春にさよなら

薮坂

「ゲームセット」


 最終回の裏、ツーアウトフルベース。スコアはこちらの1点ビハインドで、カウントは3−2のフルカウント。次の一球で試合が決まる、つまりここは正念場。

 俺はバッターボックスに立ち、相手ピッチャーを見据えていた。ホームベースをバットで軽く叩き、落ち着け落ち着けと心の中で繰り返す。

 大丈夫、俺ならきっと大丈夫。そうやって自分に言い聞かせる。


 最近の俺はいつもこうだ。大事な場面でビビって打てない。打てないどころかスイングできなくなることもある、要は典型的なチキン野郎なのだ。

 野球選手にとって、いや全てのスポーツ選手にとってこのメンタルは致命的だろう。そんなヤツに未来などないことは痛いほどわかっているが、一度ついたクセはなかなか変えられない。悔しいことに、それは事実だった。


 ──でも今日だけは。今日だけは絶対に打ちたい。


 明後日、遠くの街へ転校すると決まっている俺にとって、今日の試合はこの中学校での最後の公式戦。

 有終の美を、と言うワケではない。幼なじみとの約束を果たしたい。ただそれだけだった。



 相手ピッチャーがセットポジションを取り一呼吸。次の瞬間、スライドステップで投げてきた。

 ──くそ、やられた。いきなりタイミングを外された。しかもこの軌道、間違いなくカーブだ。ストライクゾーンをギリギリかすめる際どいコース。しかし試合終盤のそれは疲労からかキレがない。


 これなら打てるか? いやでも怖い。また打てなかったらどうしよう。引っ掛けたら? 上を叩いて芯を外したら? また期待に応えられなかったら? これがあいつの前での最後の打席なのに……?


 ぐるぐると考えが渦巻くが、時間は止まってくれやしない。近づくボール、次第に遠のく周りの音。集中はできているが、しかしスイングしようとする身体がピタリと止まった。自分の心臓の鼓動が聞こえ、筋肉が意思とは無関係に強張る。

 ダメだ俺はやっぱり打てない。打てないどころか、またスイングさえ──。


「振れぇーっ! ナツーッ!」


 突然響いたその声に後押しされ、身体が今度は勝手に動いた。目でしっかりとボールを追い、次はバットで捉えに行く。しかし──。


 腰の引けたスイングで、ボールを捉えることなどできるワケがなくて。虚しく空を切るバットと、鳴り響くミットの乾いたキャッチ音。そして。


「ストラーイッ! バッターアウッ、ゲームセット!」



 この中学校での、俺の最後の試合が終わった。




【続】

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