秋へ向けて
第34話 オークスとその頃のトッコさん
ミナミベレディーが無事に北海道の北川牧場へと到着し、放牧が始まった頃、東京競馬場では第※※回優駿牝馬オークスが開催された。
そして、桜花賞の時と同様にこのオークスでも1番人気に支持されていたタンポポチャが、無事に先頭を駆け抜け樫の女王の座を射止めていた。
「お疲れさん、勝ってくれてほっとしたぞ」
勝利して検量室へと戻ってきた鷹騎手を、磯貝調教師が笑顔で出迎える。
「まあ流石にここは勝たないと、桜花賞馬も不在ですしね」
そう言ってこちらも笑顔で返事をする鷹騎手。その言葉に磯貝調教師は苦笑いを浮かべる。
「そう言うが、実際のところ結構接戦だったな。見てるこっちはヒヤヒヤしたぞ」
「予定通りとは行きませんでしたから。先行馬がいませんでしたし、実際のところ前が壁になってヒヤリとしたのは確かですよ。芝2400mともなると、なかなか先行するにも勇気が要りますからね。ミナミベレディーが出走してくれたほうが楽に勝てたかもしれませんよ?」
先行馬不在のレース、しかも3歳牝馬で芝2400mとあって、時計のかかるレースとなった。
これまで逃げ馬としてレースを牽引して来たファニーファニーが、まさかの出走回避とレース前から波乱を予感させたレースだったのだが、結局のところ1着タンポポチャ、2着プロミネンスアロー、3着プリンセスフラウと唯一6番人気のプリンセスフラウが3着に入ったくらいの驚きしかなかった。
「レース前から、タンポポチャが今ひとつ集中していないのが気になったんだが、まあ結果を見れば問題なかったな」
レースでタンポポチャは終始8番手付近に付け、最後の直線で鋭い末脚を見せて華麗に差しきった。
終わってみれば2着に入ったプロミネンスアローに半馬身差の堂々の勝利と、磯貝調教師を含めタンポポチャ陣営は漸く安堵の表情を浮かべたのだった。
「あれは多分ですが、ミナミベレディーを探してたんですよ。気性の荒いタンポポチャが不思議と仲良しですからね。もし牡馬だったら相性抜群だったかもしれませんよ?」
そう言って笑う鷹騎手に、磯貝調教師はあきれた表情を向ける。
「何にせよ、これでGⅠを2勝だ。秋の秋華賞も獲って何とか2冠は欲しいが」
「頑張りますとしか言えませんね、それこそミナミベレディーも秋華賞に照準を合わせてきますよ?」
「あの馬は良くわからんからなぁ」
そんな会話をしながらも、表彰式へと向かうのだった。
◆◆◆
そんな5月も終わり、時は少し進み6月 東京競馬場で行われた芝、左周り1600mで競われる牝馬限定新馬戦。
出走馬12頭のレースを、サクラハキレイ産駒であるサクラヒヨリが出走していた。もっとも残念ながら3着と初戦を勝利で飾ることはできなかったのだが。
「芝1600mは、サクラヒヨリには慌しかったと思います。反応も悪くありませんでしたし、距離が長くなれば早いうちに勝てるとは思います」
騎乗した長内騎手の言葉に、馬主である桜川も、調教師である武藤も少し考える素振りを見せ長内騎手を慌てさせる。
「あの、勝てはしませんでしたが、何か不味かったでしょうか? ミスというミスは無かったと思うのですが」
中堅で重賞も30勝以上している長内騎手であっても、何か問題があったかと桜川と武藤調教師の表情には不安を覚える。
ましてや、長内騎手は馬主である桜川の所有馬を他に2頭任せられているし、武藤調教師には数多くの騎乗機会を貰っている。出来るなら機嫌を損ねたくは無い。
「いや、良いレースだった。そうだな、早いうちに勝てるだろう」
武藤調教師の言葉にほっとする反面、では何が二人の表情を厳しくさせているのかと心配になるのは仕方が無い。
「何か問題がありましたか?」
「ああ、長内騎手がどうこうという訳じゃないんだ。武藤先生とも話し合っていたんだが、サクラヒヨリの適正距離で悩んでいてね。全姉のミナミベレディーが1600mで重賞を2勝しているが、やはり適正は1800m以上、若しかすると2000m以上なんだと改めて確認できた。そんな感じだね」
「桜花賞を勝っているからね。しかし、このサクラヒヨリは悪くないですよ。狙うなら長めの方が良いでしょうが、まだ成長途中っぽいですし開花するのは3歳後半くらいからかもしれません」
長内騎手も今日の手応えを思い出し、嵌まればGⅢなら勝てるだろうと思った。もっとも、まだまだ馬的には成長途上であり、本格化するにはまだ時間がかかるとも感じていた。
