第91話 レッツ・ニューワールド
――張郃
手勢は三千の騎兵。袁煕の副軍師たる郭嘉が参謀として同行しているものの、ほぼ一直線に劉備を追いかけてきた。
故に無策である。
補足し、可能であれば捕縛するのが使命であった。
しかし、一つの報告により状況が一変する。
「張将軍、急報です。上党よりおよそ二百の兵が出陣。率いる将はちょ、張飛と」
「対応を協議するッピ。ご苦労だッピ」
「はっ、失礼いたします!」
己が武力では張飛に太刀打ちできない。それは張郃も戦場の勘で察している。
兵数は張郃の方が上だが、弓兵を率いておらず遠巻きに始末することが不可だ。
白兵戦で張飛と戦うのは自殺行為であり、勝利したとしても犠牲は多く出ることだろうと思案する。
「なんかヤベー報告みたいッスね。儁乂将軍、でーじょぶッスか?」
「極めて危機的状況だッピ。敵将張飛は万人敵として名を馳せているッピよ。この兵数では圧殺することも厳しいッピ」
「そうッピか……って移るッスね、これ。まあ、それはさておき、迎撃してきたっつーことは、劉備は既に上党に入っちまったってことッスね」
下されていた命令は入場前に捕獲することだった。それが叶わない今、張郃たちは戦略の転換を迫られている。
出撃してきた張飛のみならば、天運が味方すれば勝利することができる可能性もある。だが、後ろに関羽がいた場合、一方的に蹂躙される恐れがあった。
「――撤退するッピ」
「そうッスね。せめて壺関まで引いて、対策を練りましょうぜ」
以心伝心。そして共通認識の最適化。
部隊の首脳部が下した撤退命令は速やかに浸透し、張郃は軍を引く。
戦わずして兵を戻すのは将として無念の極みではある。しかし、無為に戦端を開き、預かった命を捨てるのは愚の骨頂だ。
副軍師である郭嘉を失う懸念もある。ならばここで汚名を受けるは、最終的な勝利のための布石と言えるだろう。
「決着はいつかつけるッピ。今は春を謳歌しておく……ッピョイ」
張郃は感情が揺れ動くと語尾が変わる。
動揺したとき、悲しんだとき、雄叫びを上げるとき。
現在は……激怒だ。
戦略上仕方がないとはいえ、軍歴に瑕を残す結果となったのだ。張郃は大衆の前で、顔にツバを吐きかけられたのと同じような屈辱を味わっていた。
「そう怒らない怒らない。殿も無理はさせねーッスよ。壺関で茶でも一服しましょうや」
「苦労かけるッピャ」
斯くして劉備追討軍は任務失敗に終わり、上党に新勢力の誕生を許すことになった。閑職に追われていた者や食いつめた者、賊上がりや敗残兵など。多くの人間が上党に集うことになる。
一つだけ瑕疵があるとすれば、劉備軍は現在夜盗と同等の規模と練度であり、その人望や名声を十全に活かしきれていないことにあるのだが。
――袁煕
いや、どうしろと。
目の前には黒色の呂旗を立てた女性武将が項垂れている。ついぞ先ほどまで殺気をゴリゴリに振りまいていたのだが、今はチワワみたいにしょぼくれていた。
「呂令嬢。その、なんだ。我らは共通の敵を持っているのではないかな」
「そうだと……思う。おかしい、なぜこうなった」
それな。俺の台詞なんだわ。
呂布の娘が生きていたってのはびっくりだが、まあ親父ぶっ殺した曹操に仕えるってのもよくわからん経緯よな。
「殿、左翼より敵が単騎で突撃中!」
「ぬっ、全軍警戒せよ。呂玲綺殿、ここは危険なので我らの防御陣に入ってください」
「いや、その者は大丈夫だ。こちらに迎えてくれ」
「えぇ……」
大丈夫かな、マジで。
敵大将目掛けて一騎掛けしてくる猛将相手に、カモンベイビーと両手を広げてウェルカムするほど乱世は甘くないと思うよ。
「お嬢様―――――――っ!!」
「文遠、ここだ!」
「ええい、どけいっ! この張文遠の前に立つ者は斬る!」
もう滅茶苦茶だよ。
しょうがねえな、腹くくるか。
「その者をこちらへ案内してくれ。俺と呂玲綺殿との間では話がついている」
「殿、しかし……」
「いいんです、許先生。もしかしたら奇貨となるかもしれん」
房のついた青い帽子を被った偉丈夫が、大薙刀を構えて俺の前に現れる。
一目見て分かるほどに、英雄豪傑の威風を纏わせており、俺を射抜く瞳は怖いくらいに真っすぐであった。
「お嬢様、ご無事ですか。袁顕奕に相違ないな、この場で首を――」
