199年 史実より早い官渡の戦い
第76話 官渡前哨戦 両陣営の思惑
史実によれば、郭図の速戦速攻案が採用されたという結論がある。
沮授は反対。田豊もまたこれを却下していた。
結果沮授は左遷され、田豊に至っては投獄されてしまう。
他にも劉備が孫乾を袁紹に派遣し、同盟を求めてきたこともも遠因となっている。
一時は田豊も劉備と戦っている曹操の背後を突くべきと主張していたのだが、のちに撤回している。
まあ陸戦最強の曹操軍相手じゃ分が悪いからね。
史実での問題点は、袁紹パパンがヤル気になってしまったことにある。
黄河以南、即ち河南を攻める欲をこいて、結果ボロ負けするってオチだ。
しかし今世での歴史の動きはちょいと違う。
早期に呂布・袁術・陶謙・劉備を撃破した曹操が、先んじて河北に侵攻をしてきたのだ。袁家としては当然防衛のために兵を起こし、領土を守る大義名分がある。
「白馬にいる顔良と合流せねばな。ヒゲオヤジと出くわしてバッサリなんて目になったら洒落にならん」
「殿、あまり馬を急がせられますな。脱落する者が出てしまいまする」
従者の陸遜に諫言されるが、それは飲めない。
まだ激突は始まってないと思いたいが、史実での結果を知ってる俺としては気がはやって仕方ないんだわ。
「陸瑁、脱落者をまとめてゆっくりと白馬に参れ。陸遜はこのまま私と同道せよ」
「殿……御意に御座います。瑁、言うとおりにせよ」
「はい兄上。では殿、失礼仕ります」
踵を返す陸瑁を目で見送り、俺はひたすらに馬を走らせる。
鞍と鐙、そして轡の改良によって随分とケツへの負担が減った。
「頼むぞ……まだおっぱじめてくれるなよ……」
こればかりは天に願うしかない。既に激戦にでもなっていたら、取り返しのつかないことになっているだろう。
今世でのアドバンテージは、鳥巣の兵糧庫の場所がバレてないことだ。
許攸は忠勤を果たし、俺の近衛を統括している。
思うに、然るべきポジションを与え、責任と褒美を十分に取らせることが出来ていたら、人は裏切りという選択肢を取りづらいのではなかろうか。
白馬まであと二日程度だ。
へばって来た馬を変え、俺は鄴都に立ち寄らずそのまま白馬へとひた走る。
◇
――顔良
「宦官のガキが粋がりやがる。まさかこの河北に踏み入ってくるとはなぁ。そんなに自殺したいんだったら、俺が手伝ってやるか」
濮陽から連なる曹操の船団を睥睨し、白馬港に隣接した城砦に籠る顔良は舌打ちを一つ鳴らした。
野蛮な河南人が土足で河北に来るなぞ、礼儀を弁えていない暴挙である。
臣従するならまだしも、槍を持って押し寄せるなど言語道断だ。
「顔将軍、白馬の港はこのままでは陥落します。こちらも水軍を出すべきでは?」
「あのなぁ高幹、あんなクソ大船団に突撃してったって、追い散らされるのが目に見えてるんだよ。焼け石に水だ。だったら港の一つくらいはくれてやるさ」
「しかし……栄誉ある袁家の施設が失陥したとなれば、将兵の士気にかかわりましょう」
「いいんだよ、取らせておけ」
そう。港はくれてやる。
ろくな防御施設もない場所だ。さぞ守りにくく、維持しづらいだろう。
敵が懇切丁寧に戦果を強調したとしても、そこはただの死地。棺桶代わりでしかない。顔良はある程度敵兵が充満するのを待ち、一気呵成にこれを殲滅するつもりでいた。
「先手は確か……于禁とか言う奴だったな。ふん、兵法の常道を踏まえただけじゃあ、この顔良様には勝てねえぜぇ」
「あああ、本当にいいのでしょうか……この高幹、心配で心配で」
「うるっせえなあ。いいから騎馬隊の準備を進めておけ。せっかく若――いや、殿が新しい馬具を付けてくださったんだ。ここで使わんかったら合わせる顔がねぇぞ」
「か、かしこまりましたぞ!」
普段は統率力が高く、粘りのある戦いが売りの高幹だが、プレッシャーに弱いという欠点がある。
勝勢においては蟻一匹通さぬ布陣をするが、守勢に回ると浮足立ってしまう。
