第4話 育成牧場へお引越し!

 桜花ちゃんが馬房にリンゴを持って来てくれた日から数日後、馬運車と呼ばれるお馬さんを運ぶ車に乗せられて生まれ育った牧場を後にしました。


 牧場のおじさんや桜花ちゃん、厩務員の人達とみんな総出でお見送りしてくれました。ちなみに、同期のお馬さんでは私が育成牧場に最初に出発するみたいです。


「頑張って来るんだぞ~~~」


「怪我だけは注意してね~~」


「しっかり走るんだぞ~~、集中して走るんだぞ~~」


 走り出す馬運車に、みんなの声が聞こえて来ます。ただ、誰もグレード何たらを勝てとか、桜花賞を目指せとか、そういう声が聞こえないのは何故でしょう? 私的には、誰かが言っていた桜花ちゃんの名前が付いたレースは出来れば勝ってみたいなあと思っているのですが。


 私が引退するまでに、何とか勝てないものでしょうか? どうも私では勝てそうもないレースみたいなので厳しいかな? ともかく、牧場には年に一回か二回は帰れるみたいなので、それが楽しみです。


 結局、お母さんにはご挨拶できませんでした。


 乳離れして結構経ちますが、その後にお母さんとご一緒する事はありませんでした。段々とお母さんの記憶も薄れて来ちゃって、次に会った時にお母さんと判るか不安ですね。


 そんな事を気にしていたら、馬運車が何処かで停止しました。


「ブルルルン」(やっと到着しましたか?)


 馬運車の中に設置されていた飼葉桶も、とっくに空になっていますよ。


 空調完備で居心地は悪くは無いのでしょうが、ただ車に揺られての移動は結構ストレスが溜まります。


 ガタゴトと音がして、漸く馬運車の後ろが開きました。


「ミナミベレディーの調子はどうだ? 初めての長距離移動だろ」


「移動を苦にした感じは無いですね、途中でも何度か確認しましたがケロッとしてますよ」


 んっと、ミナミべレディーって、若しかして私の事でしょうか? 私を見て言うって事は、私の名前だと思うんです。でも、何かパッとしない名前ですね。


 どうせならカワイイとか、キレイナとか、そこら辺が良かったです。お母さんはキレイって呼ばれていたのですが、あれは愛称でしょうか? 私もトッコって呼ばれてましたもんね。


 ミナミベレディーですか、何となく愛称とか付け辛い名前ですよね。愛称は人気を出す為には必要なんですよ?


 馬運車を降ろされて、ここでの滞在先になる厩舎へと連れていかれました。


 その厩舎までの道中ですが、凄い数のお馬さんが居て吃驚しました。厩舎の数も想像していた以上の数で、馬房が連なってまるで長屋がずらっと並んでいるみたいです。


「おお、この馬がサクラハキレイの仔馬ですか。うんうん、悪くないじゃ無いですか。以前に中山牝馬を勝利した全姉のサクラハヒカリを見た事がありますが、姉妹だけあって何処となく似ていますね」


 ん? あ、ご主人様と知らないおじさんがやって来ました。


「そうでしょう? サクラハキレイの産駒牝馬は今までに4頭いますが、2頭が中山牝馬を勝っていますし、この馬も期待できるんじゃないかと。北川牧場にお伺いした時に売れ残っていると聞いて、思わず衝動買いしてしまいましたよ」


 ご主人様が、ご機嫌で知らないおじさんと話をしています。


「ああ、牝馬なら期待できますね。サクラハキレイの産駒は、なぜか中山牝馬しか勝ちませんが。牡馬は良くてオープンまで行けるかという所ですが、牝馬はそこそこ走りますから。いやあ、良く売れ残ってましたね」


「ええ、北川さんに聞いたところ、幼駒の頃には余り走るのが上手くなかったらしく、変な走り方をしてたらしいんです。それを見た他の馬主さん達は、どの方も購入を躊躇ったそうです」


「ふむ、変な走り方ですか、気になりますね」


 近づいて来た知らないおじさんは、私の足元を触ったり、太腿を触ったり、更にはお尻まで触ったりとそこら中触りまくります。


 馬でなければ通報物ですね! まだ少女の領域ですよ私は。ともかく、一通り触診したあとに、おじさんは何か溜息を吐いています。


「うん、これと言った異常はなさそうですね」


「元気に北川牧場を走り回っていましたよ」


 ご主人様達が会話を続けている間にも、厩務員さんがやってきて今度は私を連れて馬房の方へと移動していきます。


 むぅ、変な印象を持ってほしくないのですが、仕方が無いですね。素直に移動しましょう。


「走り方が上手くないというか、嬉しいと踊るんですよ。ぴょんぴょんと跳ねる様にですね。流石にニンジンだとそこまでではありませんが。角砂糖やリンゴ何かを貰うと大喜びして、本当にかわいい馬なんです。会う時には必ず角砂糖を常備してたりして。まあ、北川さん曰く、ピョンピョンダンス以前にも色々あったそうですがね」


 そう言って笑う大南辺に馬見調教師も苦笑を浮かべる。


「まだ1歳ですから、無理をさせずにやってみますよ。出来れば来年の6月デビューで、ライバルが少ないうちに2歳GⅢあたりを取れればいいですね。サクラハキレイ産駒だとちょっと厳しいかな?」


