孤児の私が学園にやってきた転校生の貴族と恋仲になるまで
築山モナ
1
「エマ、教室の掃除をしておきなさい。それが終わったら、部屋に戻って構わないわ」
「わかりました、ミセス・ガルレッド」わたしはそう言うと、掃除用具を取りに行った。
ミセス・ガルレッドは部屋を出ていった。ほかの生徒に違う命令をしに行ったのだろう。夜の教室はしんとしている。ここにいるのはわたしと、寄宿生の残したごみだけだ。
教室はわたしのような孤児と寄宿生が一緒に使っている。だけど、ここを掃除するのは自分たちだと知っているから孤児の子たちは絶対に教室を汚そうとしない。逆に一部の寄宿生の子たちはわざと教室にごみを落として、わたしたちの仕事が大変になるようにしている。彼らは甘やかされて育っているため、意地悪でわがままなのだ。
いつまでこんな暮らしを続けなければいけないのだろう?いつも考えてしまうこの疑問がまた、頭に浮かんだ。
無償で勉強をさせてくれるのは素晴らしい慈善活動だと人は言う。だが実際は、孤児は勉強をさせてもらう代わりに、召使同様、働かなければならない。学費を払わないのだから、それくらいはしてくれて当然、学校の経営者たちはそのように考えているのだ。それに、孤児と寄宿生を対等に扱ったら、寄宿生の親の貴族や裕福な家の人たちが飛んできて、学校に文句を言うだろう。「わたしたちは高い金を払っているのに、金を払わない孤児の子供と娘や息子を同じように扱うのか」というように。
つまり、この暮らしから抜けるにはここを卒業しなければならない。そうすれば学業を終えた者として、仕事にはありつける。それまでのあと2年ほど、この暮らしに耐えなければならないのだ。
いつもと同じ結論にたどり着いた後、わたしは素早く掃除を済ませ、また、ミセス・ガルレッドに見つかってまた用事を言いつけられないうちに部屋に戻った。
「戻ったわ」ドアを開けながら、部屋に先に帰っていたメロディやソフィに向かって言った。ベスはまだ戻っていないみたい。
「おかえり。遅かったじゃないの。何してたの?」メロディが言った。
「ミセス・ガルレッドに教室の掃除を頼まれたの。見つからなきゃすぐに帰れたのに」わたしはそう言った。
「メアリー・ガルレッド、素晴らしい貴婦人と宮廷で言われていると自慢してるのに意地悪なんだから」ソフィが悪態をついた。
「ソフィ、やめてよ。誰かに聞かれたらどうするの?」メロディが止める。
「こんなところを誰が通るっていうの?寄宿生のお嬢さま、お坊ちゃまはこんなところ、来るわけないってば」ソフィが言った。
わたしとしてはメロディに賛成だった。いつだれが通るかわからないのに、先生の悪口を言うのはいい考えとは思えない。いくらドアが閉まっていても、堂々と普通の声で言うなんて。弱気なわたしやメロディにはとてもできない。
対して、ソフィやベスはいつも強気でいる。先生たちに公然とはむかいはしないが、いつもうまいこと逃げてあまり用事を言いつけられないようにしている。ベスなんて1度、寄宿生がいることに気づかずに先生の悪口を言ったせいで、先生に呼び出されたことがある。あまり怒られないで戻ってこれたのは、彼女が先生の弱みを握っていたからとか。ベスにその弱みとは何か聞いたことはあるが、絶対に教えてくれなかった。
「ただいま」ベスが入ってきた。「ガルレッドったら最悪。『寄宿生の制服をきれいにたたんでおきなさい』だってさ。すごい量があるものだから、1時間もかかっちゃった」
「お気の毒さま。エマもガルレッドにつかまって教室の掃除をさせられたのよ。今日はあいつに運がないわね」ソフィが言った。
「ちょっと、『あいつ』とか口が悪いわよ」メロディが咎めた。
「大丈夫だって」
