第279話 閑話 ある馬主さんのお話
競馬専門チャンネルで見ていたレースでは、ミナミベレディーに続きサクラヒヨリが桜花賞を勝利していた。競馬番組のメインMCが、2年連続、全姉妹による桜花賞勝利と言う偉業達成を大きな声で滔々と、熱く語っている。
「北川さんの所の馬か……。はあ、何で買わなかったのかなあ」
中央で馬主となって早10年。当たり前だが相馬眼などある訳も無く、それでも知人を介し栗東の調教師を紹介して貰った。そして、その調教師の伝手を頼り北川牧場他、何方かと言うと零細と呼ばれる小規模生産牧場とも懇意になる。
そんな中で購入した最初の一頭が、北川牧場産駒の牡馬、自分でも名前を聞いたことのあったチューブキング血統牝馬の産んだヒロユキドリームだった。
購入金額は600万。そこから更に毎月掛かる預託料を考えれば、お試し価格としては決して安い買い物ではない。それでも自分の名前を付け、夢を託して走らせた。3歳ギリギリで何とか新馬戦を勝利するも、その後は引退する8歳まで結局掲示板内に入るときはあれど、勝利する事は無かった。
その後、北川牧場以外の馬も購入するが、やはり馬に恵まれずデビュー後1勝も出来ずに引退した馬もいた。
そんな自分にとって、所有馬がオープン馬になる。重賞に出走する。それは憧れであったが、有力馬、大手牧場の産駒を買う程の資金力などは無い。それでも、中央で馬主であると言う事は、一種のステータスであり、その為に今も馬を走らせ続けている。
「いい加減にしたら?」
「馬主はステータスだろ?」
「前はそう思っていたけど、勝てないじゃない」
妻からは決して良い顔はされていない。毎年1000万円以上の費用が消えて行くのだ。特に他にお金の掛かる趣味が無いが故に、それ以上に本業で収入があるが為に何となく許されているに過ぎない。
「子供達が大きくなってきたら、色々とお金も掛かるから馬主も辞めてね」
二人の子供は共に小学生となり、上の子供は中学受験に向け塾通いが始まっている。敢えて無理に中学受験させなくてもと思いながら、教育の事に口出ししようものなら文句が数倍になって返って来る。その為、此処最近は子供の教育に関しては妻任せとなっていた。
「お父さん、またお馬さん見ているの?」
日曜日と言う事も有り、リビングで寛ぎながら競馬中継を見ていと、長女がソファーの隣に座りながら話しかけて来る。
「そうだね。お父さんもお馬さんを持っているからね。ついつい見ちゃうんだ。お馬さんは可愛いだろ?」
「可愛くないよ。前にお馬さん見に行ったけど、おっきくて怖かった」
自分の所有する馬が、中京競馬場で行われた未勝利戦に出走した。その際に、妻や子供達を連れて見に行ったのだが子供達には不評だった。もっとも、その不評の大半は、妻の不機嫌から来ていたように思うのだが。
「ポニーに乗ったけど、楽しくなかったか?」
「う~ん、あんまり? どうせ見に行くならパンダの方がいい」
「パンダかあ、競馬場にはパンダは居ないなあ」
パンダが競争相手となると、中々に厳しいかもしれない。パンダは特に女性や子供達には根強い人気がある。
「ほら、このお馬さんは、お父さんの所有しているお馬さんの妹なんだよ? 頑張って大きなレースを勝ったんだ。凄いだろ?」
「ふ~ん」
競馬専門チャンネルでは、桜花賞の表彰式が華やかに放映されている。馬主や調教師のみならず、関係者と思われる者達が一堂に集まって写真撮影を行っていた。そこには、北川牧場の桜花の姿も有り、また、桜川とその家族の姿もある。
画面に映っている人達の表情は、皆が笑顔を浮かべていた。自分にとって憧れのGⅠ優勝の表彰台。願ったからと言って立てる訳では無い、夢のような場所である。憧憬の思いで見つめているが、娘にとっては何ら心を動かす場所では無く、ただ一言の感想で終わってしまった。
「重賞馬なら家族の評価も変わるんだろうか?」
周りからの称賛を受け、表彰式に立つ。馬主となるからには、やはり強い馬の馬主になりたい。そして、若しかしたら今、桜花賞で表彰されている馬の馬主になれていたかもしれない。すべて、もし、かもしれない、たらればの世界であるが、可能性があっただけに幾度も繰り返し考えてしまうのだった。
◆◆◆
そして、サクラハヒカリ、ミユキガンバレ、ヒダマリガンバレが揃って出産した牝馬を見に来ていた。北川牧場の産駒、それも牝馬だ。どうせなら購入したい。若しかすると、どこか重賞を勝ってくれるかもしれない。運が良ければ、GⅢどころかGⅠを勝つかもしれない。そんな思いを胸に、北川牧場へとやって来た。
ただ、此処で思うのが3頭の内どの馬が良いのだろうか?
