第14話 軍師、祟りを恐れる

「大司教様、ごめんなさい!」


 スーレの声が、アルシュタットの神殿前広場で響いた。

 アキトも同じように、大司教へ頭を下げる。


「大司教、申し訳ありません。俺も興味本位で入ってしまって」


 アキト達が謝っているのは、アルス島の地下神殿で、女神像の槍を壊してしまったことだ

った。


「ふむ、ワシからも謝っておきましょう。ですが大公閣下、これからは神像は大事に扱うようにお願いしますよ」

「はい……ごめんなさい」

「顔をお上げなさい。閣下の日頃の行いは、神々も見ておられます。少しのやんちゃはお赦しになるでしょう」

「はい、大司教様。本当にごめんなさい。わたしはまた皆の看病に戻ります」

「うんうん。お願いしましたよ」


 スーレはもう一度大司教に頭を下げて、広場の傷病人の看病に戻った。

 アキトはそれを見て、再び大司教に謝る。


「本当に申し訳ございませんでした、大司教」

「アキト殿……実はあの地下神殿の女神像なのだが、ワシもその名前を存じ上げないのだ」

「え? あれは大司教達が祭祀を行われる場所ではないのですか?」


 アキトは首を傾げた。


「ワシが祭祀を執り行うのは、その上の湖。地下神殿ではございません」

「では、あの神殿は?」

「うむ。恐らくは名前も忘れられた古代の神の像でしょう。あの地下神殿は、ワシが……いや、先代のエリオ様が生まれる前からあった。そのエリオ様の祖父の代にも、先祖から聞き及んでいたという話です」

「そうだったのですか……謝罪の祈りをするにも、名前が分からないのでは……」

「故意でなければ、どんな神も赦してくださるでしょう。スーレ様にはああ言いましたが、あまり気になさりますな。ワシから最高神にお祈りいたします」


 アキトは大司教の言葉に、額から汗を流した。


「うん? どうなされたのだ、アキト殿」

「いや……実は割れた槍から、こんな物が」


 アキトは三又の槍の破片から出てきた黒い石をポケットから出した。


「なるほど……持ってきてしまったということですか。すぐにお返ししましょう」

「分かりました。今すぐ、アルス島に戻りますね」

「それがよろしいでしょう」


 大司教に頷いて、アキトが歩き出そうとしたその時、黒い石はひとりでにアキトの手から落ちて、師杖である刀の柄に触れた。


「あっ……もう罰が当たっても文句は言えないな」


 アキトは悔やむように言うと、黒い石を再び拾った。


「うん?」


 黒い石を見て、アキトは思わず首を傾げる。石から発せられた光が消えているのだ。

 そして、空がにわかに曇りだしたことに気付く。


「空が……雨ですかな」


 大司教は空を見上げた。広場の人達も、皆空を見上げているようだ。天気が突然乱れ、雨が降るのかと。

 だが、曇り空は次第に濃さを増していく。やがて夜空と変わらない暗さとなった。


「いや……おかしい」


 アキトも空を見上げて呟く。しばらくすると、夜よりも暗い闇が天を覆ったのだ。

 

