第274話 閑話:白石ファーム

「おお、凄いな。ミナミベレディーがまだ2歳なのにGⅢを勝ったぞ」


 白石ファームの社長である白石は、自牧場の種牡馬カミカゼムテキの仔であるミナミベレディーの勝利に、素直に驚きの声を上げる。


「本当ね。あそこの馬は5歳以降しか活躍しないイメージがあったけど、今頃は大喜びしてるんじゃないかしら? 急いでお祝いのお電話を入れないと」


 夫と共にアルテミスステークスを観戦していた妻は、そう言いながら携帯電話を手に北川牧場へと連絡を入れる。


 しかし、どうやら中々繋がらないようだった。


「きっと同じように連絡を入れている人がいるのね。奥さんの携帯に直接連絡しているけど、全然繋がらないわ」


「そうか、ただうちの電話は鳴らんな」


 白石ファームではミナミベレディーの父馬であるカミカゼムテキを所有しているのだ。何処かから連絡があっても良いような物だが、今が種付けシーズン外と言う事もあってか電話が鳴る様子は無い。


「うちに電話を頂いても産駒が居る訳でも無いですから。それに、あそこのサクラハキレイ産駒は重賞馬を何頭か出産していますし、それは電話も来るでしょう」


「そうだな。まあ、来年の種付け依頼が少しでも増える事を祈るか」


 カミカゼムテキも今年で既に23歳。来年の種付けシーズンでは24歳になる。実際の所、昨年種付け依頼があったのは、北川牧場のサクラハキレイを除けば僅かに1頭のみ。今まではサクラハキレイが繁殖牝馬を引退しない限り、最低1頭は種付け依頼が見込めたのだが、勿論それでは赤字経営であるが。


 その白石ファームでは、既に廃業へ向けて動き出していた。自牧場で所有する種牡馬や繁殖牝馬も引き取って貰える馬は既に手放し、高齢な種牡馬を2頭残すのみとなっている。更には、多くの敷地も売却する事により、如何にか2頭が亡くなるまでの飼育くらいは何とかなるかと思っている。


「競走馬の生産牧場も減ったからなあ。全盛期の半分も無い」


「そうですね。そう考えると、北川さんの所は頑張っていますね」


 生産牧場が減るという事は、それだけ預託される繁殖牝馬の数が減るという事でもある。それもあって白石ファームへの種付け以来は年々減少し続けたのだ。


 テレビの向こうでは、アルテミスステークスの表彰式が行われている。その映像に北川牧場の代表で北川恵美子が映っていた。


「ああ、これでは繋がらんな。ほれ、恵美子さんがテレビに映っとる」


「あらまあ、本当ですね。相変わらずお元気そうで、オメカシしてらっしゃるわ」


 テレビに映る知り合いを見て、二人は思わず笑顔を浮かべる。そして、ミナミベレディーの映像と共に、桜花の姿が映った途端に更に賑やかになる。


「あらあら、桜花ちゃんよ! 大きくなったわねぇ。確か高校生になったんでした?」


「そうだな。確か恵美子さんが来年は大学受験だとか言っとったな」


 テレビ映像では、桜花がミナミベレディーに思いっきり顔を舐められている姿が映っている。まだ表彰式が始まっていないからか、桜花にミナミベレディーが甘える様子を番組出演者達が面白そうに解説していた。


「よく懐いとるなあ」


「本当に、珍しいわね。それにしても、桜花ちゃんも綺麗になって。最近は遊びに来てくれないから寂しいわね」


「まあ、種付け時期しか来る理由が無いからなあ。年頃ともなるとそんなもんだろう」


「そうですねえ。でも、また遊びに来て欲しいですね」


 まだ桜花が小さい頃は、何かと恵美子や峰尾の後を追いかけるようにして付いて回っていた。その頃の印象が強い二人にとって、桜花はまるで孫のような存在だった。


「久しぶりに杏里に電話でもするか?」


 白石家の一人娘である杏里は、結局は牧場を継ぐことなく高校を卒業後に勤めた会社で知り合った男性と結婚する事となった。その杏里が産んだ子供が二人いるのだが、どちらも牧場を継ぐ意思はなく、結局白石ファームを廃業する決断をした。


 そして、娘はその事を気にしてか、以前より電話を掛けて来ることが減ってしまっていた。


「そうですねえ、偶には此方から電話しましょうか。あの子も負い目があるのかしら? めっきり電話をしてこなくなりましたね。変な所で意地っ張りですから」


「まあ、ムテキの仔がGⅢを勝ったと連絡してやってくれ」


 妻は小さく頷くと、苦笑を浮かべる夫を見ながら携帯電話へ手を伸ばし今度は娘へと連絡を入れるのだった。


◆◆◆


 そして、翌年の春になった。気温も上がり、場所によっては満開の桜が既に散り始める頃、白石夫妻は居間で桜花賞を観戦していた。


 昨年冬に行われた阪神ジュベナイルフィリーズでは、残念ながら6着となったミナミベレディーであるが、此処に来て再度GⅠレースへと挑戦する。3歳牝馬の祭典、桜花賞への出走である。


 前評判を見ても流石に勝利する事は厳しいだろうが、それであっても自家生産馬カミカゼムテキ産駒である。勝てないまでも掲示板内に入る事が出来れば、今年の種付け頭数が増えるかもしれない。そんな思いもあって、ついつい観戦にも力が入ってしまう。


