あの日、あの瞬間
白黒羊
一期一会
「シフト代わるよーおつかれー」
俺ら3年D組の文化祭の出し物であるわたあめ屋の交代時間だ。
「お疲れーっす」
そう声を掛けつつそそくさとバックヤードを抜ける。相変わらず誰に返事を返されるでもなく俺のシフトは終わった。
さて、俺は暇になってしまった。高3の参加は任意であり俺は人手不足のために呼ばれた手伝わされているだけだ。そういうわけで連れもいないので本当に暇なのだ。終わりの点呼までは帰るわけにもいかない。ましてやカジノやお化け屋敷に一人で入れるほど俺のメンタルは強くない。
人気のない廊下を歩き回りながら図書室の前を通りかかった時だった。パンフレットを凝視しながら突っ立っている一人の女性がいた。放っておこうとしたが、俺はある事を思い出した。もう無視はできない。俺は女性に声を掛けた。
「お困りですか?」
女性は顔を上げた。つばのついた白い帽子に丸眼鏡の綺麗な人だった。
「あ、そうなんですよ。私美術室を探していて…」
「あー、美術室なら確かに3階ですけど別館ですね。ここは本館です」
「別…館…」
女性の目が泳ぐ。
「よかったら案内しますよ。ついてきて下さい」
「いいんですか!」
顔の陰りがパッと晴れる。可愛いかよ。
「ええ、どうせ暇だったんで」
俺は微笑んで女性に背を向けて歩き出した。
本館と別館を繋ぐ渡り廊下は1階と2階にしかないので階段を降りている時だった。背後から女性に話しかけられた。
「誰にでもこういう事するんですか?」
「へ?いやまあ、道案内は初めてじゃないですけど…」
突然何言い出すんだこの人は。俺は軽く恐怖した。
「そうなんですか。優しいんですね」
「優しいだなんて…別に違いますよ。前に一度学校解放の時に困っていそうだったけれど教室移動に間に合わせる為に素通りしちゃったことがあって、なんかその後すごく後悔したんですよね。俺の変な正義感みたいなものが許せなかったらしくて。ははは、だからその、優しくなんかないです。ただの自己満足ですから」
「いいじゃない。自己満足で」
「え?」
「それで誰かを助けているなら、自己満足でもいいじゃない」
俺は立ち止まって振り返る。
「でしょ?」
首を少し傾げたその人は窓から差し込んだ昼下がりの暖かい光に照らされていた。
俺は慌てて前を向いた。今は見惚れている場合じゃない。すぐに歩き出す。
「そこの階段を上がればすぐですから」
「ちょっと、早い」
振り返ると少し距離が開いていた。
「ああ、すいません」
いつの間にか早足になっていたようだ。
「ねぇ、もう一つ聞いてもいい?」
「何ですか?」
「あなたはどうして一人だったの?」
「それは…まぁ、友達には他の友達がいるってだけですよ」
「ふぅん。じゃあさ、今日一日私に付き合ってよ」
「へ?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまった。いきなり何を言い出すんだこの人は。
「いいでしょ?私にここの文化祭のこと色々教えてよ」
「えぇ…」
正直、ここまででもういっぱいいっぱいなんだけどなぁ…。
「暇なんでしょ?」
その言葉がグサリと刺さった。
「分かりました。いいですよ。どうせ暇ですから」
「やったー。ありがとう…えっと、君名前は?」
「齋藤…蒼です」
「アオイ君ね。よろしく」
「なんで下の名前なんですか」
「え?その方が良くない?」
「俺あんま好きじゃないんですよね。なんかほら、蒼って女子にもいるじゃないですか」
「苗字ってのはある種の不可抗力だけど、名前は家族に大切な意味を込めて贈られるプレゼントだよ?」
「はぁ…。じゃああなたの名前は?」
「私はカナ」
