第一章 魂を手折る者 2
後日、シャルロットは直属の上司から呼び出しを受けていた。
「失礼します……シャルロット・S・ソーン、出頭しました」
葬送庁上層部、長官の執務室に足を踏み入れる。広い部屋の奥に大きな執務デスクがあり、プラチナブロンドの髪を纏め上げた女性が椅子に座っていた。
その側方には入り口に向かってディスプレイが立てられていて、映っているのはこげ茶の髪に赤褐色の瞳をした厳めしい男性だった。顔の半面を覆う火傷の痕が痛々しく、受傷範囲が首にまで及んでいる。
「シャルロット。顔色が優れませんが、大丈夫ですか?」
上司の名は、ルクスフィア・V・へーデルヴァーリ。アトラシア大陸唯一の国家、アトラスにて、死者を管理する官庁が葬送庁。そのトップである長官職についている女傑だ。彼女は普段と違うシャルロットの様子に首を傾げたようだった。
正直、マクシミリアンを火葬してからというもの、悪夢ばかり見るので寝不足だ。目元のクマはコンシーラーで必死に隠したが、表情はごまかしがきかなかったようである。
「……問題ないです」
「本当ですか?」
「たまにあります。いつもの事なので、問題ないです」
事実なので嘘ではない。ただ頻度が異常に多いだけで。
「しかし珍しいですね、貴方が遺族に肩入れするのは。気配りがないとクレームが来るほどなのに」
シャルロットは上司や同僚からも、冷静沈着で確実に職務を遂行すると評判だった──人の心が分からないだの冷徹だの言われることがあるくらい、遺族や残された者を省みないことも多くある。制止も聞かずにトドメを刺したり、遺族の思いを蔑ろにするような強硬手段をとったり、など。怒りを甘んじて受ける態度も、思いやりがないとの評判に拍車をかけている。
例外といえば──今回の様に、己が秘めた傷に関わることだけだ。常であれば、あれだけ遺族に干渉しようとは思わない。珍しくも、シンディーに共感してしまったのが原因だろう。
自分は自分、他人は他人。割り切らなければ、心が持たない。そういう考え方に慣れてしまった。昔から、孤独感──或いは、孤立感に似た感覚を持っているのもその考えを助長させている。一つフィルターを噛ませたように、どこか別の世界の出来事のように感じてしまう。
「……そうですね。らしくない事をしたと、思います」
曖昧に誤魔化していると、ビデオ通話で同席している男が口を開く。彼はカメラ越しにシャルロットの様子をじっと見ていて、しばらく手元の資料を確認していた。
「……テオドリックの事でも思い出したか」
出てきた名前にハッとして、シャルロットは目を見開いて男を正面から見据えた。
テオドリックは父の名だ。テオドリック・ソーン。葬儀官として故郷のアウロラで働いていて、シャルロットは父に憧れて葬儀官という職についた。優しくて、正しくて。清廉潔白で、他人を思いやれる、誇りある人。だから、シャルロットは父を目標にした──子供の頃から、自分がロクでもない性格をしているのには気付いていた。だから、良き人を体現したような父の真似をすれば、或いは、と。
そのテオドリックは、シャルロットが七歳の頃に行方不明になり、今現在も生死不明のまま。同時期に起こった集団失踪事件の被害者の一人にカウントされ、既に死亡届を出してしまっている。過去の人物として心の隅に追いやった存在だ。
「──っいや、父は、関係ないです! 全然、思い出してもないです、父の名前は出さないでください! 違います、父の事なんて何も……!」
テオドリックの名前は聞きたくない。確かに父をあの
先日の出動で散々思い出してしまって嫌だったのに、これ以上話のネタにされたくない。
「そうか……失礼、名乗りが遅れた。俺はアウロラ葬儀監督署署長の
明らかに狼狽したシャルロットに、顔の半面を覆う火傷を負った男、正嗣は続ける。
「今後、テオドリックの話は控えよう。すまなかった」
シャルロットは子供の頃の記憶を引っ張り出した。確かに正嗣の言う通り、一度だけ会っている。彼の顔が火傷に覆われる前、あれは父を捜すために家を飛び出て迷子になった時だ。巡回中の彼らに発見され、保護された覚えがある。
「……あの時は、お世話になりました。それで、今回は何のお話ですか」
今日呼び出しを受けた理由は判然としない。先日火葬に際し取り乱してしまった事であれば、嘘でも言ってごまかしさっさと帰ろうと思っていた。
シャルロットは葬送庁の中で、悪性新生物対策課という特殊な部門に所属している。意識が戻り、変異が進んで人に害を成すようになった
「シャルロット・S・ソーン。ベル・ディエムでの生活に慣れたところ悪いが、君にはアウロラの葬儀監督署に来てもらう」
突然の人事異動を告げた正嗣に、シャルロットは目を丸くした。
「……アウロラに? なんで今更」
「へーデルヴァーリ長官、話を」
アウロラはシャルロットが生まれ育った故郷だ。問うと、正嗣が説明をルクスフィアに投げる。
「シャルロット。我々葬送庁は貴方の能力を高く評価しています。その貴方に吊り合うだけの葬儀官がいるので、これからは彼とツーマンセルで動いてもらおうと」
葬儀官の──特に悪性新生物対策課に所属している者の離職・休職理由で一番多いのが精神疾病だ。命に接する役職柄、どうしても遺族と
つまり、精神的に危ういところを見せてしまったから、独りで動かすには心もとない、と?