「気性は人懐っこく大人しい馬なので、レースで安定して走れるかと言えば不安なのですが、そこは馬見調教師に任せました。宜しくお願いします」


 馬房までついて来たご主人様達は、相変わらず私を見ながら会話を続けています。


「大人しい馬は、確かにレースで気合負けする事もありますね。臆病という訳ではないのなら、あとは私達の腕次第ですか。責任重大ですな」


 そう言って笑いあう疑主人様達は、私が馬房に入るとさっさと何処かに行っちゃいました。


◆◆◆


「おや、先生、お早いですね」


 大南辺との契約取り交わしが終わると、馬見調教師はミナミベレディーの馬房へと戻って来た。すると事前に依頼していた石井獣医が、ミナミベレディーの診察を行っているのに驚く。


「馬見調教師、いやなに、他の馬の診察した後に馬房を覗いたら、この馬に絡まれまして。いやあ、人懐っこい仔馬だなあ。ついでに一通り見てみたんですが、悪い所はないですよ。まだまだ成長途中ですが、この時期で見ると良い感じじゃないかな?」


「ブルルルン」(だよね! 良い感じだよね!)


 褒められて嬉しくなって、私はこの先生をベロンベロン舐めます。


「おおお、本当に人懐っこいなあ」


 何処となく消毒液とかの香りもしたし、獣医さんって言うから動物のお医者さんだよね? 病気や怪我は怖いので、お医者さんと仲良くなっておくに越したことはないのです。


「今日来たばかりのまだ一歳馬ですよ。大南辺さんの所有馬でミナミベレディー。サクラハキレイの産駒ですね」


「ほお、サクラハキレイの産駒牝馬ですか。それなら期待できそうですね」


「まあ中山牝馬は勝ってくれそうですかね」


 先生達は笑っていますけど、中山牝馬って勝ちやすいのかな? なら頑張って勝ちたいです。お肉になるのは嫌なのですよ! とにかく、頑張って訓練します。訓練は裏切らないって誰かが言ってましたよね。



 そして、調教牧場での生活が始まりました。


 鞍乗せから始まって、騎乗しての練習やら、馴致というのをさせられて、ただ初めて鞭を使った調教をされた時には思わず吃驚して前に走らず飛び上がっちゃいました。


 何か嫌な物持ってるなあと気が付いていたんだけど、まさか走っている途中でお尻を鞭で打たれるとは思いもしなかったです。


 ピョコピョコした変な走り方になっちゃうのも、仕方が無いですよね?


「鞍乗せも、ハミも、それこそゲートすら問題が無かったのですが、追い切りで鞭使うと変な走りになります。吃驚して上に撥ねるみたいで、危うく落馬しかけました」


 馬見調教師は、ミナミベレディーの調教を任せている助手からの報告に思わず首を傾げた。未だかつて鞭を入れて上に飛び上がった馬など見た事が無い。


「良く判らんが、とりあえず見に行く」


 そして、馬見調教師がミナミベレディーの調教をつけている放牧地へとやって来ると、若手騎手が騎乗し調教を行っていた。その様子を見ていると、素直に騎手の指示に従っているように感じる。この時点でのミナミベレディーを見て、馬見調教師は手ごたえを感じていた・・・・・・鞭を使うまでは。


「何だあれは?」


「恐らく、鞭を使われたことが無いんだと思いますが」


 直線でスパートさせるために鞍上の騎手が軽く鞭を入れる。すると、今まで軽快に走っていたミナミベレディーの走りが、途端にチグハグとしたものに変わる。


「う~む、もともとミナミベレディーは変な走り方をする馬だったらしいからなあ、今でもぴょんぴょんダンスはするんだろ?」


「ええ、嬉しい時はそれはもう」


 馬見調教師はその後もしばらくミナミべレディーの走りを見て、一つの決断をする。


「あの馬は賢いからな、スパートの指示を出すのに手鞭で首の辺りを叩くようにしてみるか。尻を叩かれることに違和感を感じるのかもしれん」


「はあ、肩鞭や見せ鞭とかでなくですか?」


「とりあえずやって様子を見よう」


 腕を組んで見ていた馬見調教師は、ミナミベレディーに乗る騎手へこっちへと来るように指示を出す。


「鞭を使わず首に手鞭で指示を出すようにしてくれ。手鞭の後は、全力疾走する様に手綱を扱くなどで指示の意味を教えて欲しい」


「ブルルルルン」(手鞭ってなに? 首をトントンされたら全力で走るの?)


 どうやら先程の鞭は全力で走れと言う指示だったみたいです。でも、痛いですよ? あと私のせっかくの綺麗なお尻に跡が出来たらどうするの? トッコさんはちょっとお怒りですよ?


「ブヒヒン!」(暴力は駄目ですよ!)


 一応、こういう事はちゃんと抗議をしておかないとだと思います。玉のようなお肌なのです。ましてや、鞭を使うなんて論外だと思います。


「やはり鞭は嫌いなようだ。まあ好きな馬はいないだろうがね」


「判りました、とりあえず言われたようにやってみます」


 鞍上の騎手が再度コースへと戻り手鞭で指示を出すと、ミナミべレディーは一気に加速を始める。


「ふむ、まるで人の言葉が判るようだ。さっきの説明で理解した訳ではないだろうに」


 苦笑を浮かべながらも馬見調教師は今後の騎乗に於いて鞭を使用しない方向へと方針を変える。


「あの変な走り方されて故障されたら洒落になりませんからね」


「うむ」


 手鞭で走るなら、リスクを冒してまで鞭を使う事も無い。とにかく様子を見る事にするか、馬見調教師はそう判断するのだった。

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