幕間 屍山血河の花


 幼い頃、シャルロットは父にどんな仕事をしているのかと聞いたことがあった。

『おとうさんはなんのおしごとをしてるの?』

『……お父さんはね、誰かの大切な人を、空に送る仕事をしてるんだ』


 子供ながらに純粋に目を輝かせたシャルロットの問いに、父がどこか複雑そうに答えたのを覚えている。明朗快活なテオドリックが言葉を選びながら話すのを、珍しいな、なんて思ったがそれだけだ。


『そらにおくる……の? どうやって?』

『……体をね、燃やすんだ。そうしないと、大変なことになる。もっとひどいことになる』

『もやしちゃったらしんじゃうよ?』

『逆なんだ、シャル。死んだから……生きられなくなったから、燃やすんだ』


 質問を繰り返すシャルロットに、テオドリックの返事はだんだん重く、深刻になっていった。今思えば善悪の判断もつかない子供に、生死に関することは語りたくなかったのだろう。ただシャルロットは、普段と違う声色で、真剣に語るテオドリックをどこかかっこいいと思った。


『お父さんは……亡くなった人の最期を看取って送る、葬儀官って仕事をしてる』


 葬儀官という職業を聞いたのは、その日が初めてだった気がする。語感もいいし、何よりとっても重要そうな仕事なのは、テオドリックの語り口から察することができた。


『じゃあ、あたしもそうぎかんになる! なって、おとうさんみたいにりっぱなひとになるの!』


 シャルロットは無邪気に言った。父が仕事をしている姿を見たことはなかったが、きっととても立派なのだろう。人の命に関わるのなら相応に責任があって、社会にとって大切な仕事のはずだ。少なくともシャルロットにはそう思えた。

 なら、とっても誇らしい。『おとうさんはそうぎかんなんだよ、すごいでしょ!』なんて、翌日には友達に自慢しそうなくらい、シャルロットの父への憧憬は強くなった。


『……いいかいシャルロット』


 テオドリックは、言い聞かせるように静かに呼びかけた。愛称ではなく名前を呼ばれたことで、シャルロットは背筋をピンと伸ばして、横髪を耳にかけた。


『葬儀官は、人の死に触れる仕事なんだ。亡くなった人それぞれに人生があって、関わった人も、知っている人も、たくさんの人が死者を悼みにやってくる。目の前で悲しむ人を前に、言いようもない感情を抱える人たちを前に、つつがなく葬式を終わらせなくちゃならない。泣きたいのは遺族なんだから、思うところがあっても泣いちゃいけない。シャルロットにはできる? 人の心を、命を。どんな人であっても平等に扱うことが』

『……わかんない』

『……お父さんと同じ葬儀官になりたいと思うなら、覚えておいて』


 テオドリックは、答えがなく俯いたシャルロットの両肩にそっと手を置いた。顔を上げると、いつになく険しい表情をした父が、真っ直ぐに見つめていた。


『一番大事なのは、命に敬意を払うこと。そして、どんなことがあっても何を思っても、火葬をためらわないこと。きちんと、確固とした覚悟と意志を持ちなさい』


 テオドリックはそう言った。言葉の意味を、シャルロットの幼い頭では正しく理解することができなかったが──そんな真剣な父が余計かっこよく見えて、シャルロットの将来の夢は、その日から〝葬儀官になること〟に決まった。


『それでも、目指す? 辛い仕事だよ』

『……なる。やくそく! おとうさんみたいにすごいひとになるから、みててね!』


 だから、宣言した。その言葉が己を苛むものになるとも知らずに。



 *



 お父さんみたいに立派な人になる。心の根源に染み着いた父への一方的な約束だった。


 父が大好きだった。憧れだった。だから、思い出さないようにした。


 胸に父の顔が、声が去来するたび、抑え込まなければならない痛みがあったからだ。




 意識が泥沼の中から這い上がる。腕を突き出してヘドロを掃い、起き上がるといつものように光の差さない暗がりにいる。汚れた体を拭うこともなく、泥でべたついた長い髪もそのままに、シャルロットは慣れた動作で泥の中に腕を突っこむ。


