第45話 何がすげえって、あの郭嘉を驚かせたんだぜ?

 下水工事の奉行を交代することにした。

 郭嘉の無駄遣いはやはり軍務に差し障りがあると思い、後任には荀 諶先生を当てることにした。


 袁家肝入りの総工事に対して、大層な意気込みを感じてくれていたので何より。

 まぁ、こいつも郭図系のやべーやつで、韓馥を強請ったメンツの一人なわけよ。


 口八丁でうまく切り抜けるテクニックを、内政方面でも発揮してもらいたいという俺からの昇進辞令だぞ。はいそこ、パワハラとか言わない。


「若……いえ、殿! この荀 諶、必ずやご命令を達して見せましょうぞ」

「うむ、事が成った暁には、荀 先生のお名前は未来永劫、石碑に刻まれて残ることでしょう。期待しておりますぞ」


 あながち嘘ではないよな。

 この時代に大規模な地下型下水工事してんだから、そりゃ後世の人が目ん玉ひん剥いて驚くと思うよ。


 南皮から五キロほど北に向かった場所へ、新たな下水処理専門の村も建設中である。いわゆる3K職業だが、住むともれなく仕事と割高報酬がついてくる。

 一瞬ジャパニーズ穢れ思想が出ないかどうか心配したが、流石中国人、商機と見るや動きは迅速だった。


 村へと物資が連日運び込まれ、多くの人々が行きかう。

 河北の豊かな経済力と文化に畏敬の念を抱かずにはいられないほどだった。



 さて、だよ。

 今日は郭嘉が南皮城に戻ってくる日だ。

 俺は彼との間に約束がある。即ち、二千年後の未来を見せることだ。


 用意したものは三つだ。

 果たしてこれらで満足させることができるのか不安だが、厳しい工事奉行の初動を受け持ってくれたのだ。俺も信義を果たさねばならないね。


「顕奕様、郭奉孝先生がお見えでございますよ!」

 猫のような髪飾りを揺らし、マオが丁寧かつ元気よく到来を告げてくれた。


「お、そうか。じゃあ庭園の席にご案内しておいてくれ。茶と菓子も忘れないように頼むよ」

「お菓子……いえ、かしこまりですよ! マオに万事恙なくお任せくださいませ!」


 よしそれじゃあ行くか。

 出でよ、俺の新兵器。曹操軍改め、袁紹軍随一の智謀の士をビビらせてやる。


――


「ふむ……南皮の臭いも些か軽減してきたようだな。この郭奉孝の先を行くとは、殿の慧眼はやっぱすげえッスな」


「待たせてしまったようだな、奉孝殿」

「お、噂をすれば」

 立ち上がり、衣冠を正して拱手をする郭嘉。それにうむ、ともっともらしくうなずき、着座を勧める。


「何はともあれ、工事奉行の任、お疲れ様。やっぱ大変だったよな……?」

「いやいや、あんだけ精巧な図面をもらえたんスからね。金はあるわ、人は居るわで、随分楽させてもらいましたよ。引き継いだ荀 友若も最初はくせーくせーと文句たらたらでしたが、日に日に完成してく水路を見て言葉を失ってましたしね」


「であればよかった。さて、今日庭に来てもらったのは他でもない。以前に約束した二千年後の未来を共有しようと思ってな。マオ、一と書かれた紙の貼ってある物品を持ってきてくれ」

「合点承知でございますよ!」


 しゅたたた、と快音を鳴らしてマオが駆け去っていく。

 それを見送る郭嘉の目は、今までにないほど強い輝きを放っていた。


 戻って来たマオは、俺に一礼すると喫茶机の上に二つのものを置いた。

 ジ・オーパーツ。郭嘉の目には両方の手作り感あふれるモノが、煌めきを放っているかのように映っているのかもしれんね。


「ふむ、まずこちらからお見せしよう。どう思うか感想を述べてくれ、奉孝殿」

「はいきたきたきた。うっひょー、なんスかこれ! 今までに見たこともねー形ですわ。ふんふん、これはかなり上質な紙で作られてますね。うーん、こう言う風に折ってあるのは何か意味が……」


