第280話 閑話:鈴村香織と細川美佳の対談
競馬界において年度最後のGⅠはホープフルステークスである。とは言え、やはり有馬記念は別格であった。その有馬記念に鈴村騎手はサクラヒヨリに騎乗し、僅かに及ばず2着となる。そして、そのサクラヒヨリの引退と共に、惜しまれながらも騎手を引退した。
「さて、今日は昨年引退されました鈴村香織騎手をお招きして、お話を伺っていきたいと思います!」
そんな鈴村騎手の引退後、競馬番組の特番と言う形で細川美佳との対談が組まれるのは自然な流れだったのかもしれない。何と言っても女性初のGⅠジョッキーであり、更にはミナミベレディーの主戦騎手だったのだから。
美佳の挨拶と共に、香織が苦笑交じりの笑顔で登場する。
「こんにちは、で良かったんでしょうか?」
「別に問題ないですよ~」
そう言って笑う美佳に勧められるままに香織は指定された席に座る。
「改めてお疲れさまでした。騎手を引退されてまだ一月も経っていませんが、いかがですか? 何か変わりました?」
「そうですね。まずは朝起きる時間が遅くなりました。今までは馬の世話、調教、何かと朝から行わなければならない作業もあって、家を出る時間も早かったですから」
笑いながら尋ねる美佳に対し、香織も同様に笑いながら答える。
「あ~~~、成程。ちなみに、今までは何時起きでした?」
「そうですね。3時には? 5時には厩舎に来てますから」
騎手生活の過酷さを証明したような内容ではある。
「それと、体重を気にせず食事が出来るのは嬉しいですね。もっとも、引退して直ぐの時にはスイーツとか色々と食べましたけど、直ぐに我に返りました。此の侭行くと大変な事になるぞって」
「ああ、ですよね。アスリートの人達あるあるですよね。そういう私達も食事制限していますけど」
「そうなんですよね。ただ、皆さんご存じのミナミベレディーなんですが、それこそ油断すると丸々としちゃって。ケーキを食べている最中にべレディーの姿が頭に浮かんでしまって」
「あああ~~~、それは、思いっきり分かります!」
二人で一頻り笑った後、スイーツ繫がりで好きな食べ物などに話題は移り、その後、また騎手時代の話へと戻って行く。
「所で、引退に対して未練とかは無かったんですか? 香織さんのお手馬ってサクラヒヨリ以外にも何頭もいましたよね? 特にトカチドーターとかは気にされていたと思うんですけど」
「う~~ん、そうですね。未練と言うのとは違いますけど、一つでも勝たせてあげたい。まだ一緒に走りたい。そう言う思いは今もあります。トカチドーターは此れから開花して行く、して行って欲しい馬ですし、あとプリンセスミカミもですね。プリミカも重賞を勝ちましたから、此処からが正念場です。他にも上げれば切りは無いですが、主戦を任されていた馬には此れからも頑張ってほしいですね」
「そんな香織さんに決断を促したのは、やはり電撃的に発表された婚約が理由です? あれには、多くの、特に栗東の独身騎手達が涙を流したとか」
揶揄う様な、それでいて何処か本気を感じさせる眼差しで香織へと問いかける美佳だったが、当の本人は何を言ってるんだと苦笑を浮かべて返事をする。
「居ませんよ涙した騎手なんて。誰情報ですかそれ? 確かに婚約が最後の一押しでしたけど、やっぱり結婚してって考えると」
「むぅ? 若しかして私に忖度しています?」
「こういうのって忖度って言うんですか? っていうか、美佳って結婚する気無いよね?」
「え~~~、ありますって! 思いっきり有りますよ! お金持ちでカッコよくて、性格の良い人紹介してください!」
「居ないって、そんな完璧な人!」
対談の内容が次第に当初の雰囲気から砕けて行く。
「特に子供は欲しかったので、そこもあって引退を決意しました。年齢だけでなく食事制限や運動量による体調なども不安がありましたし、一つの区切りとしては此処かなって」
「あ、アスリートの方に話を聞くと同じ様な話を聞きます。そっかあ、特に騎手の人だと過度なダイエットとか関係しそうですよね?」
「個人差はありますけどね」
思いっきり受け答えが難しい話の為、香織は苦笑を浮かべる。
「そっかあ……。そもそも、香織ちゃんの理想ってミナミベレディーでしたよね? 運命の馬ですもんね? 白馬じゃなかったですけど」
「ちょっと! ベレディーは確かに運命って言ったけど、結婚とは関係ないよ!」
「うん、確かに牝馬ですもんね」
「え? 問題って其処?!」
最早、飲み会のノリに近い物を感じるが、驚く事に二人とも素面である。更に驚く事に、番組スタッフで止めに入る者が誰も居ない。
「でも、ミナミベレディーに会った時にビビッって来るものがあったんだよね?」
「え~~っと、うん、無かった!」
「なかったの!」
