第262話 北川牧場とのんびりトッコ
4月に入り北川牧場では4頭の繁殖牝馬達がそれぞれ無事に仔馬を出産していた。
サクラハヒカリとトチワカバが牝馬を、ヒダマリガンバレとミユキガンバレが牡馬と丁度2頭ずつ生まれた事になるのだが、北川牧場では牝馬が2頭という事も有り残念感が漂っている。
「やっぱりヒダマリも牡馬だったんだよ。事前にエコーで判ってたけど、出来れば牝馬が良かったなあ」
「ブルルルン」(どの仔馬も可愛いですよ?)
母馬と仔馬達の様子を眺めながら、桜花はついつい目の前にいるミナミベレディーへ愚痴を言う。
今年の産駒達は、状態が安定してきたところで漸くミナミベレディーのいる放牧地に母子共に放牧されてきた。例年であればミナミベレディーの放牧は7月以降であり、もう少し成長した仔馬達と出会う。
それが、今年は出産後間もない仔馬達という事で、ミナミベレディーは仔馬達の様子に興味津々である。
「ブヒヒン」(まだ小さいね~)
流石にまだ母馬達も警戒感が強い為、ミナミベレディーも遠くから様子を窺うのみであった。
仔馬はまだ母乳しか飲む事が出来ない為に、母馬の周りをちょこちょことついて回る姿が実に愛らしい。
「ヒカリが今年牝馬を産んでくれたから、ちょっと安心できたんだよね。プリミカがGⅢで1勝してくれた御蔭で絶対に今年の仔馬は高く売れるよ!」
「ブフフフフン」(桜花ちゃん、何か悪人さんみたいですよ?)
「ん? トッコ? 撫でて貰いたいのかな?」
桜花は自分を見ながら嘶くミナミベレディーの鼻先へと手を伸ばし、何時もの様に撫でてあげる。ミナミベレディーも気持ちよさそうに目を細めた。
「でも、今年の桜花賞はドーターも出れないし、ちょっと寂しいよね。昨年までが特別だったのは判ってるけど、やっぱりドーターには出て欲しかったなあ」
「ブヒヒヒン」(ドーターちゃんは桜花賞でなかったんだ)
ドーターちゃんは食が細かったですからね。その所為でちょっと小柄でしたし、レースが終わるとぐったりしてました。
そこら辺は私とよく似ているのかな? 私もレースで走ると筋肉痛が酷かったですね。確か桜花賞の後だと肉離れを起こしちゃった記憶があります。
「去年生まれた仔達に期待かなあ。でも、どの仔も仕上がりが遅そうなんだよね」
「ブフフフフン」(ドーターちゃんの来年に期待しよ?)
桜花賞は来年頑張れば良いのです。そんな感じで、私は桜花ちゃんとのんびりとお話をしています。
でも、甥や姪がまた増えたのですよね。甥や姪が増えると、それはそれでお肉の心配があるのが困りものです。走らないとお馬さんはお肉になる可能性が高いのですよ? でも、実際にはどうなのでしょう? 私もどうやらお肉にはならないで済むみたいですし、お母さんや、おばちゃん馬ものんびり牧草を食べてます。
「ブルルルルン」(ねえ、私が心配しすぎたの?)
「よし! 気持ちを切り替えて行かないとだよね。トッコは、後でまたブラッシングしてあげるね」
桜花ちゃんに尋ねるんですが、言いたい事が今一つ伝わってないんです。
ブラッシングは好きなので、今すぐでも特に問題無いくらいです。もうレースが何時頃とか言われ無いですし、食事制限もされないので、最近ようやく引退したんだって実感できている私です。
「ブフフフン」(もう少しリンゴが多くても良いんですけど)
牧場に居ると本当にゆっくりと一日が過ぎて行くように感じます。日に日に曜日の感覚が無くなって行くんですが、週末は桜花ちゃんが帰って来てくれるのでそのお陰で週末なんだなって実感するのです。
今日も朝から桜花ちゃんに何か回転扉みたいな所に入れられて、グルグルと歩かされましたし。
「引き運動の代わりになるから助かる!」
「ブルルン」(太っちゃうよ?)
