第5話 闇の精霊
蝋燭の火だけが灯る薄暗い洞窟内に、ヒューライルの深い悲しみが充満していく。
三百年前に闇落ちした王の影響で、闇の精霊の評判はがた落ちした。かつては精霊の中心的な扱いだったのに、今は魔女の眷属とさえ呼ばれている。
外の世界を見ていないアレイシアは知らいないけど、闇の精霊の愛し子となると忌み子として修道院に入れられてしまうのだ……。闇の精霊の愛し子は少ないが、選ばれた者の未来は暗い。
それを知らないアレイシアには、美しく凛々しい闇の精霊を汚されたのが許せない。ヒューライルの言葉に悲しそうに顔を歪める精霊が、アレイシアには見えるのだからなおさらだ。
「魔女に操られたなんて、絶対に嘘だよ! 闇の精霊さんは、悪なんかじゃない! 正義の味方だ! ヒューは精霊さんに謝らないと駄目だよ!」
「うるさい! 闇の精霊が悪だと言っているのは俺じゃない! この国の歴史や、この国の誰もが言っていることだ!」
「それが間違いなんだよ! 絶対に間違い! 私が証明する!」
「お前みたいな子供に、何ができる?」
確かにヒューライルの言う通りで、アレイシアは家の外に出られない世間知らずな五歳児だ。それでも闇の精霊が悪だと言われることは、許せない!
それくらいヒューライルの精霊は『悪』という言葉が似合わない清らかな光を放っているのだ。それが自分にしか見えないのが悔しい。ヒューライルだって精霊を見れば、アレイシアの言いたいことが分かるはずなのに!
(私以外誰も見えないのなら、私が『悪』なんかじゃないと証明しないと! だって、ヒューは私を魔女じゃないって言ってくれた! 胸を張っていいって言ってくれた! ちょっとだけ、自分の色を好きになれそうにしてくれた! だから、今度はヒューに精霊さんを好きになってもらいたい!)
「おじさんは、ここにある壁画から昔の人のことを調べてるんだよね?」
「そうだよ。壁画には、その当時の出来事や生活や祈りが描かれている。本がなかった時代に作られた、昔の人の記録そのものだ。壁画以外にも研究した本とかもあるけど、古代語という昔の言葉が使われているから読むのは難しいんだ」
「なら、古代語の勉強をする! 一杯勉強して、壁画のことも調べられるようになる! 闇の精霊さんが悪じゃないって、絶対に違うって証明する! 約束する!」
アレイシアはヒューライルと彼の背後にいる精霊に向かって、堂々と宣言した。
動けるようになったアレイシアは、その日のうちにスナット家に送り届けられることになってしまった。
家族はアレイシアがいなくなったことを喜んでいるはずで、戻ったりすればガッカリされることが目に見えている。それでも、アレイシアは一応貴族だ。このままヒューライル親子について行ったら、二人が罰せられてしまう。
自分が迷惑をかけてしまうのが分かっていても、ヒューライル親子と離れたくなくてアレイシアの涙は止まらない。
一緒にいた時間は短いものだったけれど、周りから蔑まれ遠巻きにされてきたアレイシアにとっては、初めて得た温かく優しい時間だった。
今までと同じように、仕方がないことだと諦めたい。諦めないといけないと分かっているのに、スナット家の屋敷が見えてくると、あんな場所に戻りたくないという気持ちが抱えられないほど大きくなる。
人の優しさなんて知らなかったアレイシアは、大切な時間を手放すのは何よりも悲しいことを知った。少しでも繋がりが欲しくて、自分を忘れないで欲しくて、ヒューライルの両手を掴んだまま離せない。
だけど、別れの時間は待ってはくれない。
ヒューライルの父親だって、アレイシアの置かれた状況を思えば家に帰すことが正しいとは思っていないはずだ。だけど、アレイシアはオンズロー辺境伯家という由緒正しい貴族の娘。そんな子供を連れ去ることなど、到底できるわけがない。
ヒューライル親子の立場で考えれば、アレイシアを助ければ自分達にとって命取りになるのは間違いない。辛いけれど、ヒューライルの未来のためにはアレイシアを切り捨てるしか選択肢はない。
「一緒にいたいけど、私達では身分が違い過ぎる。シアは、もう帰らないといけないね」
アレイシアには、死刑宣告のような言葉だ。
辛い言葉だけど、ショックを受けている場合ではない。幼いながらも人に迷惑をかけないようにひっそりと生きてきたアレイシアは、自分が二人を困らせていることが理解できてしまう。
だから、最後に言ったこの言葉は二人に対してではなく、自分自身に向けての誓いだ。この優しい思い出と、初めて持った目標が、アレイシアが生きていく希望となる。
「絶対に、絶対に、約束を守るからね! 私が証明してみせるからね!」
手を離すのはとても勇気が必要だったけど、自分の目標はヒューライルに繋がっている。アレイシアはそう思って、何とか笑うことができた。
アレイシアの手が離れていく感覚に、ヒューライルの心に罪悪感が広がる。
アレイシアを家に帰すことは、牢獄に送るようなものだとヒューライルだって分かっている。でも、何の力も持たない自分では、アレイシアを守ることなどできない。
最後に笑顔を見れたのは嬉しいけど、自分達を心配させまいと必死に笑ったのかと思うと苦しい。泣きすぎて腫れた顔で必死に笑うアレイシアを忘れたくない。絶対に忘れないとヒューライルは思った。
アレイシアの顔に張り付いた黒髪を耳にかけて、ヒューライルは「楽しみにしている。また必ず会おう」と言って笑った。
ヒューライルの笑顔が、あまりにも優しく美しかったから。その笑顔が未来でも待っていてくれるんだと、幼いアレイシアはそう思ってしまった。
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