「よろしくです。…カナさん」
面倒くさいことになったなぁ…。
「着きましたよ。ここです」
「ありがとう。一度観てみたかったんだ」
「…?へぇ、そうなんですね」
「じゃあ入りましょう」
「本当に俺も行くんですか?」
「当然よ。今日はずっと一緒にいてもらうからね。あ、お手洗い以外だけどねー」
「当然じゃないですか!何言ってるんすか全く」
「わーい。ずっと一緒だー」
「…ちょ、そういう意味じゃなくてですね」
カナさんは美術室へ入っていった。渋々俺も後に続いた。
美術部の出し物は単純に作品の展示であった。部員それぞれが決めたテーマに沿って水彩画や油絵、版画など様々な作品があった。
「すごーい」
カナさんはずっと感嘆していた。それを横目に順に作品を観ていた時、一つの版画が目に止まった。題名は“枝垂れ桜”。普通ピンクの濃淡とかで表現するだろ、と思うところを白と黒の二色で表現している。花びらの一枚一枚が丁寧に彫られていて作品への熱意が十二分に感じられた。
「いいよね、その画」
気づけば隣にカナさんがいた。
「はい。なんか、不思議な魅力みたいなものがあります」
「ふふふ、そうよね」
「次はねー、どこにしようかなー」
美術室を後にして、カナさんはパンフレットを見て次の行き先を決めている。
「そういえばカナさん」
「ん?」
パンフレットから目を離すことなく返事が返ってきた。
「今日は兄弟か何かの出し物を見に来たんですか?」
「そうよ。妹のね。高一なの」
「へぇ。カナさんって何さ…」
そこまで言いかけて気づいた。女性に年齢を聞くのはまずい。ばあちゃんから厳しく言われてきたことだ。
「えっと、その、何サイズなんですか?」
「ん?」
「あっ」
脳内が真っ白になった。まずい頭が働かない。どうしよう。何か言い訳しないと。
「だから、あの…、服のサイズですよ服のサイズ。カナさん背高いじゃないですか。だからMなのかLなのかなって…」
カナさんを見ると、パンフレットから目を離してこちらを睨んでいた。目が合う。
「…いや、はい。あの、年齢を尋ねようとしましてですね、失礼かなと思って誤魔化そうとしたらもっと大変な事を口走ってしまいました。ほんとすいません」
俺は頭を下げた。上履きに書かれた齋藤の文字を見つめる。何だこの間は。気まず過ぎるだろチクショウ。
「19よ」
俺は顔を上げる。カナさんは笑っている。
「お姉さん、ちゃんと謝れる人は好きよ」
そう言って俺の頭を撫でた。
「ちょっ…」
俺はカナさんの手を払いのけようとして、やめた。
「すいませんでした…」
「うん。いい子いい子。アオイ君って、何組?」
「D組ですけど」
「そう。じゃあ次、高3D私、わたあめ食べたいな。案内よろしく」
「酷なことしますね」
「んー?口答えするのかな?」
「分かってます。行きますよ。高3Dですね」
性ワルな人だなぁ…。
「…入りますよ」
「もちろん」
高3の廊下を歩きながら、俺の羞恥心は限界に近づいていた。ジロジロ見るのはやめろ。俺だって恥ずかしいんだよ!そのくせカナさんはニコニコしてやがる。キツ…。
俺は入口の扉を開けて中に入る。うちのクラスは教室前方の扉が入口、後方が出口となっていて、入口を真っ直ぐ進むとカウンターがあり、そこで購入をする。購入後は教室内の席で食べるというルールだ。
この時はちょうど客が少なかった。列こそできていなかったものの、店員は暇なわけだ。妙に教室がざわついてやがる。
俺はズカズカとカウンターの前まで進む。幸か不幸か、この時間の店番は田中だった。よく俺と一緒にいるがクラスの誰とでも仲の良いお調子者。俺はコイツに呼ばれて店を手伝っていたのだ。
「私イチゴ味ね、アオイ君」
教室のざわつきは頂点に達した。