「待て文遠。今は袁顕奕殿と会話をしている。動くのはそのあとの変化によってだ」
「しかし、ここで首級を挙げれば、孟徳公に命の対価を返せましょう」
にゃるほど。
斬首されそうになって降った。その恩返しで戦場に来たと。
この辺の三国志メンタリティはしたたかだよなっていつも思う。
主君を斬られて、その相手に尽くすってのは中々どうして難しい差配だ。
「高名な張文遠将軍とお見受けする。ご挨拶が遅れ申した、俺は袁煕、字を顕奕です。どうかこの場は矛を収め、言葉を交わしませんか」
「ふむ、よかろう。しかし口八丁でこの張文遠をいなせると思うな。言葉に真実が無ければ即座に斬り捨てる」
「ご随意になさってください。俺も戦場に立つ身、覚悟は……決まっていますよ」
「よかろう。ならば聞こうか」
思いもよらぬ事態になってしまった。
右から張遼の眼光。左から呂玲綺の視線。
会議室で管理職に営業成績を詰められてるみたいな空気感だ。胃がキリキリと痛む感じ、懐かしいね。
いいだろう。命がけの説得ってやつをやってやろうじゃないか。
「まずは大義についてお尋ねしたい。呂令嬢、張将軍、此度の戦は袁家と曹家のどちらに筋があるとお考えか」
「拙者はそのような筋は意に介さぬ。中華を統一し、乱世を終わらせる器量をお持ちなのは孟徳公を置いて他にない。それだけだ」
「……私は、難しい話はちょっと」
そッスか。れーちゃんには優しくしてあげよう。
「河北を治め、賊徒と向き合う袁家。漢室に三公を輩出し、かの董卓討伐軍の総大将を務めました。忠義においても、領土の保全にとっても、民にとっても袁家は重要な位置を占めると思われますが」
「河北だけ平和であるならば、それは近視眼というものだ。中華は広く、遍く民は塗炭の苦しみを味わっている。その状態を終わらせることこそが急務であろう」
「張将軍の物言いは些か土台を軽視されているかと。民衆をよく治め、盤石な支持を受けてこそ平和は訪れましょう。河北のみが繁栄するという見方ではなく、河北こそが始まりの地であると考えておりますが」
「中原の戦火は収まった。それも全ては孟徳公の手腕によるものであろう。漢室の威光は既に薄れ、時代は次なる英雄を求めているとなぜ気づかぬ」
割と一発レッドカードな発言だけど、いいんですかね。
まあ、とりあえず張遼の最終目的は中華統一の一助になることであると知れた。
ちなみに呂玲綺は馬と遊んでいる。
「文遠殿、力で物事を動かすことも否とは申しませぬ。事実我らも行使しているのですから。しかし、徒に勢力をまとめようとすると、大きな歪みが生じるかと」
「その歪みとは何ぞや。拙者は少なくとも中華統一という大きな枠組みを創り上げるのが急務だと考える」
統一か。
俺は正直そこまで大きなことは考えていなかった。
妻が寝取られて脳が焼かれるのは嫌だし、北方で斬首されるのも勘弁だ。
俺が今張遼にぶつけるのは、俺の信念であるべきだ。
ここに嘘を混ぜてはいけない。間違っていてもいい、純度100%の俺の言葉でなくてはいけない。
「俺は戦が起きるのは否定しません。ですが、この大陸は広大に過ぎます。故に――」
「ふむ、故に?」
俺の脳内シナプスが煙を上げているのが分かる。
果たして良いことかどうかも不明だし、言って後悔するかもしれない。
だが、目の前の男に対しては誠実でありたいと心から思うんだ。
「連邦制、という言葉を回答として提出します」
「耳慣れぬ言葉よ。その意味、じっくりと聞かせてもらいたい」
出来るかどうかは俺も不明だ。けれど、中央集権的な国家はいずれ瓦解するだろう。氏族制度に強く結びついた民族故、縁故による支配が大きい。
俺は、そこに風を入れたい。
寄らしむべからず、という愚民統治の考えは捨て、能力のある人材を多く育成した方が後世のためになるのではないか。
国家の代表を決め、地方分権。
そこに至るには数百年かかるだろう。だが、目指す先は帝政じゃなくてもいい。
着地点の違いを、張遼に説得しなくてはいけない。
浅学菲才の身が恨めしいが、やったるぞ。
少なくとも、俺の今の全力をぶつけてやる。
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