第72話 おい袁煕、ちょっとツラ貸せよ
文醜と高覧を向かわせ、十日ほど経過した。
袁家本隊を率い、一路北平へと進める道中に朗報が飛び込む。
夕暮れ時、陣地設営を終えたときのことであった。
「伝令! 伝令でございます! 顕奕様はどちらにおわすか!」
「止まるのです! 顕奕様はただいまご就寝されております。ご用件はなんでございましょうか」
マオの声が鈴の音のようにころりと響く。澄んでいて、そして爽やかだ。
しかし口調は厳しくもある。当然のことながら、間者がどこに潜んでいるのかわからないし、この伝令も偽物である可能性がある。
そして何を隠そう、俺は寝ていない。
バリバリの戦闘モードで待機している。
まあ周囲には『病弱』で『日中寝込む』男として喧伝してんだけどな。これで釣られてくれれば御の字よ。
マオの身辺チェックが終わったのか、俺の帷幕に一人の兵士が通される。
俺の右には陸兄弟。左には張郃将軍が控えており、守りは鉄壁だ。
「ご、ご報告申し上げ……ます」
「うむ。伝令ご苦労さんだ。今丁度軍務について話しをしていてな。剣呑な雰囲気なのは見逃してくれるとありがたい」
「それはようございました。てっきり斬られるものとばかり……」
割とノリのいい伝令だった。
見れば低身長ながらも筋骨隆々で、眼光は射抜くように鋭い。
そりゃこんな人物が転がり込んで来たら、マオも最大レベルに警戒するわな。
「では報告を聞こうか。北平のことかな?」
「左様でございます。文・高両将軍が北平を陥落せしめたと。更に烏桓族と協力していた鮮于輔殿も袁家に降りました」
「ふぃーっ、どうにか思惑通りに運んでくれたか。それで、奉孝先生と田豫殿は?」
「そちらも無事に入城した由にございまする。現在殿をお迎えするべく、城内の清掃をしておられるようで……」
城内の清掃か。あれはキツいよな。
衛生を一定以上に保つには必須事項なのだが、どうも戦後の死体処理ってのは心にクるものがある。
常に嘔吐感と戦いながら、涙目で様々なブツを片付けるのだ。
「はい……それはその……。文将軍の部隊がですね……自由に戦われていたので」
「あ……そうね。それは大変ですね」
臓物パーティーを開きながら、血液と汚物でアーティスティックな絵画でも描いているのだろう。
SAN値真っ逆さまな作品を見せつけられてはかなわない。安全が確保できているのであれば、ゆっくりと進軍しようかな……。
そんな優柔不断を叩きつけようとしたときに、突然帷幕の入り口から人が。
「話は聞かせてもらったぞ、顕奕よ!」
「お、御父上! なぜこちらに。お申し付けくだされば、俺の方から出向きましたものを……」
「なぁに、たまには息子の顔を見て、驚かせたくなってな。それで顕奕、北平には儂が向かうことにする。お主は南皮に戻り、北海攻めを図る顕思の補佐をせよ」
この物言いに、隣にいた陸遜が眉根を寄せる。
何かを言いだそうとしているようだが、袁家の頭領相手に進言してよいのかどうか、躊躇っているらしい。
「御父上が自ら赴かれるというからには、この顕奕に否はございませぬ。ですがその理由を開陳していただくことは可能でしょうか。この通り、新しく側仕えにした壮士たちも気になっていることでしょう」
「才気活発でよい士であるな。よかろう、では内情を告げる」
大領地を持つ袁家の威光を、俺は舐めていたと言わざるを得ない。
生き馬の目を抜くような世界において、人の上に立ち、人を動かし、人に食い扶持を与えることの、どれほど難しきことか。
「顕奕。貴様の言の通り、南方――黄河を挟んだ中原においては曹家のこせがれが台頭してきおったわ。呂布を破り、袁術を破り、陶謙をも破った。その勢いはこの河北にまで伝わること、これ明白である」
「やはり……そうなりますか」
「うむ。故に後背地である北平の安定は、南部からの侵攻を食い止めるためにも絶対に必要なことである。ここで襄平公孫氏や烏桓族との交流を得て、味方にすることができれば安寧は確かなものになるだろう」
「真正面に兵力を集中させるには、彼らとの融和は必須です。それにうまくいけば北方の弓騎兵を手に入れることも出来ましょう」
うむ。