 真っ暗になったことで周囲は騒然となる。


 アキトも全く周りが見えない。


「皆さん! 落ち着いて! すぐに明かりを用意しますから!」


 アキトの声に、多少は落ち着きを取り戻す人々。


 これは天罰の類なのだろうか、アキトは女神像や石を粗末に扱ったことを不安に思った。


 その時、突如として闇空を割く一筋の白い光が。その真白の光はアキトを照らしていた。

 皆再び光の元を見上げる。


 すると、その空の狭間から降りてくる柔らかな光の球が。その光は、ゆっくりとアキトの前へと降りてきた。光の球が弾けると同時に、闇空も一瞬で晴れ渡る。


 弾けた球の中には、長いブロンドの髪を持つ女性がいた。女性はアキトより少し年上のような風貌だった。


「……神?」


 大司教は思わず、そう漏らした。


 そう呼ぶのも無理もないと、アキトは内心で頷く。


 膝の裏まで伸ばした黄金色の髪。黄金ですら劣って見える黄金色の瞳。それと空に浮かぶ雲のように白い肌。薄く白い絹の衣服は、もはや古代の壁画でしか見られない様式だ。


 ここまでは地上でも有り得るかという風貌。


 だが、地上の者とは明らかに違う特徴が一つ。


 灰色に染まった翼と羊のような小さな角。翼は、有翼人の、鳥の羽がいくつも集まってできたような翼ではない。体に似合わない、魔族のような禍々しい翼と角だった。

 それは、アキトを始め周りの人々に、明らかに地上の者ではないと感じさせた。


 しばらく口を開けて見ていたアキトが、恐る恐る口を開く。


「……俺はアキト。君は、この石の持ち主かい?」

「フィンデリア……」


 金髪の女性は、思い出すようにゆっくりとそう答えた。 


「フィンデリア……それが君の名前か」


 フィンデリアはアキトの問いかけに、ここにいる誰もが知らない言語で答える。


「ごめん、君の使う言葉が良く分からない」


 フィンデリアはがくりと肩を落とす。


「うん? フィンデリア、俺の言葉は分かるのか?」


 アキトの声に、フィンデリアはうんうんと首を縦に振る。

 どうやらアキトの言わんとすることは理解できているようだが、答える言葉を知らないらしい。


「……どういうことだ?」


 アキトは何が起きたかを、冷静に判断する。

 自分の師杖に、黒い石が触れた瞬間、フィンデリアが現れた。

 つまり、この黒い石は師駒石の一つで、フィンデリアを師駒として召喚した。


「君は、俺の師駒なのか?」


 アキトはそう言って、自分の師杖である刀でフィンデリアの能力を紙に写す。


 浮かび上がる文字。やはり、フィンデリアは師駒だった。


 アキトは紙を見る目を何度か瞬かす。少しこすってもみる。


 それでも、紙の内容は変わらない。


 もう一度新たな紙に、フィンデリアの情報を写してみる。それでも内容は同じ。


「ランクが不明だと? しかも、クラスは見たことのない文字……」


 写し出されるランクは、師杖によって師駒管理局の基準で判定される。アキトはそう軍師学校で教わった。


 だから、どんな未知の言語、種族でも、強さを表すランクは万国共通。クラスや技能のように、不明にはならないはずなのだ。


 ではこの不明というランクは、一体何なのか。アキトは必死に頭を回転させる。


 フィンデリアは恐らく、S級を超える規格外の師駒。師杖がそれを、不明と判断した可能性は否定できない──


 現にアキトの考えを裏付けるように、体力や腕力、魔力などの基本能力が見たこともないランクになっているのだ。例えキングの師駒を千体集めても、総合能力はこうはならない。


「黒い石は師駒石でしたか……しかし、クラスも技能も、全く見たことのない文字ですな」


 大司教が呟いた。


 紙には見たことがない文字が記載されている。東の大陸の文字ではないし、魔族の文字とも違う。


「ええ。ですが、何かの間違いかもしれません」


 ランクも基本能力も、通常では有り得ないものだ。師杖が狂っている可能性も否定できない。だが、その可能性が限りなく低いことも、アキトは知っていた。


「しかし、もしフィンデリアが師駒で、この魔力が本当なら……フィンデリア、君は回復魔法が使えるか?」


 フィンデリアはコクリと頷く。


「そしたら、この広場の人達を回復魔法で癒してほしい。もちろん、回復魔法が使えればだが」


 フィンデリアは、再び頷くと両手を空に向けてかざした。


「フィンデリア! 俺は回復魔法をお願いしたんだ!」


 通常、回復魔法は回復させたい対象に一人一人、または複数に手をかざして詠唱するものだ。アキトは、フィンデリアが何か別の魔法を使おうとしているのではないか、と心配になって叫んだ。


