンはシェイドの方に顔を向けた。

「言葉通りの意味だよ。あいつらは心の底からお互いを褒めあっているんじゃない。ああやって話すことで相手を陥れるための粗を探しているのさ。だけど、そんなことをするのは不毛だと思わないか?だって相手を蹴落としたからと言って自分の身分が上がるわけじゃないんだから」

 目の前の坊ちゃんの尖った考え方に思わず怒りを忘れて、みっともなく口をぽかんと開けて見つめてしまった。ヨハンは表情筋が死んでいるのか、それとも本当につまらないと思っているのか無表情で必死に笑う貴族達を見つめる。そして自分の考えが当然のように語る目の前の坊ちゃんは、シェイドの知っている貴族とはどこか違っていた。

「君はどっちかな?あいつらと同じつまらない人間?それとも面白い人間かな?」

 シェイドと目を合わせながら、無表情だったヨハンは僅かに口角を上げた。まるで悪役のようなその表情に、思わず息を呑む。ヨハンのその顔はゾッとするほど冷たかった。

***

「シェイド?」

 名前を呼ばれて意識を現実に戻す。顔を上げるとヨハンはシェイドより数の先でシェイドを振り返る形で立っていた。あの頃を思うとヨハンはだいぶ変わったようにも見える。根っこの部分はおそらく変わっていないだろうが、少なくともヨハンが言う無駄なことにも気を回すようになった。

「疲れているなら先に宿で休みますか?」

 なによりこうして形だけでも人を気遣うことができるようになったことがその証拠だった。

 仏頂面をしていたシェイドは僅かに口角を上げる。

「つれないこと言うなよ。アンタがあのお嬢様にフラれた時に俺がいないと慰め役がいなくて困るのはアンタだろ」

「……別に、望んでいませんよ、そんな役」

 揶揄うように言ったシェイドの言葉にヨハンの笑顔が凍りついたようだった。やはりヨハンにとってカルラの話題は鬼門なのだとつくづく思う。普段飄々としているヨハンが心を取り乱す様は長年の付き合いであるシェイドにとっても物珍しく、見ていて飽きなかった。

「はぁ……シェイドと話していると疲れが溜まりそうだ」

 取り繕うことをやめたヨハンが大きなため息を吐く。そんな様子のヨハンを見てシェイドはけらけらと笑う。ようやくヨハンの化けの皮が剥がれて気分が良かった。

「いいガス抜き相手だろ?疲れなんて溜まるかよ」

「シェイドがあの人の話さえふってこなければ、僕もまだ気が楽なんだが」

「嘘だろ?こんなに面白そうな話、茶々入れないなんてどうかしてるぜ」

「どうかしているのは君のほうだと思うよ」

 じとっとした目つきでシェイドのことをヨハンが睨むが、シェイドはどこ吹く風で気にした様子は見られなかった。

 二人は花で彩られた村を目的もなく歩く。たくさんの花の甘い香りが辺りを漂っている。

 首都とは違い、この村の人にとって客人が貴族かどうかわからず、通りを歩くだけでいろんな露店の店主から声をかけられる。これでもジェームズという家系は首都でも古くからある家で有数な侯爵家の一つであるため、このように気さくに話しかけられるのことはなくある意味新鮮で面白さすら感じられた。

「兄ちゃん達!随分とかっこいいなぁ!よかったらうちで一杯どうだい?」

 お酒が入っているのか顔を赤くした難いのいい男が酒場のような店から笑いながら声をかけてきた。

「なぁにが『うちで一杯どうだい?』だよ!ここはアンタの店じゃないだろう!」

 すると奥からお盆を持ったふくよかな女の人が出てきて男の頭をお盆で叩いた。ゴンと鈍い音がして、それなりの力で叩かれたことがわかった。

 叩かれた男は怒ることもなく、陽気に笑って「あはは!そうだった、そうだった!」と呑気に言っていた。調子の良さそうな様子を見たふくよかな女の人はやれやれと肩を落とした。そこでようやく女の人はヨハン達に気づいたように顔を向ける。

「アンタ達、すまないねぇ。どうも祭りで気分が昂ってるやつが多くて」

「いえ、大丈夫ですよ」

 いつもの嘘くさい笑顔を瞬時に貼り付けたヨハンが答える。シェイドは気色悪そうに顔を歪めだが、女の人はヨハンの甘い笑顔に騙された様子で僅かに頬を赤らめる。

「ア、アンタ達、この辺じゃ見ない顔だね。祭りを見に立ち寄ったのかい?」

 ふくよかな女の人は熱った顔を誤魔化すように咳払いをした後、言葉を続けた。

「はい。ちょうど祭りをやっている時期だと知って立ち寄りました」

「そうかいそうかい。それは嬉しいねぇ。小さな村だけど、祭りはそれなりの規模があるから楽しめるはずだよ。……ところでアンタ達、花はつけてないんだねぇ。誰かから貰わなかったかい?」

「いいえ。もらっていないですね」

「花……?確かにこの村、やたらと花で飾られてるよな」

 女の人の言葉を受けてシェイドが辺りを見渡す。どの家も花で飾られており、通りを歩く人たちもどこかしらに花を身につけていた。その様子を確認した後、もう一度女の人に視線を戻す。

「この村の冬の祭りは別名花祭りとも言われるくらい花をたくさん使った祭りとしてこの辺りじゃ有名なのさ。花祭りでは、花を贈りあって相手の幸福を願う、それがこの祭りの醍醐味ってもんさ」

 女の人は二人に説明すると「ちょっと待ってな」と言って引き留める間もなく店の奥へと姿を消した。

「花を贈るのも大事な習慣だけどよぉ、俺はぁ、この祭りの目玉といえばやっぱり村娘達が踊る舞だと思うねぇ!」

 女の人に頭を叩かれてから静かだったガタイのいい男が大声を出す。

「舞もあるんですか?」

 男の言葉を拾ったヨハンが男に聞き返す。男は話に乗ってくれたことが嬉しかったのか、酒を煽り、ダンと酒の入った木製のコップを机に叩きつけるように置く。

「そうさ!村で一番の村娘達が女神デメテル様に捧げる冬の舞は、他じゃあ見られないほど美しいのさ!アンタ達は今日それを見ることができる!それだけでも運がいいってもんさ!」

 両手を広げて大袈裟に語る男は最後にまたケラケラと笑った。男に合わせて周りで飲んでいた人たちも「そうだそうだ!」と同意するように野次を飛ばす。ヨハンとシェイドを置いてけぼりにして周りは興奮したように騒ぎ出す。

 その様子を見たシェイドは苛立ちながら「これだから酔っ払いは」とヨハンにしか聞こえない声でため息混じりに呟いた。ヨハンは変わらず人の良さそうな笑顔を見せていたが、若干酒場の雰囲気に押されていた。

「アンタ達!酒飲んでちょうしにのるのはかってだけど、せっかくの客人にまで迷惑かけるんじゃないよ!」

 奥から女の人が戻ってきて騒ぐ酔っ払い達に喝を入れる。酔っ払い達は楽しそうに笑いながら「鬼女将が帰ってきた」などと囃し立てていた。

「誰が鬼女将だって!?……まったく、酒が入った途端これなんだから。すまないねぇ、アンタ達。お詫びじゃないけどよかったらこれもらっておくれ」

 女の人が差し出したのは小さな青い花が可愛らしく咲いた、小ぶりな花束のブローチだった。二人は女の人からそれを受け取るとそれぞれにお礼の言葉を述べた。

「いいってことよ!お客人に女神様の祝福が在らんことを」

 女の人は最後ににかっと笑って二人に祝福の言葉を贈った。

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