「まさかムテキの晩年になって産駒がGⅠを走るとはなあ。御蔭で今年の種付け依頼も既に3頭になったぞ。まあ、血の濁りを気にしてなんだろうが、ムテキの飼葉代の足しにはなるな」


「そうねえ。サクラハキレイには感謝しかないわね。ムテキとの間に重賞馬を4頭も産んでくれたんですから。北川さんには足を向けて寝られないわ」


 サクラハヒカリがGⅢ中山牝馬ステークスを勝利してくれた。その事もあって北川牧場ではサクラハキレイの種付けにカミカゼムテキを使い続けてくれた。


 その後、同じサクラハキレイ産駒のミユキガンバレとヒダマリガンバレが共に中山牝馬ステークスを勝利した。その事でチューブキングの血統である牝馬を所有している生産牧場が、一転カミカゼムテキに注目した。そのお陰で種付け依頼が増加したのだ。この事はカミカゼムテキの種牡馬生命を延ばす事へと繋がった。


 そんな白石ファームではあるが、北川牧場からサクラハキレイの繁殖牝馬引退を聞き、同じようにカミカゼムテキも種牡馬を引退しようと考えていた。そもそも此処数年は、何方かと言えばサクラハキレイの為に引退させていなかったと言っても良い。


「サクラハキレイを引退させてしまうのは勿体ない気がするが、ここ数年は毎年出産させていたからな。北川さんの所も何かとお財布事情が厳しかったのだろうが、サクラハキレイにこれ以上無理をさせたくないのだろう」


「昨年は不受胎でしたから、もう引退させてあげたいって思ったんでしょうね。本来は1年毎にしてあげたかったみたいですし」


 高齢になって来た繁殖牝馬は、馬への負担を考えて種付け年を1年毎と言うように開けることが多い。しかし、北川牧場としても経営的な面を考えると、どうしても収入の柱となるサクラハキレイに頼らざる得なかったのだった。


「北川牧場産駒は、ステイヤーで晩成、今の人気からは大きく外れているからな。今の馬主層から好まれるのは、早め仕上がりの高速馬だ。重賞勝ちの実績があるからこそ生き残っているが、あそこも数年先を見ると厳しいな」


「うちと違って乳製品やお肉の販売もしていますから、恵美子さんはやり手ですよ?」


 妻の言葉に北川家の事を思い浮かべ、確かにあそこの恵美子さんは卒がなかったなと納得する。


「桜花ちゃんが跡を継ぐのかな? まだ高校生だと其処も判らんか」


「恵美子さんからは聞いていませんわね。でも、大学受験もありますから、そろそろ進学先で悩んでられるかしら?」


 ミナミベレディーが桜花賞に勝利するとは欠片も思っていない二人の会話は、次第に北川牧場の将来について話題が移っていく。自牧場が廃業を余儀なくされた事からも、やはり北川牧場の将来が気になるのだ。


 そんな二人の目の前で桜花賞がスタートし、ミナミベレディーが中々良い位置取りでレースが展開される。4コーナーから最後の直線に入り、そこからミナミベレディーは前を走る馬を抜き、先頭に躍り出た。


「お? 粘るな」


「あら、頑張るわね」


 テレビでは、ミナミベレディーが最後の直線で思いもよらぬ粘りを見せている。そして、ミナミベレディーとタンポポチャの2頭が横並びでゴールした。


「これは、勝ったか?」


「どうかしら? 微妙ね」


 ゴール間際の映像がスローで流されるが、2頭が並んでゴールしている様に見える。二人は、会話する事も忘れてレース結果を観ていると、1着に3番の数字が点灯する。


「お? おお、勝ったぞ!」


「凄いわ! ムテキの仔がGⅠを勝ったわ!」


 カミカゼムテキ産駒がGⅠを勝つなど、白石夫妻のどちらも考えた事が無かった。それが、正にカミカゼムテキの種牡馬引退を目前にして、桜花賞を、GⅠを産駒が勝利したのだ。


 知らず知らずに、二人の目から涙が流れていた。


 競走馬の生産牧場として、GⅠを勝つ馬を生み出す事は目標であり夢なのだ。カミカゼムテキがGⅡを勝利してくれた時、若しかしたらと思いながらも叶う事のなかった夢。


 皮肉にも、その夢は牧場の廃業を決めてから叶う事になった。


「ははは、嬉しいな。こんな嬉しい事は無い」


「そうね。ついにムテキの仔がGⅠを勝ったのね。凄い、本当に夢を見ているみたい」


「後でムテキにも教えてやらんとな。なんせGⅠ馬の父だ」


「ムテキにあげるリンゴを買いに行かなくっちゃ」


「リンゴかあ、まあ、ムテキはリンゴが好きだから良いか?」


「ええ、ここ最近はバナナやニンジンばかりでしたわね」


 思ってもみなかった贈り物に、二人は大喜びをする。そして、GⅠ馬の父になったカミカゼムテキに食べさせるご褒美を何にするかで話し始めた。


 そんな二人は、丁度種付けシーズン間近であった為に、この後カミカゼムテキに種付け依頼の電話が幾つも掛かって来る事をまだ知らない。その電話の所為で、白石夫妻は又もや北川牧場へお祝いの電話を入れる事が中々出来なくなるのだった。

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