椅子取りの旅

そうざ

Musical Chairs on a Trip

 ローカル線の旅に憧れていた。

 一両編成の素朴なディーゼルカーが、田畑を、海沿いを、抜けるような蒼天の下を、陽光を浴びながら擦り抜けて行く。

 乗客は疎らだった。縦座席ロングシートの中央に陣取っても気を遣う必要はない。車窓はさながらスライドする貸し切りのスクリーンだった。

 普段ならば電車に逸早く正確に移動する使命を求めてしまうが、今は違う。のろい事自体を目的化したような、時の流れさえも贅沢品に変えてしまうような旅の身空に、僕はいつしか微睡みを覚えていた。


 遠くで音楽が鳴っている。心地好い旋律と小気味好い律動。

 マイム、マイム、マイム、マイム――聞き覚えのあるフレーズに揺り起こされた。

 瞼の向こうで薄っすらと明滅していたものの正体が判った。目の前を人影が行ったり来たりする度に光を遮っていたのだ。

 いつの間にか大勢になった乗客が、車内の縦長の空間を十二分に使い、数珠繋ぎでぐるぐると時計回りで回っている。

 マイム、マイム、マイム、マイム――工事現場のヘルメットを被った小太りの小父さん、雷様みたいなパーマを掛けたエプロンの小母さん、野球のユニフォームを泥だらけにした少年、真っ赤なランドセルが重そうな少女、その他、色んな老若男女が顔を揃えている。

 マイム、マイム、マイ――突然、音楽が消えた。

 乗客が一斉に席を奪い合う。あっと言う間に満席になった。僕の両隣も蟻の入る隙間もなくぴっちりと座っている。僕は思わず身を縮こまらせた。

 取り残された人は居ない。席に対して過不足のない乗客が存在していた。慌てて席を奪い合う必要はなかった事になる。

 老若男女は表情のない顔で正面を凝視し、そのまま微動だにしない。どうして良いのやらと様子を窺っていると、音楽が再開した。乗客が一斉に立ち上がり、また回り始めた。

 絣柄の着物をからげたカンカン帽のお爺さん。買い物袋から長葱を食み出させた割烹着のお婆さん。学ランのホックを掛け直す下駄履きのお兄さん。薄っすらと紅を引いたお下げ髪のお姉さん。

 これはこの地方独特の風習なのか、はたまた何か特別なイベント開催日にでも鉢合わせてしまったのか。

 マイム、マイム、マ――音楽が消えた。

 瞬時に隊列が乱れ、どたばたと席を奪い合う。またパズルのピースのように全員がきっちり席に収まった。学習しない人達だなと呆れたが、そういうゲームなのだから仕方がないとも言える。

 それにしても皆が皆、声も発せず無表情なのは気に掛かる。どうせならもっと楽しそうにやれば良いのに、と思うが早いか音楽が始まった。

 僕は重い腰を上げ、数珠繫ぎに加わった。進行方向へ、反対方向へと車窓の景色が目まぐるしく移り変わる。こういう旅の思い出があったって良い、こうでなくっちゃ、と思えるようになった。

 ところで、音楽は車内放送用のスピーカーから流れているのかと思ったら、どうも違うらしい。何処からともなく降り注いでいるような、車内の空間自体が奏でているような聴こえ方だった。

 マイム、マイ――。

 僕のスペースは残されていなかった。さっきは僕を含めて全ての乗客が座れたのに、今の僕は違うパズルのピースだった。

 表情のない顔は微動だにしない。

 車窓のスクリーンは、相変わらず長閑な景色を一方向に流し続けている。

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椅子取りの旅 そうざ @so-za

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