うむしか言ってないパパンだが、マジで必要なことだから異論はナッシング。
鄴都から動かぬはずだった袁紹が出陣。そして北平で各豪族たちと和議を結べば、どれほど有利に働くことだろうか。
白馬義従ならぬ袁家義従なんてもんが出来るかもしれない。
この時代において、一撃離脱戦法を自由に操れる弓騎兵は稀有な存在だ。
陸戦においては曹操はガチで鬼。クソ強将軍と命知らずの黄巾上がりの兵。そして優秀なブレーンたち。
人材集めのマニアでもあるのだから、始末に負えない。
層の厚さはまさに複合装甲。アハトアハトでも打ちぬけんよなぁ。
「では私は南皮にて北海攻略の支援を……でしょうか」
「確かにそれもある。しかしお前に見定めてもらいたい人物がいるのだ」
「人物ですか……登用するべき傑物なのでしょうか」
「何とも言えぬ。言えぬのだ」
なにそれ怖い。
割と楽天家な方であるパパンが、言い渋っている。
一体どんな輩が待ち受けているのだろうか。もしかして、直接会うのが恐ろしくて、俺に丸投げしてきたんじゃなかろうかと思うほどに怖いわ。
「顕奕。北平には袁家の旗が立ち、いずれ河北全域に翻ることになるだろう。黒山賊も勢いが落ち、顕甫が順調に討伐を続けている。それゆえに足元を固めるのだ。決して崩れぬようにな」
「は、はい……。で、その人物の名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「彼奴の名は――」
◇
――劉備
ここまでは順調……と一息つく。
自らの何に惹かれたのかはわからぬが、趙雲子龍なる豪傑も手駒に出来た。
劉備は自らに宿る強運に感謝の念を抱くが、それも一瞬のこと。すべては自分に都合の良いほうに動くだろうという傲慢もあった。
「玄徳公、南皮はこんなにも栄えているのですね……。戦乱で荒れた中原とはまるで違う……いえ、異質すぎる」
傍らで槍を持ち、馬に跨る趙子龍が感嘆のあまりに目を剝いていた。
生粋の武人である趙雲ですら、この異常な光景に驚きを隠せないのだろう。
「これも袁家の徳があってこそですよ。我々もこれからは人民の幸福に貢献できるよう、徳を積んでいかねばなりませんね」
「……然り。我が槍は玄徳公と共に」
「ははは、よいのです、よいのです」
よくねえよ、と劉備は歯噛みする。
自分たちが泥水を啜り、なんだかよくわからん食い物を胃に納めているときにのほほんとしやがって、と。
整然とした街並みに、活発な商業。子供たちが元気に肥え、婦人たちは談笑に華を咲かせている。
何よりも厠や畜生の糞の香りがしない。
一体どんな方法をとったのか不明だが、少なくとも南皮の街並みは、今まで劉備が見てきた光景の遥か上に位置していた。
(袁譚が治める平原とは格が違う。この南皮は確か、暗愚な袁煕が大将だったか。よほど有能な人材が補佐しているに違いない)
ならばソイツ、もらっちまうか。
劉備は目を輝かせる。
欲しいものは手に入れないと気がすまない。筵を織っていた頃からそうだった。
どうして何の知恵も徳もない輩が、俺よりも上の地位に居るんだ。
どうせ誰かの七光りか、人脈か何かだろう。
上昇思考は高いが、身分の低さと低所得からは離脱できないでいた。
その嘆きや恨み。そして妬みの力が乱世でのし上がるだけの原動力になったと信じていた。
劉備は自らを表現するにあたり、大徳として売り出すことにした。
これがまた、大いに当たった。
太平道の教祖・張角になびいた人民なのだ。救いの手を欲しているに違いない。
ならば自らが大徳と称し、天下万民のために仁の世を創ると謳えば、人は集まってくるだろう。
待つこと数日。
待ちに待った、踏み台が玄徳の前に現れる。
「玄徳様、南皮の太守である袁煕殿より招聘の使者が参っております!」
「そうですか。丁重にお迎えいたしましょう」
劉備はいつもの柔和な笑みで、自らの兵士を慰問する。
よいのです、よいのです。
さあ我が前にやってこい。骨の髄までしゃぶってくれようぞ、と。
ちろり、と赤い舌を唇になぞり、劉備は温厚で人徳のある仮面をつけた。
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