「アオイ君、凄いね君!」
いつもは齋藤と呼ぶくせにふざけやがってコイツめ。
「イチゴ味、二つ」
俺は真顔でそれだけ言ってトレーに二つ分の金を叩きつけた。
「えー、アオイ君他の味にしてよ。分け合いっこしよ?」
「それだけは絶対に嫌です」
「中嶋、イチゴとメロン一つ」
「あーい」
「おいてめっ」
「300円ちょうど頂きましたー」
「やったー」
「はぁ…」
俺は顔面を左手で叩いた。中指と薬指の間から田中を睨む。
「お客さん、うちのアオイとはどういった関係で?」
オオオッという歓声が上がる。何がオオオッだ、やかましい。
「えっとねぇー」
俺はハッとして隣のカナさんの顔を見る。目が合う。俺は目でやめてくれと訴えた。
「内緒」
カナさんはクスクス笑いながら言った。
「ほう。…お待たせしました。イチゴとメロンです。教室内で食べていってくださいね。それではごゆっくり」
俺達はわたあめを受け取った。そして席に着こうとして振り返った時に気がついた。
してやられた。教室の中心の席以外、空いている席が端へと寄せられている。
「お、ここ空いてるよ」
そしてカナさんはその席に座った。ゲームオーバーだ。
「いただきまーす」
カナさんはひとつまみして口の中に入れた。
「んー、美味しい!」
「よかったですね。…いただきます」
俺はそのままかぶりついた。こんなもの、形が崩れたやつを何個も食ったっての。
「さっき言った通りアオイ君の貰うからね」
カナさんは止める暇もなく緑色の雲をつまんで口に入れた。
「うん。メロンも美味しい」
「もう…なにやってるんすか…」
周囲の目が痛い。
「分かってるわよ。ほら、イチゴ味」
カナさんは桃色の雲を俺の前に差し出した。
「いいですよ。もうたくさん食べましたから」
「でも、私のわたあめはまだでしょ?」
こ…この人はッッ…。
「いただきます!」
俺は目の前のわたあめを急いでちぎり取って頬張った。
「どう?美味しいでしょ?」
「…はい。うまいです」
こんなに甘かったっけな、イチゴ味。
「凄い人ね」
クラスでわたあめを作っている時から高1Eの人気の話は聞いていた。どうやらかなり本格的らしい。来てみて驚いた。長蛇の列だ。廊下には30を超える椅子が並べられていて、座れずに立っている人もいた。
受付をすると、恐らく30分は待つ必要があると言われた。カナさんはそれでも入ると言った。俺達は列の最後尾に並んだ。
「私、一度入ってみたかったんだよね。お化け屋敷」
「え、行ったことないんですか?」
「うん。まぁ色々忙しくてね。あんま遊園地とかも行ったことないんだ」
「そうなんすねぇ」
わたあめを食べ終わった後、俺は逃げるように教室を出た。やっちまったかと思ったが、カナさんも真後ろにいて安心した。はぁ、にしても帰りの点呼が憂鬱だ。
「なんかボーッとしてない?」
「すいません。考えごとしてまして」
「へぇ、目の前の人より大事な事があるのかしら」
「何言ってるんすか。話ならちゃんと聞いてますよ。遊園地行くならやっぱり某夢の国とかじゃないですか?」
「ああ、あそこね。よく聞くわ」
「あそこのジェットコースターは軽めなのが多いんで手始めには十分なんじゃないですかね」
「ふーん。今度行ってみたいなぁ」
「行けばいいじゃないっすか」
「うーん。でも時間がなぁ」
「そんな忙しいんですか?大学」
「ん?ああ、まぁそうね。忙しいわよ。大学も」
「え、忙しいんすか。よく大学生は人生の夏休みとかって言うじゃないですか」
「そんなこともないわよ」
「マジすかぁ」
「それに一緒に行ってくれる人もいないし」
「友達とか、妹さんとかは?」
「…予定が合わないのよねぇ」
「そうなんすか。忙しいんですね」
