第34話 毒入りのお茶
白狐に戻って、体をくるりと丸めて昼寝したい。そんな誘惑に駆られるほどに、春めいた日差しが暖かい。
そんな日の午後。真珠は春子の家に遊びに呼ばれて、縁側に座った。
「真珠ちゃん。今日は春分の日なの。ぼたもち、食べる?」
「うん! 食べる!!」
真珠は油揚げも好きだが、甘いものも大好き。春子が家の奥から持ってきたぼたもちに顔を綻ばせた。
春子はぼたもちの乗った和菓子皿を縁側に置くと、その横に緑茶の入った煎茶碗を置いた。ことん、という微かな音が響く。その音に混じるようにして、春子が唾を飲み込んだ。
「あ! 雀!!」
「可愛いわね」
真珠は庭に飛んできた雀に気を取られている。春子は真珠の隣に座ると、綺麗な横顔を眺めた。
(虚無僧からもらった薬。吾平に飲ませても、なんでもなかった。人間には無害というのは、本当みたいね。もし真珠が人間なら、飲んでもなんともない。でも女狐だったら……)
春子が通いつめても、草世はちっともなびいてくれなかった。それなのに、真珠はいとも簡単に草世の心を奪った。しかも、嫁になったと公言している。そのことに草世は困った顔をするだけで、肯定も否定もしない。
優柔不断で気弱な男だと、直情型の春子は草世のことを情けなく感じながらも、草世のその困り顔に照れ臭さが滲んでいる気がしてならない。
女の勘が訴える。
——先生は、真珠を好ましく思っている。二人は、仲睦まじい夫婦になるだろう。
激しく荒れ狂う感情。悔しさと羨望と、真珠の友人として二人の幸せを願う気持ちが入り乱れている。
春子は下唇を噛んだ。真珠は、今まで出会った誰よりも美しい。おまけに、心が澄み渡っている。
春子の正直な気持ちとしては、美しくて清らかな真珠と友人なれたことを誇りに思っている。この先も茶飲み友達として、友情を保ちたいと願っている。
ただしそれは、人間であったならの話──。女狐であるなら、話は変わってくる。
春子は、湯気の立つ煎茶碗を見つめた。
(先生と結婚して、都に行きたい気持ちはある。でも真珠が人間なら、諦めよう。友達でいたいもの。でももし、人間でないのなら……退治しなくてはならない! 村の平和を守らなくては!!)
狐が人間に化けて村に住むなど、あってはならない話。化け物に対する嫌悪感と、正義感が春子を突き動かす。
地面に落ちている実をついばんでいた雀が、飛び立った。
「あっ! 雀、行っちゃった」
「真珠ちゃん。お茶が冷める前にどうぞ」
「うん!」
真珠はぼたもちを頬張ると、「おいしい!!」と幸せいっぱいに微笑んだ。それから煎茶碗を持つと、鼻をひくつかせた。
「変なにおいがする」
「え⁉︎ そ、そうかしら! ああ、これね。都から来た行商人から買ったお茶なの! 滅多に市場には出回らない、特別なお茶なんだって! だから変わったにおいがするのよ!」
「そうなんだ」
特別なお茶という響きに、真珠の瞳に好奇心が浮かぶ。煎茶碗を口元に運び……、鼻の根元に皺を寄せる。
「やっぱり、変なにおい」
「で、でも味はおいしいわよ!! 私も飲んだし、家族も飲んで、おいしいって喜んでいた。だから大丈夫よ!」
「おいしいなら、飲むー!」
赤い唇が碗に触れ、お茶を喉に流し込む。薬が溶かしてあるお茶は真珠の体内へと入り、毒へと変化する。
虚無僧が春子に渡した薬。それは──……あやかしの魂を喰らう、
真珠の手から煎茶碗が落ち、縁側の前にある
真珠は声をあげることもできずに、倒れた。
「きゃあぁぁぁぁーーーっ!!」
春子は甲高い悲鳴をあげると、倒れている真珠の体に触れようとし、だが、その手を躊躇した。
「狐、なの……?」
真珠は固く目を閉じ、答えない。
真珠を殺してしまった……。罪悪感が春子を蝕む。
春子は草世に助けを求めるために、慌てて走りだした。
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