 ここには自分しかいない。表面を取り繕う必要もなく、シャルロットの眼差しは自然と細められ厳しいものになった。


「……おとうさん……おとうさん……! どこにいるの、帰ってきてよぉ……!」


 子供の泣き声がする。親を亡くして泣き叫ぶことしかできない、無力な少女がそこに居る。


「寂しいよぉ、一緒にいてよ、なんで戻ってきてくれないの……?」


 沈んだ瞳で泣きじゃくる少女を睨みつけ、泥の中から愛銃を引っ張り出す。光に曝されれば眩く輝く純白の銃は、今は灰がかったようにくすんでいた。


「……何年も何年も、いつまでそうしてるつもり?」


 忌々しくて虫唾が走る。魔導銃を片手に立ち上がったシャルロットは、滴る泥を引きずりながら喚く少女に近寄った。


 憤怒が魔力となって湧き上がる。歩く度、零れ落ちた泥が結晶化して紅紫の欠片が弾け飛ぶ。


「お父さんは帰ってこないの。どれだけ祈っても願っても帰ってこない」

「なんで? なんで戻ってこないの?」

「いい加減現実見たら? 泣いたって叫んだって無駄だよ」


 口を突く言葉は氷塊のように冷たく、シャルロットは少女を見下しながら銃口を向けた。


「──見苦しい」


 重圧と軽蔑が乗った言葉に、少女がハッと顔を上げた。


 大きなエメラルドグリーンの瞳は泣きはらして充血し、お気に入りの薄ピンクのワンピースを涙で濡らして、少女が戦慄く。


「いやだよ、あきらめたくな──」


 耳が痛くなるほど聞いた言葉に、シャルロットは容赦なく引き金を引いた。


 速射された三発の弾丸が、少女の額を直撃する。一発目で頭を割り、二発目が頭蓋骨の中で脳を掻きまわす。三発目で、頭が木端微塵に吹き飛んだ。


 制御を失った首無しの少女が、泥沼に落ちた。シャルロットの手から握っていた魔導銃がするりと零れ落ちて、少女の亡骸と共に沈んでいく。


 追撃をかけてもよかったが、死体撃ちする余裕はなかった。


「…………諦めなさいよ」


 震える声で呟いて、シャルロットは沈みかけた少女の腕をむんずと掴んで引っ張り上げた。うつむきながら死体をずるずると引きずって、陰った小山に放り投げる。


 シャルロットの心の中。ずっと押し込めた深奥に、少女の死体のゴミ捨て場がある。泥の中に放り込み続けて顔を出した小山に、新たにできた死体を積み上げる。


 最初は首を絞めたり、殴り続けて殺した。武器がなかったから素手で始末するしかなかったが、月日が経って葬儀官になった辺りで、絞殺から銃殺に切り替えた。


 腹を抉り、手脚をねじり、頭を割って。殺しても殺しても、少女は心に沈み込むたびに現れ続けた。足元に広がる泥沼は、血液が腐ったヘドロだった。


「……いい加減、受け入れなさいよ……」


 力が抜けたようにへたり込む。

 いつもこう。うるさいから、黙らせるには殺すしかない。


 殺して、殺して殺して殺して。首を絞めて裏返る瞳も、痙攣する体も、四肢が取れた体も見飽きたくらい。


「──っふふ、ふふふ……」


 目の前に積み上がった己の屍を見つめて、シャルロットは片手で抑え込んだ顔を歪めた。眉尻を下げ、小さく口角を吊り上げる。


 どうせ独りだ。誰とも合致しない魔力。制御の利かない体。あまりに深すぎる心の闇。誰にも理解など求めないし、誰にも理解などさせたくない。


 あの子は化け物だと、誰かが言った。受け入れるには十分なほど、己の異質さには気付いていた。

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