「誰なのか、詳細を聞いてもいいですか」
シャルロットの戦闘方法は周りに影響を与える。できれば単独で動きたかった。
「もちろんです。これから貴方と組んでもらう葬儀官の名前は、ドミニク・ホワイトフィールド。数年前まで私の麾下で、封印指定の
はぁ、とシャルロットは目を丸くした。聞き覚えがある名前だった。
「アウロラでは土地柄、癌化の速度が遅くてな。対策課が出張る案件は少ないが、相手は強い。少数精鋭で回しているから、お前の様に実力のある者が来てくれるのは願ってもないことだ」
ドミニク・ホワイトフィールド。ルクスフィア長官の虎の子で、驚異的な身体能力と魔力量を持つ葬送庁の最大戦力だ。そんな人間を宛がわれるとは、余程心配されているのか、信用がないのか。どちらにせよ、シャルロットに拒否権はないので受け入れるしかない。
「まぁ、そう驚くな。アウロラの対策課の人間は、皆ドミニクと同じくらいに曲者だ」
お前も馴染む。苦笑した正嗣に言われて、シャルロットは肩を落とした。
*
そんなこんなで、勤務地が首都のベル・ディエムから地方都市のアウロラに変わった。
職員用の駐車スペースに車を停め、葬儀監督署の裏口から中に入る。正面窓口のオフィスの奥にたどり着くと、葬儀官の黒い制服に身を包んだ二人の男が立っていた。辞令が降りた際に同席していた正嗣はかなりの長身で、背丈は一九〇センチを超えていそうだ。腰に差した打刀が小さく見える。
それからもう一人、男にしては長い銀髪の男がシャルロットに気さくに声をかけた。
「お、話をしてれば、だ。やぁ、シャルロットちゃんでいいかな?」
制服の上着ではなく大振りな黒のウインドブレーカーを着ていて、内には制服のベストとショルダーホルスターに引っ掛けた薄紫のサングラス。首に防音イヤーマフを引っかけ、両足のレッグホルスターには形状の違う拳銃が二丁収められている。どうやら実弾を扱う射手のようだ。髪も肌も白く瞳は瞳孔まで真っ赤なので、先天性の色素欠乏なのが伺える。
先日は気づかなかったが、二人は胸元に一つ勲章をつけていた。表彰までされるとは、かなり強力な
「はい。シャルロット・S・ソーンです。今日からお世話になります」
小走りで駆け寄って挨拶をする。たれ目の特徴的な男は相変わらずにこやかで、表情から感情が読み取れない。
「悪性新生物対策課のジオ・クヴェル・セラスだ。見てわかるだろうけど、実弾を使う狙撃手だよ。狙撃はもちろん、後方支援や斥候も得意だ。よろしくね」
「俺は署長だが、悪性新生物対策課の予備人員でもある。お前と肩を並べることもあるだろう」
よろしく頼む、と手を差し出した正嗣と握手をする。彼の右手は火傷痕でくすんでいて、顔の火傷が腕から手にかけて広がっているようだ。
挨拶は終わったし、着替えてオフィスに向かおう。その前にどうしても聞きたいことがあって、あの、とシャルロットは正嗣に問う。
「私をここに来させたの、なんでですか」
彼からすれば、シャルロットは同期の娘だ。父からどう自分の事を聞いていたか定かではないが、それを部下にするなどと、どういった風の吹きまわしだろう。
「長官が言った通りだ。それ以上も以下もない。ただ……」
正嗣の赤褐色の瞳が、真上からシャルロットを見降ろした。
「テオ──あいつからの頼まれ事もあるからな」
父親の名前を出しかけた正嗣は、シャルロットがテオドリックについて過敏に反応していたのを思い出して言葉を濁した。独り言のように呟いた正嗣が、どこか物思いに浸っているように思えて、シャルロットは首を傾げたまま返事をしなかった。
頼まれ事って、なんだろう。複雑そうな表情で己を見つめる正嗣を、シャルロットは不思議そうに眺めていた。
*
