第20話 流言飛語
弱点を突くとすれば知力や政治力の低さを利用して、流言を流し、忠誠度と人心を張燕から切り離すことが比較的容易だと想像できることだ。
目下釈迦力になって辣腕を振るっているのは、
現代の小説家も、みな陳琳のように苦労しているんだろうか。
「陳琳殿、陳琳殿」
若い文官が俺の到来を告げるが、まったく耳に入っていないようだ。
「ふぬぐぐぐぐ、まだだ、まだ毒が足りぬっ! 言葉の持つ影響を、威力を、破壊力をもっと滲みださせないといかん。おおそうだ、そこの者、使いに出てくれぬか」
え、俺? 陳琳は振り返らずに肩越しから指をさした。その先にいたのは文官ではなく俺であった。まあこれも面白いか、最近軍議ばかりで脳が溶け出してきたころだしな。俺の反応が現場猫レベルに落ちないように、別の行動を取るのも悪くない。
「承知いたしました。それで何をご用命でしょうか」
「うむ、毒じゃ、毒物を持ってまいれ。筆に
「えぇ……」
口調はいたって真面目で、むしろ切羽詰まってると言ってもいい。こやつ、ガチぞ。せっかくの
「恐れながら、毒をお飲みになっても名文が生まれるとは限りませぬ。お体に害が広がる方が早いかと」
「だまらっしゃい! よいか、人と同じことをしていても凡俗な結果しか表現できんものだ。肉体と魂が分離する刹那に見る輝きこそが、多くの者の目を引く文書となる。ええい、早く持ってこい! そうじゃ、銀の毒がいいな、あれならば飛べそうじゃ」
銀の毒とは砒素のことである。
服用したら当然グロい結果になるので、そろそろ正体を明かしてやめさせよう。
「陳琳殿、俺です、
「げえっ! いや、コホン……失礼いたしました。このようなむさくるしいところに足をお運びいただけるとは、この陳琳、寿命が延びる思いですぞ」
いや、今死のうとしてたよな。
この時代の人間は命を紙のように投げ捨てるのよね。覚悟が違うんだろうか。
「とにかく銀の毒は禁止です。他の毒もです。陳琳殿には長生きをしていただいて、世に多くの作品を生み出してもらいたいのですから、ご自重ください」
「若様にそう言われましたら、是非もございませぬな。少々創作に行き詰っておりまして、危うく暴挙に出るところでございました」
敵軍を煽り、離反させる文章ってのはインスタントには出来ないだろう。頭脳労働を任せてしまって恐縮だが、頑張ってもらいたいものだ。
「若様、こちらをご覧ください」
渡されたのは張燕と民衆との間に楔を打ち込む檄文だ。
『黒山と称した賊徒は、民から四割の米を安全費用として受け取っている。だがそれは適正な量ではない。村の場所、村長とのつながり、従順さによって税率が異なっているのだ。現に
ふむふむ。上手く周囲の村同士から対立を煽っているんだな。直接黒山賊に干渉するのではなく、統治している民同士を疑心暗鬼にさせるのか。勉強になる。
『――その妖しく開かれた密壺からは、かくも
「それは某の私文書でございますな。お忘れくだされ」
「……おい」
こいつが知恵熱出るほどに気張ってたのは、三文エロ小説書いてたからなのか?
この大事な一戦の前に、お前……。
「陳琳」
「ハッ。何か」
「これは没収だ」
「……使用後にご返却くだされ」
密約は成った。異常はない。ヨシ!
――
さて、袁顕奕の家宝第一号になるはずだった極秘文書は、気配を殺して見守っていたマオに速攻で没収された。
「顕奕様! 不埒です、不潔です!
「いや……それはそれでいかんでしょ」
この時代、侍女に手を付けるなんてのは日常茶飯事であり、当然マオもある程度の覚悟はしてきているのだろう。
けど無理ッス。
自室で報告の竹簡に目を通していると、面白い内容を見つけた。
『黒山賊の統治下にある村々で、反乱の兆し在り。数手で詰みに至る』
辛毗が人心を切り離しつつある報告だ。賊徒討伐でも十分な大義名分だが、住民の保護となれば更に盤石な攻撃理由になるだろう。
不満を爆発させ切らず、人死にが出ない程度に非協力態勢を築いてほしい。
「頃合いか。決起でもされれば多くの者が死ぬ。あとは呂威璜に任せた作戦が機能すれば……」
一度離れた心を取り戻すのは至難のわざだ。日本でもやらかしをした企業が、デジタルタトゥーを刻まれて、いつまでもぶっ叩かれるのと同じだ。ましてや官の高札以外に、伝聞や風評でしか情報を得られない時代である。張燕もさぞ慌てているに違いない。
「さて、自作自演策。上手くいくかな」
俺は
それは実に単純なもので、黒山賊に偽装した兵士が村を襲撃し、死人を出さない程度に略奪や破壊行動をさせている。
散々暴れた後に、春卿率いる袁家の軍が駆けつけてきて、村々を救い出すという作戦だ。その場で賊役の兵士と剣舞をして捕らえる。
村の惨状を憐れに思った春卿は、持ってきた物資を与えて、華麗に去っていくというものだ。
本隊が行軍するまでには村々を味方に引き入れておく必要がある。
現地での情報や案内人の価値は計り知れないほどであり、安心して軍を駐屯させることが出来るエリアを確保出来るのも大きい。
「これで平地には軽々と出てこれなくはなるが、さて山狩りは上手くいくのかね」
もしかしたら決死の反撃があるかもしれない。だがそれを許してしまうと両軍に大きな犠牲が出てしまう。
心を攻めるを上策、城を攻めるは下策と
「火だけは使わせてくれるなよ。マジで」
袁家からすれば敵軍の殲滅は必須なのだが、俺は黒山賊を皆殺しにするつもりはない。できれば兵力に組み込みたいと思ってしまうのは、俺が甘いからだろうか。
――
数日後、俺は村の怒りが限界に達したとの報を受けた。
「時は満ちた。討伐軍全軍に進撃を命ずる」
もう引き返せない、いやとっくにレッドラインは超えていたか。
戦うからには必ず勝つ。さもないと多くの仲間が死ぬ。
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