桜花ちゃんは太りやすいと思いますよ? だから油断禁物だと思うんです。
流石のヒカリお姉さんも、まだこの段階の仔馬を私に押し付けて来る事はありません。その為、牧草を食べたり、暇なときは昔の様に丘を上ったり下りたりして時間を潰しています。
本当に時々ですが、桜花ちゃんが私に騎乗して周回コースを回ったりもします。私も細心の注意を払って走りますよ。桜花ちゃんを落っことしちゃったら大変ですからね!
まさに憧れのまったり生活です! 唯ですね、何故か寝るときにはお部屋を真っ暗にされますし、それ以上に厄介なのが、何時も遅くまでお部屋の電気がついているんです。
「ブヒヒヒヒン」(もうとっくに夜ですよ? 眩しいですよ?)
そう言うんですけど、何故か電気は消してくれないので寝づらいのです。お馬さんに生まれ変わってからは早寝早起きの良い子だったので、夜遅くまで起きているのが苦手になっちゃいました。その為、周りが明るいと寝辛いんですよね。それでも寝るんですけど。
そんな事を思いながら桜花ちゃんと仔馬達を見ていると、桜花ちゃんが突然とんでもない事を言い始めました。
「トッコはまだ発情しないから、今年の種付けはやっぱり厳しいかなあ。有馬記念が終わってからだと、やっぱり上がり時期が遅すぎなんだよね」
「ブヒヒヒン!」(発情なんてしませんよ!)
何でしょう。発情なんて言うと、すっごくエッチな感じじゃ無いですか。私は純情な高校生だったはずですよ? そもそも、女の子が発情なんて言葉を口にしたら駄目なんです。私がそう抗議するんですが、桜花ちゃんはハイハイ言いながら私をジロジロと見ます。
「体格的には繁殖牝馬っぽくなってきてるのになあ。やっぱり未経産馬は準備期間がいるから今年は難しいかなあ」
「ブルルルルルン」(太ってないよ! ポッチャリだよ! あと、未計算と準備ってなあに?)
桜花ちゃんに訂正と質問をします。でも、勿論ですが答えは返って来ません。
「あ、そういえばトッコと仲の良かったタンポポチャが、無事に牡馬を産んだんだって。初仔は体質が弱かったり何かと難しい事もあるけど、今の所は結構走ってくれそうな感じだってホッとしてるみたい。タンポポチャの産駒で牡馬だし、すっごく期待されてるって。良いなあ、高値がつくんだろうなあ」
「ブフフフフン」(何かお金の事ばかりですね)
ただ、そうですか。タンポポチャさんはお母さんになったんですか。でも、全然ぴんと来ませんね。タンポポチャさんがお母さんって、う~ん、悪役令嬢に子供ですか?
ただ、桜花ちゃんのお目々に¥マークが見える気がします。ただ、桜花ちゃんは昔から牧場の事を気にしてました。何となく覚えているんですが、牧場も昔に比べて綺麗になっていましたし、大丈夫なんだと思っていましたが違うんでしょうか?
「トッコの仔はどんな仔が生まれるのかなあ。今年の種付けが駄目で来年となると、初仔は私が卒業してからになるかな。それなら週末だけとかでなくずっとお世話が出来るね」
桜花ちゃんは何やら私が仔馬を産んだ後の事ばかり話しています。
でも、そうですね。よく考えたら走らなくなったお馬さんって仔馬を産まないと存在意義が無くなるんでしょうか? だって、お金を稼がないですもんね。
「ブヒヒヒン」(現役に戻ってもいい?)
「ん? 大丈夫だよ。トッコだったら絶対良い仔馬を産むよ! キレイに負けない名牝になる!」
「ブルルルン」(えっと、仔馬はまだ早いと思うの)
「よし、トッコはもう暫くのんびりしててね。トッコ達の馬房を綺麗にしたら戻って来るからね」
「ブヒヒヒヒヒン」(現役に戻りたいなって思うの~)
桜花ちゃんは私の首をトントンと叩いて厩舎の方に行っちゃいました。
でもですね、仔馬を産むにはまだ早いと思うので、代わりに現役続行したいと思うんです。
困りましたね、午後に桜花ちゃんが来たときに、まだまだ現役で行けますよってアピールするしかないでしょうか? 誰か放牧に帰ってこないかな? 帰ってきたら、まだまだ私の方が強いよって証明するんです。
「ブルルルルルン」(うん、ヒヨリとは止めておこうかな?)
