其の二 作戦会議
「ストーカー?」
西日が差し込む放課後の教室。クラスメイトの綾は、困ったように眉を寄せた。
「そうなの。なんだか最近変に視線とか感じることが多くてさ。迷惑メールみたいなのも来るし。ストーカーじゃないかって思うんだけど。亜紀はどう思う?」
ホームルームの終わった後で綾に呼び止められるのは、これが初めてではない。私は彼女の中で「親友」の枠に分類されているらしく、ともに食事をしたり、勉強をしたり、時折相談も受けたりする仲だ。とはいえ、ここまで重い話は初めてなのだけれど。
「流石に断言はできないよ。でも、気のせいじゃないなら誰かに相談してみるべきだと思う」
「相談? 今してるじゃない」
ぱちくりと目を瞬かせた彼女は、本気で不思議がっているようだった。その信頼は嬉しいけれど、私には少し荷が勝ちすぎている。もし本当にストーカーなら、私では綾を守りきれない。
「そうじゃなくて、先生とか親とか。警察……は流石に気が早い気もするけど」
「学校のことじゃないなら、先生は違うでしょ。あと、親はない。父さんや母さんに真面目に話聞いてもらえる気がしないし」
けれど、彼女に大人を頼る気はないようだ。彼女は両親とうまく行っていないのだ、と前に聞いたのを思い出す。勉強の得意ではない彼女は、学問ばかりを重視する家族の中で居心地が悪いのだとか。
「けど、私もただの高校生だからね。あんまり頼りにはならないと思うけど……」
そんなことないって、と綾は首を振った。にっと人好きのする笑みを浮かべてこちらを見つめる。
「ほら、亜紀って見えないものが見えたりするんでしょ? なんか上手いこと犯人見えたりしない?」
「霊感のこと? そんなに上手く行くとは……」
私は幼い頃から人には見えないものが見えた。妖怪だったり幽霊だったり、とにかくいろいろ。周りの大人は誰も信じてくれなかったけれど、綾は否定しないでくれた。いわく、「妖怪や幽霊のことは信じられないけど、それ以上に亜紀のことを信じたいから」だそうだ。だから、私もできる限り彼女の期待に答えたい。
ただ、実際にできるかは別問題。そもそも、私の能力は本当に「見えるだけ」。何か術だの力だのが使えるわけではないのだ。そう伝えれば、彼女はがっくりと肩を落とす。
「そっか、残念。まあ、とりあえずしばらく一緒に帰ってよ。帰り道に出くわしたら嫌だしさ」
それくらいならお安い御用。最終下校時刻を知らせる鐘の音に急き立てられるように、私達は鞄を肩にかけて席から立ち上がった。
「それでさ、あいつが――亜紀?」
私がその影を見たのは、下校路も後半に差し掛かろうかというタイミングだった。日はもう住宅街の隙間に落ちて、朱色の残滓のみが私達と影をへだてている。その黒い影が溜まる路地裏に、私は何かもやのようなものを見たのだ。
「ねえ、どうしたのったら。聞いてる?」
「――何かいる」
そう綾に伝えて路地裏を覗き込む。私が存在に気づいたことを理解したのだろう。黒いもやは路地裏の奥へと逃げ込んだ。
「ごめん、綾。ちょっと持ってて!」
鞄を綾に押し付け、路地裏の闇に飛び込む。直感が、あれはこのストーカー事件に関わっていると告げていた。
けれど、ローファーでは追いかけるにも限度がある。加えて、物の多い路地裏では走るに走れない。だというのに、もやは障害物をものともせずにスピードを上げていく。曲がり角を二つ曲がったあたりで、私は諦めざるを得なかった。
「どしたの、亜紀。いきなり走り出したりして。何か見えてたとか?」
そのままの場所で待っていてくれた綾は、不思議そうに首をかしげて私にたずねた。恥ずかしい話、私が霊に引っ張られて変な行動をすることはこれが初めてではないので、彼女も慣れてしまっている。
「うん。路地裏に何かいた。何となく見られてる気がしたから追ってみたんだけど……」
結果は収穫なし。強いて言うなら、ただの浮遊霊ではないことが分かったくらいか。
「あはは。そいつが犯人で、亜紀にビビって引っ込んでくれれば話が早いのにね」
「本当にね。けど、上手くまかれちゃったし、こりてないと思うよ」
「そっか、残念。まあ、とりあえず今日は帰ろっか」
普段通りの明るさで、綾が笑う。ストーカーのことなど忘れさせてしまうようなその笑顔につられて、思わず私も笑みを浮かべた。
「ただ、気になるのも事実なんだよね……」
綾には聞こえないように呟く。影の色に同化するような黒と、その隙間から覗く朱色。まるで目のようなそれは、確かに感情を持って私を捉えていた。
「何もないといいけど」
生きたストーカーの仕業だと思っていたけれど、霊の存在が絡んでいるかもしれない。そうなれば面倒だぞ、と心の内で私は気を引き締めた。
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