袁煕立志伝withパワーアップセット おい、起きたら妻がNTRられる雑魚武将になってたんだが。いいだろう、やりたい放題やってやる!

おいげん

195年 袁煕転生

第1話 目が覚めたら袁煕だった

 家賃四万のおんぼろアパートの扉を開ける。

 ほのかに煙草の臭いが残る小さな部屋だが、大事な俺の城だ。


「あぁぁぁぁもう無理、残業時間おかしいでしょ!」


 コンビニで買った缶ビールとイカゲソの入った袋を持ち、俺は幽鬼のようなふらつきを見せながら、ベッドにダイブする。

 スーツは……Yシャツは……クリーニング行かなきゃな……。

 

 ああ、何もかも面倒くさい。昔みたいに三国志ばっかり読んでいた、あの頃に戻りたい。そのままドアに鍵もかけず、俺は目を閉じる。


 昔はよかった。

 同じ三国志マニアの友人たちと三人で、夜を徹して遊んだ。

 三人とも同じ女子を好きになり、順番に告白しては次々と振られたのもいい思い出だろう。

 そんな悲劇を『桃園の誓い』などと呼んで笑いあっていたものだ。


「今はみんな、なにしてんだろうなぁ……またあの三人で遊びたいなぁ……」

 疲労がやばい。もういい、このまま寝よう。


 霞がかった思考は停止し、俺は意識を手放した。


 ん、ここはどこだ?

 目が覚めた俺は、雲海の中にいた。周りはちぎれ飛ぶ白い雲が流れ、晴天と日光が降り注いでいる。


「気がついたか、稀人まれびとよ」

「だ、誰ですかっ!?」


 年老いた男性の声が聞こえる。

 え、まって、なにこれ。夢? 夢なのかな?

 頬をつねろうとして気がついた。自分の体が透けていることに。


「ほっほっほ、大丈夫かの、稀人よ。お主は運がいい」

 姿を現したのは、杖を手にし、白い導師服を着た老人だった。頭がぬらりひょんのように出っ張っている。


「儂は南華老仙なんかろうせんと呼ばれておる世捨て人よ。よかったのぅ、お主。このまま地獄の鬼どもに誘われるとこであったぞ。まあ追っ払ってやったがの」

「え……は、はあ……。ありがとうございます。それで……その、もう大丈夫ということでしょうか」


 老人は悲しそうに、そして少しだけ愉快そうに首を振った。老人の諦めろという表情に、俺は猛烈に嫌なものを感じた。


「お主の魂は既に現世より切り取られてしもうた。残念ながら元の生活に戻ることはできぬじゃろう」

 白くて長いあごひげを撫でながら、老人は俺を見据えてくる。


「もし生きることに未練があるというのであれば、世界に名を残してみんかの」

「待ってください。そんな、俺はもう死んでるんですか? それに名を残すだなんて大それたこと、考えたこともありませんよ」


 身振り手振りで必死に抗議してみるが、体は透けていくばかり。

 もう時間がないのか……?


「お主は輪廻の輪より外れた。このままでは完全なる無になってしまうのだ。儂に残った最後の力で、新たな人生を歩ませることが出来る」


 俺の体はもう輪郭すらあやふやで、光の粒子が散るように、風にさらわれていっている。断る手はない……か。


「わかりました。是非お願いします」

「お主ならそう言うてくれると思ったわい。では目を閉じるがよい。あるべき環から外れた、不幸な世界を頼むぞ、稀人よ――」


 南華老仙と名乗った老人の姿は掻き消え、代わりに小さな黒い穴が残った。

 俺は砂塵が吸い込まれるように、黒点に向かって身を託すことにした。


 ひく、と鼻がなる。

 アップルパイに入っているシナモンのような香りが漂っていた。

 そして煙い。ついでに猛烈に喉が痛い。


「ぶえっくしょいっ! あいててっ」

 大きなくしゃみを一つかましたのだが、反動で寝床と思しき場所に頭をぶつけた。

 固っ! そして滅茶苦茶痛えっ! 

 くそ、どこだここは。俺はいつの間にこんな板の上に……これベッドなのか?