「どの馬も走ってくれそうな気がするな」
「そうですね。そもそも、牝馬ですからデビューはしてくれそうですが」
「北川さんも走ってくれそうだと」
勿論、自家製産馬を悪く言う牧場は無い。それ故に、北川牧場の言う事を鵜呑みには出来ない。
「大南辺さんと桜川さんは今回見送ってくれるそうです」
サクラハキレイ産駒のGⅠ馬3頭を所持している大南辺と桜川は、今回の購入は見送る事となっている。所有馬であるミナミベレディーやサクラヒヨリの活躍で購入できない訳では無いだろう。それでも、北川牧場では今回は他の懇意にしている馬主を優先してくれた。その結果、自分を含めて2名の馬主が名乗りを上げ、その後、サクラフィナーレの活躍などもあり更に1名が加わり3名が共に仔馬を見に訪問していた。
「三上さんは名乗りを上げると思っていましたが」
「プリンセスミカミを購入されていますから、今年は見送るみたいですよ」
「奇しくも牝馬3頭に対し、購入希望者が3名ですね。皆さんはどの馬を希望されますか?」
その言葉に、3名ともに放牧地にいる仔馬達へと視線を注ぐ。
どの仔馬が良いのか? どの仔馬も、この段階で大きな差が感じられない。それ故に選ぶ方としても、何とも決断が出来ないのだ。
もし、自分が選ばなかった馬が重賞を勝利したら? 自分が選んだ馬が走らなかったら?
ミナミベレディーを自分の目で見て、買わなかった事が大きなトラウマとなっていた。そして、それは他の2名も同様なのだろう。仔馬を見ながらも、窺うように他の2名へと視線を向ける。二人も真剣な眼差しで仔馬を見ているが、やはりどの仔馬にするか決めかねている様だった。
「あ、いやあ、決めかねますね。先日、サクラフィナーレが桜花賞を勝利しただけに、余計に悩みます」
「ええ、そもそも、ミナミベレディーを買い損ねていますから。あそこ迄、凄い馬だったとは思いませんでした」
「それは私も同様ですよ。ましてや、慌てて北川牧場へ駆けつければ、サクラヒヨリとサクラフィナーレは桜川さんに購入されていましたから」
自分の視線に気が付いた二人が、苦笑を浮かべ語りかけて来る。今までは、同じ牧場の産駒を買う仲間と言いながらも、どこかライバル視していたものだ。そんな二人が共に同じ悩みを抱えている事に、親近感が増す。
「桜川さんは運が強いですよね。これでGⅠ馬2頭の所有者ですか」
「ミナミベレディーがアルテミスステークスを勝利した時には、既にサクラフィナーレは買われていました。コスモス賞を勝利した後に購入を決められたみたいで、悔しい思いをしました」
自分と同様の動きをしている事に、やっぱりなあという思いが湧く。そして、再度3頭の仔馬へと視線を向けるが、相馬眼に自信の無い自分では、やはりどの馬にするか決断が出来ない。
せめて、せめて、GⅢを勝てる馬が欲しい。
何とも贅沢な思いを胸に、必死に仔馬達へと視線を注ぐ。しかし、仔馬達はのんびりと母馬の周りを駆け、母乳を飲んでいる。
「駄目ですね。どうも選びきれません」
「同じですよ。何と言いますか、ミナミベレディーでの失敗が頭を過って」
「ああ、私も同じです。あと、それぞれの価格もですね」
ミナミベレディーが桜花賞とエリザベス女王杯を勝利し、その後もGⅠを勝ち今の段階でドバイシーマクラシックを勝利しGⅠ6勝している。其れのみならず、サクラヒヨリも牝馬2冠を達成し、先日春の天皇賞を勝利した。サクラフィナーレの桜花賞勝利も加えると、同じ血統の仔馬達の価格をどうするか、そこも問題になってきている。
「流石に、1頭1000万という訳にもいきませんか」
「サクラハキレイ産駒での重賞勝ちが出ていませんから。それでも、セールの最低価格がどれくらいに成りますか。流石に変な価格は提示できません」
「北川さんも悩んでいるみたいですがね」
サクラハキレイ産駒の繁殖牝馬が産んだ仔馬で、重賞を勝利した馬はいない。それでも、どの産駒も牝馬に限って言うなら無事に1勝以上の結果を残していた。更にはサクラハキレイが晩年になって産んだ産駒3頭がGⅠを勝利している。
しかし、此処でサクラハキレイ産駒のサクラハヒカリ、ミユキガンバレ、ヒダマリガンバレ産駒で重賞を勝利している馬が居ない事で判断を難しくしている。
「どうなんですかね。期待できそうな気がするんですが」
「それこそ、中山牝馬なら勝ってくれそうですよね?」
「ミナミベレディーを初めてみた時に比べれば、凄く期待出来そうなんですが」
今までと違い中々の金額を払わなければいけなくなる事で、3人共により慎重になってくる。
「確かに」
「それは言えますね」
3人は顔を見合わせて、またもや苦笑を浮かべる。
その後、北川牧場へと戻り、結局は3人で3頭を共同所有する方向で話が進むが、価格面などを含め、契約は見送りとなる。そして、その後ミナミベレディーが宝塚記念を連覇した事で、もっと早く契約しておくべきだったかと3人揃って後悔を深めるのだった。
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