 思考の迷路を楽しんでいる郭嘉を横目に、俺はマオに『二』と書かれた紙が貼ってある壺を持ってくるように伝えた。


「これ、まさか手に持って……使う? いや、どうやって……おいおいおい、まさか、まさかだよ。殿、こいつぁ例の……」

「未来を見せるとお約束したので。この道具は斯様にして楽しむものなんですよ」


 やや蒸し暑さを感じさせる午后の風は、遥か先にある人類の夢を乗せることになった。


 紙飛行機は子供の玩具だと、誰が決めたんだろうかね。

 現代では当たり前のように存在しているものでも、三国時代の人々、それも賢者の目に留まれば新しい意味を生じさせる。


 俺はそっと庭園に、紙飛行機を投げる。

 時折顔をのぞかせる陽光に照らされ、人類が得るべき翼は今中華の地に芽生えた。

 一定の距離を真っすぐに飛行した紙飛行機は、やがて重力に負けて大地へと落ちる。だが側で観察していた人物の頭脳にも、大きな落雷の如き衝撃を与えたようだ。


「お、おおおお……こ、こ、これ……は……いや、やべえっすわ。殿、なんで先に見せてくれなかったんスかね……。はは、膝が大爆笑しちまってる」

「お気に召してもらえただろうか、奉孝殿」

「殿、貴方はご自分がどんだけの偉業を成したのか理解して……いや、そうっスね。ええ、満足したのと同時に、大不満でもありますよ。これ、もっと改良できますよね」


 ブルーギル並みの食いつき速度で、ややかぶせ気味に言葉を紡いでくる。

 郭嘉は紙飛行機を自分でも飛ばし、なるほど、とか、ここをこうすれば……などのワードを共にして、研究モードに入ってしまった。


 一応元の世界では、紙飛行機を60メートル以上飛ばしたというワールドレコードが残っているそうだ。人類の英知ってのは地道に研鑽されてきているんだね。


「これを木片で創作できなッスかねー。いや、もっと仕組みを分析してから……なるほど、この翼に当たる部分が、天から落ちることを防ぐ絡繰りになっているのか」


 まあ気持ちはわかる。

 小説大好きってひとに、辞書と一緒に本を千冊ほどプレゼントしたら、テコでも動かなくなるよね。

 郭嘉は間違いなくその手合いだ。


「まあ奉孝殿、そう根を詰め過ぎず、こちらで茶でも一服いかがだろうか。今日の茶請けは絶品ですよ」

「ブツブツ……これがこうなって……え、なんかおっしゃいましたかね。今ちょっと忙しくて……」


 爆弾第二号を差し上げようか。

 研究に没頭する人物を動かすのは、金でも名誉でも忠義でもない。

 それは新たな知識だと思う。


「それは残念ですな。それじゃあマオ、一緒に食べようか」

「そ、それは畏れ多いですよ! でも……その……」

「結構多めに作ったからね――」


【この未来のお菓子】


 だるまさんが転んだをプレイしてるときに、たまにいるよね。えげつない速度で後ろ振り返ってくる鬼さん。

 今の郭嘉がマジでそれ。


「殿……今某の耳に、聞き捨てならない言葉が飛び込んできたんスけどね……」

「ああ、一緒に食べよう。この未来の甘蔗かんしょ菓子を」


 古代インドでは紀元前二千年以上前から、砂糖の存在が明らかにされている。

 中国にも四川省や雲南省などに伝播し、江南の地域へと広がっていった。


 三国時代より100年ほど前には『神農本草書しんのうほんぞうしょ』と呼ばれる薬学書が出現した。この中に、砂糖――主に甘蔗から抽出されたものを乾燥させ、薬として服用していたことが示されている。


 寒の味と評され、体の熱を下げる効果として期待されていたようだ。

 そしてサトウキビ栽培は人民の大きな利益になるやもしれぬ、との注釈もついているほどである。


 あるんだったらさ、取り寄せればいーじゃん説。

 江南は廬陵の地より、袁家の唸るような金で顔面を殴打して持ってきてもらったよ。九江から船便にて、南皮の南東にある楽陵港へと直送だ。


 砂糖、そしてケシの種。他には拡販するための銅製の大鍋を用意すればあら不思議。信長さん御用達の、例のアレが出来るって寸法ですよ。


 ボリボリ、と咀嚼する音が木霊する。

 心なしか郭嘉の顔色が悪い。口に運んでは次を食べ、しげしげと観察もしている。


 恐らく今日、この時をもって、中華の歴史が一歩前進したんだろう。

 揚力の証明、そして金平糖の破壊力。


 郭嘉が血眼になって凝視している未来の品々を、この河北で花開かせてあげて欲しい。多くの利益と多くの犠牲が出るかもしれない。だが、時計の針を爆速で進めることにより、必ず官渡の戦いで勝利する。


 きっと俺に憑依された元袁煕君も、不本意な未来はこりごりだろうからね。

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