ソフィはなんとも思っていない。彼女の口が悪いのはいつものことだから、咎めるのはメロディの任せておけばいい。
「そういえば、今日寄宿生の子が話してるのを聞いたんだけど、明日から転校生が来るとか」ベスが切り出した。
「その人の名前は?」わたしは聞いた。こんな時期に転校してくるという人に興味があったし、ソフィがまた先生をののしり始める前に話題を変えておきたかった。
「ジェームズ・ティルベラーって人だって。何年生かな?」
「ティルベラー?ジェームズ・ティルベラーがこの学校に転校してくるの?」わたしは信じられない思いで聞き返した。
「どうして?彼、有名人なの?」とソフィ。
「ええ、もちろんよ」わたしは興奮して話し始めた。「ティルベラー侯爵家といえば国でも有数の名家。今、一番力をもっているかもしれない貴族ね。ジェームズ・ティルベラーはその侯爵家の跡継ぎなの」
「へえ、すごい。でも、どうしてそんな名家の息子が学期途中に転校してくるわけ?」メロディが考え込んでいるふうに言った。
「さあね、でも彼は17歳よ。もしかしたら、わたしと同じクラスかも」
「エマ、あんたと同じクラスでも、わたしは違うの。メロディもね。ソフィは一緒かもしれないね。羨ましい」ベスが言った。
「やったわ。彼がいい人だといいけど」ソフィは喜んでいる。
「わたしもそう願うわ」そうつぶやくと、わたしはバスルームへと入っていった。
話は終わり。ベスは宿題を始めて、メロディは読書。わたしはお風呂に入って、ソフィは早めにベッドに入った。
翌朝、教室に入ると、寄宿生の子たちの間ではジェームズ・ティルベラーについて噂されていた。
「ジェームズ・ティルベラーって今日来るんでしょ。彼、かっこいいのかな」
「ティルベラー家のご子息よ。ルックスが悪くても関係ないじゃない」
「噂だと、彼ってすごくかっこいいらしいよ」
これは女子の声。男子は、
「そいつって運動できるのか?勉強は?」
「どうしてこの時期に転校してくるんだ?」
「すごい名門のお坊ちゃまだって。やばいぞ、女子の気がそっちにばかりいくようになる」とか。
わたしは後ろの方の席に着いた。前の方は寄宿生の子だけ。孤児の子たちは後ろの方に行かないといけない。これもまた、寄宿生と孤児の差をわかりやすくするためのものだった。
「みなさん、ご存じでしょうが今日から新しい生徒がこのクラスに入ります。ミスター・ジェームズ・ティルベラーです」
ミセス・ガルレッドの声で、一人の少年が教室に入ってきた。寄宿生の制服に、少し長めの黒髪、きれいに整った顔立ちの彼は名門の子息らしい風格を備えていた。
「ぼくの名はジェームズ・ティルベラーです。今日からこのクラスで一緒に過ごすことになりました。まだこの学園のことはわからないので、ぜひ教えてください」
彼がお決まりのセリフを言った後、前方の女の子たちから大きな拍手が起こった。でも、彼は見向きもしない。彼が自分の席に着こうとしたとき、わたしと目が合った。人を吸いつけるような美しい彼のグリーンの瞳とわたしのブルーの瞳が一瞬、絡み合った。鳥肌が立った。からだに電流が走ったような感覚だった。
そのあと、わたしは席に着いた彼を目で追っていた。また目が合わないかな、そんな思いで彼を見つめていた。だが、彼は二度とわたしの方を向かなかった。
どうして彼はわたしなんかの方を見たのだろう。孤児のわたしなんかを。たまたま目が合っただけだろうか?そうかもしれないが、違う気がする。
その日一日中、わたしは彼の視線が忘れられなかった。何か輝いていたが、同時に暗くもあったあの瞳を。
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