悪性新生物対策課、と表示のなされた扉を開ける。室内には先ほど出会ったジオと正嗣に加え、たったの二人しかいなかった。
「おー! 噂の新人ちゃん来た!」
入るなり、大きなディスプレイを立ち上げて作業していた女性が振り返る。軽い歩調で歩み寄り、シャルロットの身なりを無遠慮に観察し始めた女性は、黒髪を雑にくくった作業着の出で立ちだ。制服を着ていないに魔導技師のようである。
「ははぁ……うんうん、アタシにも分かるドミニク君似のオーラというか雰囲気というか……なるほどなるほど、そういうことね署長!」
「お前の悪癖だぞ、距離が近い」
頭からつま先まで念入りに確認されて、どうしたものかとあっけにとられて唖然としているシャルロットに、正嗣が助け舟を出す。
「あ……ごめんごめん、ちょっとテンション上がっちゃった」
シャルロットから視線を逸らし、言い訳じみた返事をした女性が手を差し出した。作業着の袖をきっちり止め、手には朱色のマニキュアが塗ってあるが、爪は短い。
「アタシ、魔導技師してる
「よろしく、お願いします」
「魔導式のブーツと双銃とガントレット! 一回オーバーホールさせてもらってピッカピカに整備して、術式も最適化しといたから! なんか細かい事でも相談に乗るからね! 何なら今からでもいいし! どんな要望ある? あの魔導銃、直列に連結させてみる⁉」
興奮冷めやらぬ様子で上半身を揺らし、満面の笑みを向けられては流石に苦笑いしかできない。プロに整備を任せられるのはありがたい事この上ないが、その。ちょっと押しが強い。
「奏さん、装備も大事ですけど、僕挨拶がまだなんですけど」
そんな己の仕事に夢中な奏に、もう一人の男が口を挟む。こちらは普通のスーツ姿なので、彼も葬儀官ではないようだ。
「あれ? ……あー、ごめん」
「夢中になると止まらなくなるんですからほんと……」
「ごめんごめん! 後にする、後にするから! 先、はい!」
申し訳ない、と言わんばかりに両手を合わせた奏から、スーツ姿の男に視線を移す。ブロンドの短髪に碧眼の、痩身の男だ。
「アンドレイ・アラーモヴィチ・アヴェリンといいます。どうぞドゥーシャと」
「シャルロット・S・ソーンです。お世話になります」
「僕は事務全般と各部署からの取次が主ですね。何か困ったことがあったら聞いていただければ、答えられる範囲で答えます」
一言目から自分の世界に引きずり込んできた奏に対して、アンドレイは礼節を弁えた人物のようだ。これで一通りオフィスにいる人員への挨拶は済んだが、話に聞いたドミニクの姿がない。首を傾げていると、黙って様子をみていたジオが話し出した。
「彼ら二人は非戦闘員だ。基本的には支援やバックアップが担当。じゃあ出動するのは誰って話だけど、今不在なのが三人いてね。課長のリシャがベル・ディエムに出張中で、もう二人は出動要請があって現場に出てる。そろそろ帰ってくると思うけど……ま、待ってようか。シャルロットちゃんのデスクはあそこだよ」
ひとまず待つしかないらしい。己のデスクに鞄を置き、椅子に座って身を落ち着ける。横の机も誰かが使っているようで、私物らしい灰皿の上に、どこか青っぽい灰が残っている。
「ジオ、後は任せた。俺は戻る」
「はいはい。お仕事しておいで」
緩く手を振ってオフィスを出ていく正嗣を見送り、しばらく経った頃。オフィスの扉が開いて、出動していた二人が帰って来たらしい。シャルロットが振り返ると、背の高い二人の男が入ってくる。褐色肌に藍色の髪をした男はシャルロットに気付くと、横の男を小突いた。
「戻ったぞー。お、やっぱり来てたな。おいドミニク、お前の相棒が到着してるぜ」
そしてシャルロットのエメラルドグリーンの瞳が、ドミニクと呼ばれた男を捉えた。