 よくよく見れば中華風な四つ足の寝台だ。曲線を描く足と、直線で描かれる飾り彫りが美しい。かなり手間暇かけて作られているに違いない。


「あの爺さん、南華老仙……とか言ってたよな。確か黄巾族の首領である張角に、太平要術の書を与えた仙人だったような。まさかな、馬鹿らしい」

 

 あたりを見回してみる。

 そして目を押さえる。


「窓の格子が、中華料理のどんぶりとかについてるマークになってんだけど、えぇ……まさかな」

(※堀飾りの格子窓は『宋』から。ここでは中華風の味付けです。

 

 猫足のように丸く反り返った脚の机に、簡素な木製の椅子。部屋は殺風景だが、一点だけ目を引くものがある。

 蒼の香炉からはもくもくと煙が立ち込めている。


「シナモンくっさっ! って、これは肉桂の香か……燻製にでもなるつもりだったのか?」

 香炉の蓋を閉め、俺はかろうじて姿が映る銅鏡を見る。


 改めて見た自分の姿は、知っている顔ではなかった。

 どうみてもアジア系の容姿だ。黒髪に黒い瞳、そして黄色人種特有の肌色。

 なんとも頼りなさそうな覇気の薄い風貌の上に、自分を大きく見せようとしているような、ちょび髭が生えている。

 これは舐められる顔ですわ。


顕奕けんえき様! 顕奕けんえき様! お目覚めでございますか?」

 白い麻の服を身にまとった、あまり化粧っ気のない少女が現れた。


「ああ、よろしゅうございました。顕奕様、お支度をなさいませ。御館様がお戻りに数刻後にはお館様がお戻りになられます!」

「あの……君は……?」


「夢心地のままでございますか? 侍女の鈴猫リンマオでございますよ。お忘れになられるのは悲しゅうございます、顕奕様」

「あ、うん。ちょっと思い出してきた……かな……」


 ぜんっぜんわかんねえ。

 誰こいつ。そして誰、俺。ケンエキなんていうやつ……は……あれ?


「リンマオ……さん」

「さ、さんをつけられるほど、猫は身分が高くのうございます。どうぞ呼び捨てくださいませ」

「あ、はい。じゃあえとマオ、すまんけど一つ聞いていいかな」

「はい。何でもお聞きくださいませ」


「俺、誰だっけ?」


「はうあああああっ! け、顕奕様、顕奕様がっ!」

 

 目に見えて焦るマオは、もう幽霊に近いような顔色になっていた。

 まずったか。変な質問してしまったかもしれん。もうちょい無難なことを言えばよかったかな……。


「いや、ちょっと朦朧としていて。すまんがマオ、教えてくれないか」

「おいたわしや顕奕様……わかりました、不詳この鈴猫、顕奕様のご勇姿を述べさせていただきます」


 目の前で拱手こうしゅ—―古代中国式の、胸の前で両手を重ねる挨拶—―をし、口を開く。


「生地は豫洲汝南よしゅうじょなん、姓はえん、名は。字を顕奕けんえき。漢朝に三公を輩出した、名門袁一族本家の第二子様でございますよ」


「袁……煕……って、袁煕……なのか」

「猫にはわかりかねますが、袁顕奕様はこの世にお一人だけでございますよ?」

 はてな、と鈴猫は首をかしげている。

 肩口で切りそろえられた髪がさらりと揺れ、頭の飾り物がまるで猫の耳のようにも見える。


 袁煕えんき、字を顕奕けんえき

 こいつ三国志でも屈指のヘタレ武将として有名だ。

 優柔不断にして小心者。妻に傾国の美女と呼ばれる漢の名門、しん家の娘である甄氏しんしを娶る。


 だが幽州刺史として中国の北部に赴任するにあたり、妻である甄氏が着いてくることはなかった。

 曹操に甄氏の住む鄴を攻め取られ、甄氏は曹操の息子である曹丕に見初められ、結婚することになる。

 要はNTRを食らう、軟弱男がこの袁煕という武将だ。

 ついでに言えば、逃亡先で弟と一緒に捕縛され、斬首される。


「は、ははは……」

 

 ちくしょおおおおおおおおおっ!!

 駄目じゃねえか、これ! 

 死亡フラグがバリバリ立ってる上に、脳が焼かれる運命が待ってるじゃねえか!


 俺が頭を掻きむしっていると、突如聞きなれない電子音のようなものが鳴った。


【パワーアップセットがインストールされました。起動しますか?】


 なん……だと……。

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