◆◆◆
桜花は馬房の掃除を終え馬達の飼料を桶に入れ終えたりと一通りの作業を終え、昼食をとる為に家に戻って来た。
「桜花、いつもより時間が掛かったわね」
「うん、トッコの様子を見て来た。やっぱり発情してないね。そもそも、する気配が無いよ」
桜花の言葉に恵美子は思わず苦笑いする。
「牧場に戻って来るのが遅かったし、未経産馬だから仕方が無いわね」
北川牧場としては、可能であれば今年に種付けを行いたかった。その為、ミナミベレディーが牧場へ帰って来るまでにお相手は見繕っており、先方にも打診をしていたりする。
「うん、まだまだ現役気分が抜けて無いのかな? まだ丘を登ったり下りたりしてるし、でも、とっくに体形は変わっているのになあ。まあ、レースでは牡馬を蹴散らしてたし、そう考えると厳しいかなあ。あ、予定通り午後からは1歳牝馬と一緒に放牧するね。あの仔達も去年はトッコには懐いていたし、トッコが鍛えてくれればデビューしても1勝くらいはしてくれると思う」
「プリミカも重賞を勝ってくれたし、いいんじゃないかしら? トッコに懐いている仔馬程活躍しているし、そういう意味では期待しちゃうわね。乳離れまでだったら当歳の牡馬も一緒に鍛えてくれるから、トッコに期待したいわね」
北川牧場でも、なぜミナミベレディーと一緒にさせた馬達が器用に走法を変えるようになるかは判っていない。ただ、北川ファミリーとすれば別にその理由は重要ではなく、ミナミベレディーと一緒に遊んでいた馬達は揃って1勝以上を挙げてくれる。そこが重要なのである。
「ヒダマリやミユキの産駒もオープンや重賞を勝ってくれれば安泰だよね。欲を言えばトチワカバの仔かなあ。トチワカバの産駒が重賞を勝ってくれれば売れ残る可能性はぐっと減るよね」
近年、売れ残りは無い状況が続いているが、北川牧場においても競走馬として売れ残り、乗馬にもなれなかった場合は悲しい未来が待っている。それは競走馬の生産牧場としては致し方が無い事ではあるが、可能な限りそうならない様に日々努力をしていた。
「キレイの血統は、牡馬でも牝馬でもしばらくは売れ残ったりしないと思うわ。そうすると、やっぱりトチワカバの仔が心配よね。トッコと同じ年に生まれたヒヨチャンツヨシも、あと1勝でオープン馬なのにその1勝が遠いわ」
「それでも3勝出来ているから! うちの子達はだいたい1勝は出来ているよ!」
まずは1勝。何方かと言えば晩成の馬が多い北川牧場にとって、期限内に1勝を出来るかどうかがまず問題であった。
競走馬は、3歳未勝利戦が無くなるまでに1勝する事が出来ない場合、引退、地方への移籍、格上挑戦をすると一見選択肢がある様に見える。
ただ、北川牧場の産駒はみな芝では多少なりとも結果を残しているが、地方ではあまり良い結果が残せていない。
その為に地方で2勝しての出戻りも、まず期待できない。自家製産馬には、まず1勝! その思いはどの生産牧場でも同様である。
「トッコと一緒に走って勝てる確率が上がるなら良いわね。トッコもきっと暇だと思うから1歳馬達と遊ばせて良いわよ。でも5月に入ったら一応トッコを森宮ファームにいるリバースコンタクトとお見合いさせるわ。相性が良ければ上手くすると発情してくれるかもだし、トッコもタンポポチャに会えるから嫌がらないでしょ。タンポポチャの様子を見て母性に目覚めて欲しいわね」
「タンポポチャに会えると判ったら、トッコは絶対に大喜びするよね! 仮病すら止めて会いたがったって聞いたもん。でも、母性かあ。トッコは仔馬は好きだから母性はあると思うんだけどなあ」
「ええ、お母さんもそう思うわ。だからこそ、出来ればそのまま種付け迄行きたい所ね。一度発情してくれれば、そのまま次の発情タイミング迄は森宮ファームへ預ける事になると思うの。何とか発情迄して欲しいわね」
発情周期が安定しない場合、受胎確率がどうしても下がってしまう。この為、繁殖牝馬の受胎率を少しでも上げるために北川牧場を含め、生産牧場は色々と考えるのだった。
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