 だが、フィンデリアはただ頷いて、そのまま空中に魔法を放った。


「な、なんだ!?」


 一人の男が空を指さした。


 街の人々が一斉に空を見上げる。そこには広場をすっぽりと覆う魔法陣が。


 その魔法陣は、白い光を広場へ降り注がせた。


「お、おい、やばいんじゃ……なんだ? この暖かい光は……」


 街の人達は驚きつつも、この心地よい光を手を広げて受け始めた。

 アキト自身も、この光の効果を感じていた。これは回復魔法で間違いないと。しかし、あまりにも効果てきめんだとも。


「これが回復魔法? それにしては足の疲れまで取れるような」


 長旅の上、休むことなくアルスのために働いていたアキトの脚には、疲労が蓄積していた。それが、すっと落ちていくのだ。


 光が収まると、全身の疲れは完全に癒えていた。 


 街の人々にも、変化があったようだ。


 横になっていた人たちはむくりと上半身を起こしたり、立ち上がったりしている。


「……体が軽い?」


 病が癒えた人々。だが、驚くのはそれだけではない。


「おい! 嘘だろ、俺の足が……」

「み、見えるわ! 見えなかったのに、光が!!」


 アキトは驚いた。足を骨折した者、目が不自由な者まで、すっかり癒えたのだ。


「……フィンデリア」


 フィンデリアはしたり顔をアキトに向ける。思わず笑ってしまうような、してやったという顔。


 だが、誇っても何の問題もない力をフィンデリアは見せつけた。


 アキトは笑うどころか、あまりの力に噴き出した冷や汗を拭った。


「フィンデリア……ありがとう。すごい魔法だった」


 フィンデリアは何かを返事しようとするが、すぐにふらついてしまう。


「お、おい。どうした、フィンデリア?!」


 フラフラと体を揺らすフィンデリアの顔は、非常に赤い。そして数秒もしないうちに、意識を失ったのか倒れ始める。


「フィンデリア!!」


 アキトはフィンデリアをとっさの所で抱きかかえた。


 リーンもどうやら駆けつけてくれて、地面に体を広げていてくれたようだ。


「間に合いましたか。アキト様、どうぞこの方を私の上で横にならせてください。私がベッドになります」

「ああ。頼む、リーン」。

「フィンデリア、大丈夫か?」


 アキトは苦しそうな顔のフィンデリアに声を掛けるが、返事はない。


 隣の大司教が口を開く。


「ふむ、アキト殿……フィンデリア殿はそうとう体力を消耗してるようだ」

「しかし、魔力と体力は関係がないはず」

「先程の魔法力みせていただきました。確かに膨大です。しかし、これだけのたくさんの人を同時に、しかもあそこまで完璧に癒せるわけがない」

「……では体力を魔力として、消費した?」

「その可能性はありますな……」


 アキトは必死になって、回復魔法をフィンデリアに掛けた。


 大司教もすぐに回復魔法を掛けるが、反応はない。


「フィンデリア! 頼む、起きてくれ!」

「アキト殿、まずは落ち着いて。体力は確実に回復しています。しかし、この方を癒すには、あまりにも微弱すぎるようだ」


 大司教は魔法を掛けながら、頭を捻った。


「ここはとりあえず神殿で寝かせて、看病いたします」

「……はい、大司教」


 知らなかったとはいえ、自分の命令のせいでフィンデリアを傷つけてしまったとアキトは悔やむ。


「アキト殿、フィンデリア殿はワシと他の神官で治療いたします。フィンデリア殿が気になるでしょうが、今は南魔王軍の対策とアルス移住計画のため、全力を尽くしてくだされ」

「……はい、かしこまりました。フィンデリアの事、よろしくお願いいたします」

「お任せあれ。……とはいえ、フィンデリア様のおかげですっかり皆よくなった。永遠にこの広場で人々の治療を続けなければいけないと思っていたが、まさかこんな日が来ようとは」


 大司教はそう言って、フィンデリアを運ぶリーンを追って神殿の中に入った。


「アキト! さっきの人、すごかったね。皆を一瞬で直しちゃったよ」

「俺も信じられないよ。あんな魔法は、魔法大学の先生達ですら使えないだろう」

「魔法大学? とにかく、すごいってことだね。……でも、大丈夫かな? 倒れちゃったみたいだけど」

「分からない……スーレ、フィンデリアの看病頼めるかい?」

「もちろん! 広場の人を看病しなくても良くなったしね。名前はフィンデリアさん……じゃあ、行ってくるよ!」


 スーレはそう言い残して、大司教達の後を追った。

 見送るアキトの後ろから、アカネが声を掛ける。


「すごい。まるで、コーボー大師のようなお方ですね」

「そうだな、いっそ神仏だと言われたほうが、納得がいく」


 シスイも、独り言のように呟く。


「某もまだまだということか……」

「姉様、かくも強き潜在的な恋敵。より一層、共に鍛錬に励まねばなりませんね!」

「うむ、そうだなアカネよ! ……しかし、恋敵とは?」


 シスイとアカネが盛り上がる一方で、アキトはフィンデリアの事が頭から離れなかった。


 これだけのたくさんの人に同時に回復魔法をかけ、視力までも修復した。

 もはや、魔法がどうのこうという話ではない。


 アキトはもう一度、フィンデリアの情報が書かれた紙へ目を通す。相変わらずの意味不明な文字。その中で一か所、血のように滲む文字があった。


 それが何と書かれているのか、アキトには解読できなかった。

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