人選大丈夫かいな、と顔良は顔をしかめはするが、今ある手札で勝負するしかないのは変わりない。
「伝令です! 白馬港の旗が『曹』に変わりました。敵の制圧が完了した由」
「じゃあボチボチ俺らも動くとするか。容赦しねえ、草も木も、空気すらも真っ赤に染め上げてやる」
常人が持つには重すぎる槍をくるくると回し、顔良は兵士たちが揃う広場へと降りていく。
その顔は狂気にして陽気。
一大決戦を前に控えた、武人としての喜びの笑顔だった。
◇
――曹操軍 于禁・李典
「案外脆かったな。というより、守る気がなかったか」
「左様ですな。于文則殿、是より如何なさるおつもりか」
落ち着いた雰囲気を醸し出す細身の男は、食ってかかる同僚をいさめる。
「至急港の内外に防御陣地を築くのが得策だろう。曼成殿には外部をお任せしたいのだが」
「そうですな! 一刻も早い設営が望まれる次第。この李曼成、早速行ってまいりますぞ!」
落ち着きのない副将――李典は足早に于禁の前を辞し、手勢を連れて港の外へと向かう。
猜疑心溢れる李典は、罠や伏兵の発見に優れている。また、拠点防衛の専門家でもあった。
「やれやれ。孟徳様がお越しになる前に戦果を出せたのは良いが……。逆撃されると厄介極まる。ならば一計講じておくのが得策か」
于禁は己の部下を呼び寄せると、何事かを耳打ちする。
戦とは真正面からぶつかるだけが花ではない。影に潜み、傀儡の糸を張り巡らせることも肝要なのである。
「先手必勝。機先を制し、白馬城砦に一泡吹かせてくれよう」
青い直垂を翻し、于禁は自らの幕に入る。
従軍している参謀に荀攸・程昱。
曹操軍において智慧の体現とも呼ばれる彼らは、于禁と共に更なる深き策を練る。
「于将軍。この港は防御するに適せぬ場所なのは明白。であれば、ここは一つ、某の案をお使いいただけないでしょうかな」
「程先生のお考えを頂けるとは重畳です。さて、袁家の旗をどのように駆逐してやりましょうか」
「一般的には兵はまとめて運用するのが基本です。恐らく敵も我らが一つの軍集団であると認識していることでしょう」
「ほほう……つまり……」
程昱は眉一つ変えず、己が策を披露する。
袁紹軍白馬方面軍と、侵攻した自軍との戦力はほぼ拮抗状態。であれば、相手も相応に警戒をしているはず。
「敵の馬鹿正直な大戦につき合う必要性はありますまい。古来より、囲んで殴るという戦法が負けた例はないのですからな」
「――なるほど。敵地でそれを遂行されるか。面白い、程先生の案を採用するとしよう」
万が一失敗しても、それは于禁の失態にはならない。
表面上は懐深く見える彼だが、その実は姑息な小心者である。
「ねーねー、于将軍。ヒゲのオッサンは今なにしてん? 俺らの軍議に出せとはいわねーけどさー。姿は見える場所に置いといてくれないとなぁ」
「そうですな。荀先生の言ももっともです。ですが、あの男は頑固一徹に過ぎましてな。我らの言葉は届きますまい」
「それって危なくね? まあ、俺がジッサイに戦うわけじゃねえからいいけどさー」
「善処しましょう」
于禁たちの心配をよそに、話題の男は泰然と床几に腰かけている。
白馬港の要塞化を突貫工事で行っており、その目付として鎮座しているのだ。
「姉者……翼徳……。我が半身を早く見つけなければならぬ。しかして恩義も返さねば。袁紹にはなんの恨みもないが、我が偃月刀の錆に……せざるをえまいか」
眼光鋭く、双眸を見たものは悉く震え上がるほど。
険しい顔には不服と懊悩の皺が刻まれている。
「うむ。今は出来うることを着実にこなすか。敵将顔良……如何なる猛者であろうか」
武人としての血は騒ぐ。強敵を目の前にし、関羽は体の滾りを感じていた。
懐から取り出したのは、桃の木でつくられた割符である。
願わくば同年同月同日に死なん。
あの日の誓いは、いつまでも関羽の胸にある。
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