香織とミナミベレディーとの出会いについては、公私に渡って幾度も美佳は話を聞いている。それ故に、初めてミナミベレディーを見た時に、GⅠを勝てるような馬になるとは欠片も思っていなかった事を知っていた。
「インタビューでも答えた事が有るけど、最初に思ったのは2歳らしからぬ馬体だなって思ったかな。でも、重賞を勝てるかは何とも言えなかった。良くてGⅢかなって、あの時は私以外の競馬関係者は皆思ってたんじゃないかな?」
「なるほど、そうなんですね~~。でも、美佳はGⅠを勝てるって思ってましたよ? 桜花賞の時もグルグルの一番推しでしたし」
「むぅ、でも、あの頃ってまだ美佳は競馬の素人だったよね? っていうか、確か黒三角のダークホースにしてたよね? 2重丸じゃなかったよね?」
「あれ? そうでしたっけ?」
自分の運命の馬の事でもあり、ついついミナミベレディーの事となると1番では無いと気が済まない様な気になる香織である。また、美佳は美佳で記憶を捏造する程にミナミベレディーを推している。
「桜花賞の時の映像は何度も見直しているから間違いない! 思いっきり黒三角だった!」
「でしたっけ? でも、あの時、私だけがべレディー推しでしたよ? まだ勉強途中でしたけど、ミナミベレディーには、何って言うか、こう光る物を感じたというか?」
香織は、自慢気に胸を張る美佳に対し何かモヤモヤとした物が湧き上がって来る。
「でも、ミナミベレディーも香織ちゃんが騎手じゃなかったら伸び悩んで、GⅠ馬になれなかったかもしれないですよね?」
「で、でしょ? ほら、私とベレディーって人馬一体っていうか、以心伝心っていうか」
「うんうん、何と言っても馬と会話する女ですからね」
「あ、あぅ」
美佳はニヤリと悪い笑みを浮かべる。そして、馬と会話する女という異名に対し、香織は咄嗟に言葉を失う。
「実際の所、どうなんですか? 馬と会話が出来たりします?」
「え? う~ん、頭がおかしいと思われるかもだけど、ベレディーとは会話が成り立っている気がする時はあるかな? 何方かと言うと私がって言うより、ベレディーが私の思いを察してくれるって言う方が近い気はするけど」
「成程、確かにベレディーは頭が良いですよね。それにすっごい頑張り屋さんですし。香織ちゃんにも懐いてるので羨ましいです。でも、桜花ちゃんには敵いませんよね?」
「うん、桜花ちゃんには敵わないなあ。桜花ちゃんは特別だよね。正にベレディーの勝利の女神様だし」
何と言っても桜花が観戦してのレースでは、ミナミベレディーの最後の頑張りが違う。最後の粘り、伸び、どちらも限界以上という言葉では言い表せない様な凄さを感じる。もっとも、それ以上に香織をもってしても羨ましくなる程の懐き具合である。
「桜花ちゃんに秘訣を聞いたんだけど、良く判らないんだよね。一度、メロンを持った私と桜花ちゃんで勝負してみようかと思うんだけど、駄目かな?」
「ベレディーってメロン好きなんだよね? うわあ、それで桜花ちゃんに負けたらショックが大きそう」
「……うん、止める。流石にメロンは反則だよね」
間違いなくメロンすら武器にして負けた時の事を考えたのだろう。香織の態度が途端に変わった事に、思わず美佳は爆笑する。
「それで、既にベレディーには引退報告には行ったの?」
「まだ行けてない。引退の手続きもそうなんだけど、お手馬の引継とか、結婚に向けての打ち合わせとか、まだこっちでの仕事が色々あって。でも結婚したらメインの仕事場は北海道にあるトカチファームになりそうだから、今まで以上に会いに行けるのは嬉しいな」
「あ~~~、それはすっごい羨ましい! 春にはベレディーの初駒が生まれるし。生まれたら絶対に見たいし、何なら番組で出産が近くなったら訪問させてくれると嬉しいなあ」
美佳が思わずチラチラとスタッフへと視線を投げるが、残念ながら此方も苦笑しか返ってこなかった。
その後、更にミナミベレディーの初駒に、そして今年の種付け候補に、更にはサクラヒヨリの事にまで話題は広がり、あっという間に予定していた時間となる。
「話のタネは尽きませんし全然話し足りないんですが、次回はベレディーの初駒が生まれた頃に再度対談が出来れば嬉しいですね」
「この番組の視聴率次第でしょ? どうなのかな? それに、その頃には私は北海道に居るかもだよ?」
「成程、つまり次回は北川牧場での収録と?」
「え? 誰もそんな事を言ってないって! っていうか、そこは十勝川ファームじゃ無いの?」
「それでは、皆さま次回の放送を楽しみにお待ちください」
「ちょっと!」
香織が良く判らない内に収録は終わる。そんな香織だが、この収録をどういう風に編集するのか、終わってから漸くその事が心配になるのだった。
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