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「エマ、夕食の片づけを手伝ってきて。厨房の人が足りないようなの」ミセス・ガルレッドが命令した。すでにソフィはほかの仕事を命じられている。
孤児に命令をするのはミセス・ガルレッドの役目。やりたくてやっているのかは知らないが、彼女が嫌がっていないのは確かだ。むしろ楽しんでいるのかもしれない。
厨房に行くと、アンとピーターが既に働いていた。たしかに人は足りていない。
「わたしは何をすればいい?」アンに近寄るとわたしは聞いた。
アンはブラウンの髪の女の子。18歳だからわたしよりも年上だ。でも、孤児は人数が少ないから、年齢は関係ない。ベスやメロディだってわたしより1つ年上だけど、同じ部屋だ。わたしは彼女とも仲が良かった。
「わたしがお皿を洗ってるから、洗い終わったものを拭いてくれない?一人だと大変なの」
わたしは黙って彼女の横に行くと、ふきんを取った。
「ねえ、今日から転校してきたジェームズ・ティルベラーってどんな子だった?」アンが声を落として聞いてきた。
わたしは思わず、周りを見渡した。皿洗いをしている私たちの周りには人がいない。ピーターはいるが、何も言わないだろう。むしろ聞き耳を立てているかもしれない。
仕事中にわたしたちが雑談していたら、絶対に先生たちは怒る。ここに彼らが来ることはないが、厨房の人たちは告げ口をすることがある。だから誰も信用してはならない。誰にも聞かれてはならないのだ。
「彼の何を聞きたいの?」ようやく、わたしは答えた。
「すべてよ。ルックス、話し方、見た感じ彼っていい人そうだった?」
「そうね」わたしは少し考えるように言った。今日のことを思い出してみる。「彼は黒髪よ。前髪が目にかかりそうな長さだった。それから、とても背が高かった。でも高すぎないし、体のバランスもよかった。肌は白い方ね。真っ白って感じじゃなくて、健康的な肌色。それから、一番特徴的だったのは目よ。すごくきれいな深緑なの。なんでも見透かせそうな、澄んだ深緑。声は、ちゃんと覚えてないけどなめらかな美しい声。女の子らしいわけじゃなくて、男の子らしいけど美しいの。つまり、彼は完璧。文句なしの美男子よ。でも、お坊ちゃまらしく傲慢で甘やかされてきた感じもしたわ。いやな奴ってわけじゃなくて、そういうオーラをまとっているの。悪い人には見えなかったわ」
もちろん、彼と目が合ったことは言わなかった。彼はたまたま後ろを見ただけなのだろう。なのに大騒ぎをするなんて、ばからしく感じられたからだ。それから、彼の瞳が輝いていたのと同時に暗くもあったとも言わなかった。これも見間違いだったかもしれない。推測したことを言うのは気が引けた。そんなことはないかもしれないというのに。
「すごいわね。そんなに細かく語れるなんて。ありがとう。どんな人かはわかったわ」アンが言った。
わたしは赤くなった。自分でも気づかないうちに、彼を細かく観察していたようだった。恥ずかしい。彼に興味があると思われたかも。実際、多少の興味はわいていたが。
「いったいどうして、彼はここに転校してきたのかしら?いまは学期途中で転校生の来る時期じゃないのに。しかも、名門貴族のご子息だなんて。何かありそうよね」アンがお皿を洗いながら言ってきた。当然、わたしも仕事をする手元から目を離さずに答える。話しているなんて、悟られてはいけない。
「見当もつかないわ。しかも、あなたの言った通り変よね。侯爵のご子息ともあろう人が、こんな地方の寄宿学校に転校してくるなんて。ここは男女共学の上に、わたしたち孤児も一緒に教室にいるのに」言った瞬間、わたしは後悔した。
この学校は孤児も同じように勉強させてくれる。召使のように働かされるが、授業中は勉強の邪魔はされないし、頭のいい子なら就職先も見つけてもらえる。寄宿生は裕福だから卒業しても就職しない。同じ教育を受けていて、働きたいわたしたちは社会に歓迎される人材なのだ。
だが、上流階級と同じ教育を親も分からない孤児に受けさせるのには反対する人もいる。上流階級の特権だとか、自分たちの子を身分の低い子たちと一緒に生活させるなんて、という親たちだ。この学校は孤児を受け入れているが、そんなことをする学校はほとんどない。わざわざこの学校に入学させる親は少ないのだ。そんなことは気にしないという親もいるが、生徒の大半は違う学校に入学できなかった子たちだ。だから、この学校は生徒数が少ないし、先生たちは孤児を受け入れると同時に恨んでもいるのだ。
これは孤児の中で口にしないことは暗黙の了解、言うと自分たちがみじめになってしまうからだ。
「気にしないで。たまに現実をいったくらいで、怒ったりしないわよ。わたしだってわかってるんだから」わたしが黙っていると、アンが優しく声をかけてくれた。
「ありがとう、アン」わたしは一瞬だけ、彼女の方を向いた。アンもわたしのことを見ている。目が合うと彼女は少しうなずいて、すぐに仕事に戻っていった。わたしのことを元気づけてくれたのだ。わたしは口元に笑みを浮かべた。