男はシャルロットと目が合うなり、動きを止めた。シャルロットも同様で、ぽかんと口を半開きにして男の顔に見入ってしまう。
血色が悪く、隈のせいで目つきの悪さが二割増し。艶やかな黒髪は光を反射すると青く見えて、なんとも不思議な色合いだ。
それ以上に。釘付けになったのはその瞳だ。蒼玉を思わせる深い青に、瞳孔は細長く金色で、照明の光を反射して輝いていた。
まるで宝石が埋まっているようだ。初対面なのに肌に馴染む。親近感があるというか、うまく例えられないが──眩しくて目を背けたくなるのに、魅入られてしまって動けない。そんな体験したことのない感覚があった。
「──おーい、ドミニク? おーい?」
ぼーっとしながら男の顔を眺めていると、ふっと褐色肌の男が視界に割って入る。相棒になる予定の相手に見入っていたのはドミニクも同じだったようで、動きが止まったのを不思議に思ったのか確認をいれたらしい。顔の前で手を振られ、ドミニクは我に返ったように身じろいだ。
「──うお、なんだ」
「なんだじゃねぇよ彼女のことじーっと見やがって。一目惚れかぁ?」
「それはない」
別に即答しなくてもいいんじゃないだろうか。ドミニクの言葉に、シャルロットも瞬きをなんども繰り返して気を取り直す。
「俺はジェラルド・H・ガードナーだ。よろしくな」
シャルロットに興味津々といった様子を隠さないジェラルドが、挨拶をしてからドミニクの背中を大きな動作で叩いた。
「そんでこっちが──」
「挨拶くらい自分でさせてくれ」
「おっと悪い……なんだよ、楽しみにしてたのにしおらしいな」
「──言わんでいい!」
二人が雑談している間に、シャルロットはドミニクの容姿を確認した。広い袖口と襟が大きなスタンドカラーのロングコートに、袴を模したボトムの下はブーツだ。全体的なシルエットがゆったりしているので体格は判然としない。
得物は刀。背丈があるから標準サイズに見えるが、恐らく三尺を越える大業物。大太刀と呼んでも差し支えないそれを、腰に差している。抜けない長さではないのだろう。
「シャルロット・S・ソーンだな」
ぶっきらぼうな言い方で、シャルロットとしても若干構えてしまう。彼としてもシャルロットがどんな人間なのか、書面では得られない情報を欲しがっているのかもしれない。楽しみにしていたのに、とからかわれていたから気にはなっていたのだろう。
「……そうですけど」
シャルロットは椅子から立ち上がり、少し距離を開けてドミニクの前に立った。瞳ばかりに目が行ったが、顔立ちはかなり整っている。外見こそ怜悧な雰囲気を醸し出しているが、きっと心の底まで冷たい人ではない──そんな確信があった。
「これから組むことになるドミニク・ホワイトフィールドだ。よろしく頼む」
差し出された手に握手を返す。対策課の葬儀官にしては珍しくグローブをはめていない手は、血色の悪さに反してとても暖かかった。
握手を交わしたところで、オフィスの片隅から通知音が届く。二回のコール音の後に応答したアンドレイが、幾ばくかのやり取りを終えて振り向いた。表情は硬く、緊迫している。
「出動要請です。アウロラ医科大学の院内で、遺体が癌化したと。現在霊安所に隔離し、魔法障壁で外部と遮断しているそうです」
ドミニクがアンドレイに視線を投げた後、シャルロットを見た。何故か彼の考えが読み取れる。直ぐに行けるな、と確認をしているようだった。
「行くぞ、準備しろ」
「──はい!」
「ドゥーシャさん、詳しい話は移動中に頼む」
「分かりました、ご武運を」
返事をして、二人でオフィスを出る。署内を駆けながら、シャルロットは気を引き締めて目の前を走る男を追った。
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