「この後の調教しだいですかな? 武藤調教師、頼みましたよ」
「いやぁ、こりゃあ安易に引き受けるんじゃなかったですな」
桜川の期待に武藤調教師は顔を引き攣らせるが、確かに悪い馬ではない。ミナミベレディーを美浦トレセンへ来たときに見ているが、その時の印象を思い出すにサクラヒヨリの方が将来性はあるように感じる。
もっとも、その今ひとつに思えた馬がGⅠを勝利しているのだ。この為、此処最近の武藤調教師は自分の相馬眼に迷いを感じていたりする。
「とにかくまずは1勝ですな。すべてはそこからです」
武藤調教師の言葉に他の二人も大きく頷くのだった。
◆◆◆
北海道の北川牧場では、サクラヒヨリの新馬戦を牧場のみんなで観戦していた。
そんな中、最後のゴール前でサクラヒヨリが抜かれた瞬間には、牧場中に桜花の絶叫が響き渡っていた。
「うわ~~~~、最後は抜かれちゃった。3着かぁ、勝利はお預けだね」
「そうそう新馬戦であっさり勝利なんてならないものだな」
そう言いながらも北川牧場の面々は、実際は思いっきり期待していたのだが、そうそう上手くいくものでもない。
サクラハキレイは昨年すでに繁殖牝馬を引退している。今後も産駒がいない為に、ここで勝っても取引額が大きく変わる産駒はいないのだ。
その為、牧場の面々は比較的冷静にレースを見ていたりする。
「今年はヒカリの産駒に期待したいわね。なぜか母馬のヒカリよりトッコの後をついて回ってるから、上手くトッコのように育ってくれないかしら」
桜花賞後に北川牧場へと放牧に帰ってきたミナミベレディーは、放牧後に昨年仲良くなったサクラハヒカリへ帰郷のご挨拶へと向かった。すると、今年も昨年と同様に、サクラハヒカリは4月に出産した幼駒と共に出迎えたのだった。
「ヒカリがトッコを警戒しなかったのは吃驚だよね。トッコのこと覚えていたのかな?」
出産後の母馬は非常に警戒心が強い。サクラハキレイなどはその典型で、自身の子供であるサクラハヒカリやミナミベレディーなどに対しても、幼駒を育成中は威嚇行動すらとる。もっとも、出産後半年で離される自身の子供をどこまで覚えているかは不明ではある。
「ヒカリは大らかだからな」
「大らかというより、無頓着かしら? あまり子供に構わないわね。逆にトッコのほうが興味津々よね」
流石に授乳は出来ないのだが、グルーミングなどサクラハヒカリ以上にミナミベレディーが幼駒に構うのが面白い。
そのせいで桜花が不在のときも気が紛れている様で助かってはいる。良く桜花が来ないかと柵のところで事務所のほうを眺めていたりする為、逆に桜花が気になってしまって勉強に集中できなかったりする。
そんな時にサクラハヒカリの幼駒がミナミベレディーに懐いたために、日々幼駒と駆けっこをして遊ぶようになった。
「ただ、トッコ太ってきてるよね? どこの繁殖牝馬? て感じの体型になって来てない? いくら放牧といってもちょっと心配になるよ?」
桜花の指摘に峰尾も恵美子も若干顔を引き攣らせる。
なぜなら、二人ともなんかそうじゃないかなと思い始めていたのだ。
「やっぱり不味いよな? ただ、運動量はそこそこあるはずなんだが」
「そうよねぇ、なんであんなに丸々してきたのかしら?」
戸惑う二人に対し、桜花は冷静に原因を指摘する。
「食べさせすぎだよ。うちの飼料と同量を与えちゃ食べさせすぎなんだと思う。あっちは栄養価が高いんじゃないかな?」
ミナミベレディーの食べる飼料は馬見厩舎から送られてきている。この為、北川牧場の他の馬とは食べている質が違う。
「いや、そこまで違わないんじゃないか? 量だって注意しているぞ?」
「でも、放牧中にも牧草を食べているわよね。その量を考えると確かに多いんじゃないかしら?」
「トッコは放牧中も結構食べてるから」
トッコ大食い疑惑がここに発生したのだった。
◆◆◆
まさか牧場内でそのような乙女の尊厳に関わる話をされているとは欠片も思っていない私は、のんびり放牧生活を満喫していました。
今年はヒカリお姉さんに女の子の子馬さんが生まれてて、ちょっとビクビクしながらご挨拶したんです。
それでも、ヒカリお姉さんは昨年同様に温かく私を迎え入れてくれて感動しちゃいました。ちなみに、お母さんは今年も貴方はだあれ? といった感じで寂しいです。
ついお母さんを視線で追っていると、私の視界に小さな子馬が入ってきました。
「キュフフン」
「ブフフン?」(どうしました?)