「エマ、アン、ピーター、あんたたちはもう行っていいよ。仕事は終わりだ」厨房の責任者、ミセス・ウェストヴァンが言った。
彼女はこの学校の人にしては優しい。わたしたちが出て行くとき、それぞれに部屋の人数分、お菓子を渡してくれた。みんなで分けて食べるように、ということだ。孤児の子たちはお菓子を食べれることがほとんどないから。
わたしはまっすぐ部屋に戻らずに、校舎の外に出た。アンもピーターも部屋は同じ方向だ。わたしが先に行っててと頼んだら、不思議がっていた。それでも何も言わない。わたしたちには暗黙のルールがある。他人のことに首を突っ込まない。お互いに人が嫌がることや、詮索はしない。そんなことは先生や寄宿生からされるだけで十分だ。
校舎を出て裏に行くと森がある。そこをかき分けてしばらく行くと、ふと開けた場所があるのだ。そこは木々に囲まれていて、周りから見えることはない。
そこには池があって、そのそばには石、たぶん大理石、のベンチが置かれている。誰が作ったものかはわからない。だが、もう忘れられて何年もたっているのは確かだ。いままで何度も来ているが、ここにほかの人がいるのは見たことがない。わたしはここを入学してしばらくしたころに見つけた。あの頃はまだ、学校の孤児に対する扱いにショックを受けていたし、とにかく現実から逃げ出したくて仕方がなかった。
わたしはベンチに腰掛けると、ポケットからペンダントを取り出した。ペンダントは大きめのサイズで、表には真紅のバラが中央、白のバラがその周りを囲んでいる貴族の家紋のような柄が描かれていた。本当にどこかの貴族の家の家紋かもしれない。もしかしたら、わたしの家かも知れない。わたしはこれをもらって以来、そう思い続けている。ペンダントの裏には文字が刻まれていた。
エマ 11,04 愛をこめて 06,16
「エマ」のあとの数字はわたしの誕生日だ。「愛をこめて」の日付はその二年後。「エマ」は英語、「愛をこめて」はフランス語で書かれていた。その下にはわたしのわからない言葉でまだ何か書かれている。
まだわたしが読めない文字は何を書いてあるのだろう。これを読めれば、わたしの父と母のことが分かるかもしれない。わたしは親が死んでいるのか、生きているのか、どんな家なのか、何も知らない。物心ついた時から孤児院にいて、誰もわたしの両親のことは話してくれなかった。
このペンダントをくれたのは孤児院の院長のミセス・アヴィエラだ。彼女はわたしにこの学園に行くように薦め、入学を手配してくれた。そしてわたしが学園に行く日、わたしを院長室に呼んで、このペンダントをくれたのだった。
彼女が言った言葉は一年以上たったいまでも、すべて覚えている。
「エマ、これから話すことはあなたのご両親についてのことです」院長室に入ってきたわたしに飲み物を勧めてくれたあと、院長は切り出した。「わたしはあなたのお父様、お母様と親しくしていました。お二人の名前は明かすことができません。どこにいるかも、なぜ、あなたをここに預けたのかも。しかし、お二人はあなたをここに預けた時、このペンダントをわたしに預けられました。あなたが大きくなったら渡すように、といって。これからあなたはこの孤児院を出て行きます。もう十分、大きくなったといえるでしょう。これは大切にするのですよ。あなたのことが分かるただ一つのものなのですから。それから、お二人はあなたのことをそれはそれは愛していました。それを覚えているのですよ」
この言葉からすると、やはりこのペンダントは何か重要に違いない。わたしのルーツを探る手掛かりらしいし。でも、わたしはこのペンダントをもらったことを誰にも言っていない。親友のベスにでさえ。みんなは親のことを何一つ知らない。わたしだけ手掛かりがあるなんて、とても言い出せない。
寄宿生や先生に言うなんてそれよりもあり得ない。高級品はわからないが、これはいいものだということくらいはわかるし、先生たちは孤児が不要物を持っていることを許さないだろう。それがわたしにとってどれだけ大切かなんて関係なく。取り上げられてしまうかもしれない。
わたしはペンダントの「愛をこめて」の部分をそっとなぞった。これをくれたのはわたしの両親だ。両親はどうしたのだろう。ミセス・アヴィエラの言葉からすると、二人はもうこの世にいないか、行方不明だ。もしも生きていなくても、二人がどうなったのか聞くことができればそれでいい。顔も覚えていない人たちだ。親に二度と会えないと悲しくなるかもしれないが、それ以上何か感じるのかはわからない。
わたしはベンチによこたわって空を見上げた。星が輝いている。両親もこの星を見ているのだろうか。いや、この星になってしまっているかもしれない。どちらにせよ、わたしは顔も分からない両親のことを思い浮かべた。
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