「そうねぇ…」
あっぶねぇ。危うく口を滑らせて「じゃあ俺と行きますか?」なんて言うところだった。そんなの絶対キモがられるっての。
「それにしても人多いですね」
「それ程本格的ってことよね。楽しみ」
「いいんですか初めてが学校で。もっと本格的な方がいい気がするんですけど」
「それで怖かったら嫌じゃない」
「え、一応お聞きしますけど暗いところは?」
「あんまり得意じゃないけど」
「えっと、そうですか」
俺は何だか嫌な予感がしてきた。
そしてその予感は見事に的中することとなる。
「ウヲヲヲヲッッ!」
「ギャアアアアアアア!」
「わあああああ!びっくりした。急に叫び出さないで下さいよ」
「お、お化け屋敷って、こんなに怖いのね…」
突然、俺は背中に熱を感じた。
「わ、何ですか急に」
「ごめん、出るまででいいから」
カナさんの…恐らくカナさんのものであろう腕が俺の腹にまで回った。
「いや、ちょ、あのこれ、あれっす、あれ、ある、歩き辛いっす」
「仕方ないでしょ!」
微かに発せられた「怖いんだから!」という声を俺は聞き逃さなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。お化け屋敷って、凄いのね」
カナさんは廊下で膝に手を置いて息を切らしている。
「まさかお化け屋敷行きたいなんて言い出す人が暗いところも怖い話もダメだなんて思わなかったですよ」
「ほんと、いい経験したわ。当分は勘弁ね」
「その方がいいと思います」
「アオイ君はよくもまぁ平気でいられたわね」
「まぁ、経験者なんでね」
実際は別の意味では平気ではなかったが、おかげで全く怖いとは感じなかった。俺もこんな経験は初めてだ。
「今何時かしら、あら」
カナさんは腕時計を見て言った。
「そろそろ時間だわ。お別れしなくちゃね」
「そうですか…。校門まで送りますよ」
「いいわよそんなの。せっかくの文化祭を楽しみなさいよ」
「楽しめてたら案内なんて仕事引き受けませんよ。それに、カナさんと回った今日が今までの文化祭で一番楽しかったですから」
俺は笑った。言ってしまった。でもどうせもうお別れだ。二度と会うこともないだろう。なら言わないで後悔するよりいいよな。
「そう。私も楽しかったわ。アオイ君と回れて」
「それは案内冥利に尽きますね」
校門まではあっという間だった。もう少し話していたかったけれど、まぁ仕方ないよな。
「お別れね。さっきも言ったけど、アオイ君と回れて本当に楽しかった。あの時声を掛けてくれたのがあなたでよかった」
「俺も楽しかったです」
「それでその…よかったら…」
「何ですか?」
俺は首を少し傾げた。
「…ううん。何でもない。気にしないで」
「そうですか」
「うん。それじゃあね」
「はい。さよなら」
カナさんが校門の境界線を跨ごうとした時だった。
「あ、そうだ」
踵を返し、カナさんが駆け足で近づいて来た。
勢い余って俺にぶつかる。お互いの体が密着する。
「言い忘れてたけど、私、Dよ」
カナさんは耳元でそう囁いた。
「じゃあね。バイバーイ」
そして何事もなかったかのように手を振りながら校門から出ていった。
「ほんと、性ワルな人だなぁ」
俺も必死で手を振り返した。
花のない枝垂れ桜の下をカナさんが進んで行く。その後ろ姿を俺はその場で見つめていた。
「戻りますかね…」
面倒なことになりそうだけれど、今日はそれでも充分お釣りがくるからいいか。
口に残るのは、やけに甘いあのイチゴ味。
あの日、あの瞬間 白黒羊 @hi_tu_zi2020
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