ヒカリお姉さんの子は、なぜか私に凄く懐いてくれて可愛いのです。
その為、思わず一緒に例の丘を上ったり下りたりと私の基本となった訓練方法を伝授しちゃいました。これでこの子もレースに勝てるようになると良いですね。勝てないと何といっても馬肉ですからね・・・・・・。
「キュヒヒーン」
「ブヒン?」(なあに?)
私が丘をタッタカと上ると、置いて行かれた子馬ちゃんが慌てて走ってきます。ただ、なぜ母馬であるヒカリお姉さんはのんびり牧草を食べているのでしょう? 自分の子馬の声に、一応は耳をぴくぴくさせています。
気にはしているのでしょうが、何となく私はお世話係になっているような気がしないでもありません?
「ブフフン」(お姉さん?)
一通り子馬と遊んでお姉さんの所へと戻ると、漸く子馬はお姉さんのお乳を飲み始めました。流石にこれは私が代わってあげれませんから。でも、一応悪いと思っているのか、お姉さんが私の首をハムハムしてくれます。
私もお姉さんの首から背中をハムハムしていると、こっちへと誰かがやって来るのに気がつきました。
「トッコ~~」
「キュヒヒーーン!」(桜花ちゃんの声だ~)
私は慌てて声のした方向へと顔を向けると、柵のところで桜花ちゃんと牧場のおじさん達が集まっています。どうしたのでしょうか?
トットコトットコ
いつものように柵へと走っていくと、皆さんの視線が私の・・・・・・お腹へと注がれています?
妙齢なレディーのお腹をそんなに注視するなんて失礼ですよ? 思わずそう言いかけた時、逆に衝撃の発言が飛び出しました。
「ほら、ぽっこりお腹だよ? ねぇ、間違っても妊娠してないよね?」
「馬鹿なことを言うんじゃない! ここには牝馬しかおらん」
が~~ん!
桜花ちゃんから飛び出したあんまりな発言に、私は口をポカンと開けて硬直しちゃいました。ただ、そんな風に硬直している暇は無いと、慌てて正気に戻って抗議をします。
「ブルルン! ブヒ~ン!」(失礼な! そんなに太ってないもん!)
そりゃあ、ちょっと食べ過ぎてるかな? とは思っていましたよ。放牧中も牧草食べ放題ですし。でも、運動はしていますよ? 駆けっこしてますよ?
必死に弁明するのですが、桜花ちゃんから思いもよらぬ指摘がされました。
「多分だけど、ヒカリの子馬と遊んでても運動不足なんだよ。子馬に合わせての運動だけだとトッコには足りないんだと思う」
なんと! 確かに全然疲れたなとか思わなかったです。
「さすがにこれは不味いな。少し絞らないと」
「ダイエットだよね、トッコ頑張ろうね!」
「そうね、運動量も増やさないと」
無情にも牧場のおじさんから、私が二度と聞きたくなかった恐ろしい言葉が飛び出しました。ダイエット、なんと恐ろしい試練が今生でも決定されてしまったのでしょう。
でも、桜花ちゃん。なんか桜花ちゃんもふっくらしてきてますよ?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます