第四章 偽悪×偽善=照応依存 3
翌日。海上保安庁所属、巡視船マリアナ。その甲板に、シャルロットとドミニクの姿があった。夜も開けない時間からジオに呼び出しを受け、指示通りにしたらあれよあれよと巡視船に乗せられ今に至る。時刻は出航から一時間後の早朝だ。
潜入するなら夜がよさそうなのに、何故日中なのか。答えは至極単純で、夜の海は危ないから、である。
任されたのは、ポントス島海底洞窟を改造した海底ドックの調査と制圧。そして、内通者の手がかりを入手すること。タイトロープ島の方は双子に任せておく。上手くやってくれるだろう。
「仮眠はできたか」
「あんまり……でも、酔ってないので大丈夫です」
準備を終えたドミニクに話しかけられ、シャルロットはぼやいた。二人の正面には、グラナート海岸で対峙したノイエが立っている。
相変わらずスタイルの良い女だ。ポントス人の総締めとも呼べる彼女は、背筋がまっすぐで姿勢がいい。
「……海底ドックまでは、我が連れていく。その後我は島に戻るが、彼奴等のことだ、地上にも入り口があろう。それを探し、後に合流する。──くれぐれも、死んでくれるな?」
ノイエは乗船したきり仏頂面のままだ。島の海底洞窟を弄り回して海底ドックを作っていたなんて、寝耳に水だったらしい。この切れ長の朱眼に睨みつけられたくはないものだ。
「アレヤ殿。海底洞窟というのは、どのような?」
「我が知る洞窟は、そこまで長く、深くはない。子供らが潜って戻れなくなると危険故、基本的には海域そのものを封鎖している。海流で削られた、島へと潜り込む窪地──としか、考えていなかったが」
「……知らぬ間にごちゃごちゃやってた、って感じです?」
「──嘆かわしいものよ」
シャルロットの問いに、ノイエは頷いた。
とはいえ、疑問も残る。潜水艇が入れるほどの大掛かりな海底ドックを、どうやって気取られずに造ったというのか。
──悶々と考え込んでいると、甲板に一人の海上保安官がやってきた。
「お三方、指定地点に着きます。接近限界地点です」
現場についたようだ。ここからはノイエの魔法で、海から接近する。何の備えもせずに海に入るなんてゾッとするが、ここはポントス人特有の魔法を信じるしかないだろう。
「では行くぞ」
言って、ノイエが甲板から飛び降りる。真下に降りると巡視船のスクリューや水流に巻き込まれるので、出来る限り遠くへ。ノイエの魔法の発動を見てから、目標に向けてシャルロット達も飛ぶ手はずだ。
慣れた様子で巡視船から離れた遠くへ着水し、水柱が高く上がる。あんなに飛べるかなと少々不安に思っていると、ドミニクに腕を取られた。
「病み上がりだろ、連れていく」
「えっ、いやあの」
ドミニクの肩に腕を回す形になり、しかし言う通りでもあるので拒否ができない。
確かに身体能力はドミニクの方が上だし効率的ではあるけれど、ここ最近で何度もドミニクに抱えられた覚えがある。
ちょっとだけ不服だ。バトルブーツをちゃんと使えば、あのくらいの距離跳んでいける。ほんの少しだけ抵抗しようとして、ドミニクの胸板を押すが、びくともしない分厚いそれに、押していた掌は数回で拳になった。ぽかぽかと叩き続けると、ドミニクが怪訝そうに見下ろしていた。
「手っ取り早いだろ」
──恥ずかしいのか?
「触るなら一言言ってくださいって言ってんですよ! 一言! 説明しろって! 何度も言ってます!」
「どうせ許すだろう、お前」
「~~っそうですけどぉ!」
だからって許可を得ようともしないのはなんだ。私に触るのは事前承諾制だし、割とプライベートゾーンは広い方なのだ。今は緊急事態でもなんでもないのに。
「不満ならオフの俺を振り回すのも控えてほしいが?」
駄々をこねるシャルロットに、ドミニクは挑発するように言った。
すん、とシャルロットが真顔に戻って、当然の如く言葉が吐き出される。
「え、それは嫌です」
「だろう。だから俺もお前に了承はとらない」
本当に我が儘な奴だ。
ドミニクが鼻で笑ったので、シャルロットも負けじと口を尖らせて笑い返した。
「分かりました。連れてってください。無駄に魔力を使わせたくないんでしょう? 魔力中毒でバランス崩れたばっかりだから」
「分かってるじゃないか」
一人で跳ぶか二人で跳ぶか決めている間に、海上の方ではノイエが準備を終えたらしい。海面に半球状の泡が浮いており、ノイエはそこに立っていた。
なるほど、水圧と海水から身を護る泡を作って、その中に入るのか。速度を出したいなら海流を操作すればいいし、これなら濡れることもない。濡れる前提の民族衣装であるノイエのドレスより、ドミニクの刀やシャルロットの持つ魔導機器は水濡れ厳禁の代物だ。
「──ご武運を」
海保の保安官の敬礼を受け、諦めてドミニクに身をゆだねたシャルロットを抱えてドミニクが甲板から跳躍する。
柔らかな潮風が頬を撫でた。ドミニクは大振りなロングコートを翻して、ノイエの造った魔法の泡に着地する。ぼよんと柔らかく足がめり込んで、そのまま海中に潜り込む。
鮮やかな空一色だった視界は、どこかくすんだ青い海へ。頭上からの太陽光が海中を照らし、三人を包んだ巨大な泡は沈んでいく。
「さて、行くぞ。しばし時間がかかる故、海中散歩でも楽しんでおけ」
泡の中で、体はふんわりと浮かんでいた。差し込む光は空のオーロラの様にも見えて、普段見られない風景に圧倒される。
一面の青だった。上下左右何もない。周囲を見渡すように泡の中でくるりと回ってみると、頭が自然と海面を向いた。どうやら姿勢を正されているようだ。
「……海の中で、最も恐れるべき事象は、何だと思う」
くるくると身体を回して奇妙がるシャルロットに、ノイエが問うた。
「えっと……肉食魚とかです? サメとか」
「否。最も危険なのは──方向感覚を失うことだ」
故に、海中を進むための魔法は、頭上が海面を向くように作ってある。
言われて、シャルロットは海底を見た。もう少し深く潜れば、日が遮られて真っ暗になるだろう。何も見えない真っ暗闇の海の底。
深海と言えば、シャルロットの心象風景も似たようなものだったけれど。あれは縦穴で、壁面は魔石の花で彩られていたから灯りはあった。何より、シャルロット自身がいたのが底の底だったから、落ちる場所などなかった。
「仮に光が届かない場所、入り組んだ地形で方向を見失えば、帰路が分からなくなる。光がなければ尚のこと、どちらが底でどちらが空なのかも分からぬ。潜水の達人とて、道があらねば帰ってはこれぬ」
「なるほど」
「海と密接である民の知恵、というところか」
「然り。今回はないが、むやみに砂を巻き上げるのも厳禁だ。周囲が見えなくなる故」
確かに海中は地上と違って空気がない。滞在するのに制限時間がある上で帰り道が分からなくなると死まっしぐらだ。余程の恐怖と焦りが発生するだろう。訳も分からず帰りたい一心で海底に向かって泳いでいました、なんて笑えない話だ。
移動を任せ、姿勢を崩して泡の中で待つ。海中を進む泡を、時たまウミガメたちが通り過ぎ、マンタが雄大な体を見せつけて飛び交っていく。魔法の泡を使わなければ生きていけない人間を、物珍し気に彼らは見ていた。
ひときわ大きな魚体が横に現れる。
「……一ついいか。シャルロットの前世について、よく知っているそうだが」
「なにか」
「俺については知らないのか。俺達は魂の片割れ同士だと聞いたんだが」
ドミニクの問いに、ノイエは少し考え込んだのか泡の速度が遅くなる。ふよふよと浮かびながら、ノイエは杖を椅子のようにして脚を組んだ。
「……魔女ばかりが表に出てきていたのでな。その半身については、言及すらされておらぬ。もしいたのならば、魔女の後ろにいたのではないか」
「あー、でも気持ち分かります。ドミニクさんがいるとすごい安心するっていうか」
ノイエの考察に、シャルロットもまた同意してみせる。
「なんか、まぁ何とかしてくれるでしょ! って思います」
「俺に尻拭いをさせるな、阿呆」
ドミニクが肩を竦めた。信頼の現れなのだから、もう少し喜んでくれたっていいのに。
これ以上はドミニクの小言が始まりそうな気がしたので、シャルロットは話を逸らした。
「そういえば、おばあ様とかでしたっけ? 魔女の戦い方がどんな風だったとか、聞いてたりしません?」
「ふむ……そうだな。今後の参考にもなるだろう。武器は魔導弓だったそうだ。アトラス人にもかかわらず、海上を浮遊術で飛び回り、魔力の矢を撃ち放つ……数多の魔法は迎撃され、通ったものすら強靭な魔法障壁に阻まれる。にもかかわらず、魔法は主に魔法障壁しか使わなかったそうだ」
シャルロットは魔力への脆弱な体質を魔導機器で補った。では似たような力を持つ同じ人はどう対応していたのか、気になったのだ。
魔導弓はその名の通り、魔力で生成した矢を放つもの。杖を同等の魔器であり、魔力生成がままならないシャルロットには扱えない代物だった。
「それは、障壁しか使えなかった感じです?」
「いいや。矢と壁で済むから、使う必要がない、と──数多くのポントスの民を手玉に取りながらも、決して本気ではなかったらしいが……なかなかに策士だったようだぞ」
きっと魔導矢や障壁を駆使し、立体的な攻撃を仕掛けていたのだろう。浮遊魔法を使えるなら尚の事だ。
シャルロットの魔導銃は矢のように曲射できないし、空も飛べないし、魔法障壁を攻撃に転用する方法だって思いつかない。前世がやってたならできるんだろうけけれど。
「策士だったんですか、すごいなぁ」
素直に感嘆と呟くと、ドミニクとノイエから冷めた視線が注がれる。
「え、なんですか」
「いや、お前が言うか、と」
「攻撃の読めなさは、似たようなものだと、思うがな」
特に自覚はないのだが。首を傾げて不満を示すと、再びため息が返ってくる。
「お前はその無自覚さを何とかしろ……」
「言っただろう。それが主の傲慢さ、とな」
傲慢というより、わがままで我が強いだけだと思う。気の置けない人にしか、そんな横暴な態度は取っていないし。本気でダメと言われれば止める理解の速さだってある。うぬぼれている訳ではない。
「さて……着いたぞ。ここは空洞のはずだったが……埋まっているな」
話をしている間に、いつの間にか速度を上げていた泡が現場へたどり着く。ポントス島の海中深く、地上は岸壁がそそり立っているだろう。こんなところに海底ドックなどあるのだろうか。
「しばし待っていろ。調べてくる」
ノイエは内側から泡に触れ、泡が二つに分離する。シャルロットとドミニクを残して、ノイエは新たな泡の壁に包まれて岩壁へと近寄った。
「……海底にあるんだ。岩に偽装した扉を作ったか、例の隠蔽魔法で隠しているかだな」
「見た感じただの岩壁に見えますけど……だとしたら精巧ですね」
海中では動けないので、ノイエの調査待ちだ。海底ドックに潜入すれば、そこから先は敵地である。ハーネスのベルトやガントレット各種の再調整をして、ノイエの帰りを待つ。
『やはりな。魔法で作った岩を張り付けた上で、魔法で気配を隠している──分からぬはずだ』
脳裏にノイエの言葉がよぎる。念話だ。なんとも器用なものである。
「解除できそうか」
『問題ない。隠蔽魔法の術式はヴェルトから伝えられている。岩壁を破壊した後、突入しろ』
「隠蔽魔法はどうするんです?」
『解除すると彼奴等に露呈する。逆手に取り、主等の侵入を隠匿する』
言って、ノイエは泡の中で杖を構えた。海底の暗がりを杖に灯った魔力が照らし、徐々に隠蔽魔法の魔法陣が露わになる。ノイエが魔力を束ねて壁へ向けると、いつかエルがしたのと同じように収束した魔力が岩壁へと照射されていく。
細く伸びる魔力の周りが泡立っている。ブクブクとエアカーテンのように海面へ向けて伸びる水蒸気の列で、岩を熱して魔力結合を緩めているのが分かった。泡で包まれているから判然としないが、煌びやかなマーメイドドレスは裾が激しく波打っている。相当量の魔力を使っているはずだ。
ドミニクが簡単にやってのける魔力の融解分離反応も、やはり常人には厳しいもの。ノイエが魔法に長けたポントス人の中でも上位に類する魔法士だからこそできる技だ。
岩が徐々に崩れて海底に落ちていく。その様を見ながら、シャルロットは今一度任務内容を思い返した。
「……絶対に突き止めてやるんだから」
海底ドック内での情報収集。慰霊式典に際したデモに乗じた銃撃事件と、慰霊公園に向けて魔法弾を撃った
どんな組織が絡んでいようが、何が目的だろうがどうでもいい。シャルロットとしてはオーウェンに関連する情報が一番欲しい所だ。正直彼の動機については皆洗いざらい吐かれてしまったが、それはそれとして。野放しにすれば今後も犠牲が増えるだろう。到底許せるはずがなかった。
「そういえば、調べる方法については自由でしたよね。人がいたらどうします?」
「流石に殺すのは厳禁だ。とはいえ、ポントス島の自警団がどんな活動をしているか分からん。縛るか気絶させて、後はノイエ殿に任せよう」
「分かりました」
打合せをしている間に、ノイエの作業が終わったらしい。隠蔽魔法の魔法陣を残したまま、岩壁が砕けながらゆっくりと沈んでいく。舞い上がった砂の向こうに、大きなくぼみができていた。
『このまま主等を進ませるぞ』
言って、ノイエが杖を振る。シャルロットとドミニクが乗った泡が大きな岩壁に向かっていって、隠蔽魔法を通り過ぎた。
反応はない。存在そのものを隠す効力は、触れたものにも効果があるようだ。
陽光が当たらず、完全に暗がりに包まれた。自分たちも周囲の確認が必要だろうと、ドミニクが掌に光の玉を作り出す。照らされた洞窟内は潜水艇が接岸できる作りだからか、岩場にしては表面はなだらかで広い。到着するのも直ぐだろう。
しばらく進み、突き当りの頭上から光が落ちる。地下に掘られた空間だろうが、空気のある層に出たようだ。灯りがあるから海底ドックは稼働中。泡は舗装された壁際に寄り、ゆっくりと浮上していく。
『どうだ?』
「近代的だな。全て舗装されている。停泊している潜水艇はないが、今も動いているようだ」
『どんな不届き者かは知らぬが、残された我等の地を、かように穢すか』
ドミニクの報告を受けたノイエの声が義憤に燃える。
「ひとまず私たちは証拠の品を手に入れるだけ手に入れて出てきます。後はそちらにお任せしたいんですけど、いいです?」
ノイエたちが知り得ない地下にあったとはいえ、ここはポントス島だ。有力者の許可は得ておきたいところである。
ポントスに魔導機器を持ち込むべからず。決まりを破ったのだし、ポントス島の問題でもあるから、任せて大丈夫なはずだ
『構わぬ。事後処理はこちらで受け持とう。初めからその予定だった』
心強い支持を受けたところで、二人を乗せた泡が海面に上がった。機械的で殺風景な海底ドックの港は無人で、人の気配がしなかった。侵入するには好都合だ。
『考えたくはないが……同胞にも内通者がいないかどうか、調べておく。後ほど合流しよう──武運を祈る』
「そちらこそ、気を付けて」
ノイエの念話が途切れ、埠頭に上がった泡が弾ける。着地して、シャルロットは奥に繋がる通路を睨みつけた。
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