初恋亡霊ドールハウス ~コロッと死んだ幼馴染が黄泉帰ったら

@kagerouwan

第1話

 幼馴染の三回忌の法事に出席した帰りがけ、あの洋館の窓辺に彼女を幻視した。

 ガラス戸に夕陽が反射して見えづらいが、人影がある――。


 有栖川 三月ありすがわ みつきは足を止め、立ち尽くした。

 故人の思い出に浸るあまりにありもしない初恋の少女の幻影が見えたのか。


「クローリク……の幽霊?」


 小屋敷こやしき クローリク。

 享年十二。銀髪碧眼のハーフ、病気がちで陰のある、けれどおはなし好きの女の子だった。


 この鬱蒼と蔦絡む洋館を横切るのはかつての日常で、小学校時代から親しむ通学路上にあった。

 放課後の帰り道、クローリクはよく窓辺から通学路を見下ろしては三月のことを待っていた。見つかったが最後、門限まではふたりっきりで遊ぶことになる。

 友達付き合いが悪くなろうと、冷やかされようと、三月はクローリクとの時間を優先してきた。


『みーつき、無理はしてない? 安心して、わたしは男同士の浮気をカウントしない主義だから』


『言い方! 何だその男性観!』


『君以外の男の子とは深い付き合いがないから仕方ない。ああ、女の子ともかな。病気がちなクラスメイトを気遣って家を訪ねてくれるのは最初だけ。春に出逢って、梅雨にそれっきり。やさしさの賞味期限ってすぐ切れるんだよ』


『俺はさ、別に、やさしさで遊びにきてる訳じゃないから』


『そう、じゃあ、なんで? こうしてドールハウスでいっしょに遊ぶのが君の趣味だったっけ』


『……クロのこと、好きだからに決まってるだろ。むーぅ……、い、言わせんなよ』


『ごめんね、でもだって、嬉しくてクセになっちゃうんだよ、こーゆーの』


 他愛ない子供部屋でのやりとりを思い起こすたびに、三月はフッと笑みがこぼれてしまう。


 素敵な少女だった。

 次に彼女がなにを言い出すのか、三月は不安混じりに夢中にさせられた。


 とても、尊い思い出だ。


 洋館は空き家のはずだ。クローリクの両親は心の整理をつけるために父方の実家に転居している。

 もし人影の正体が彼女の家族親類だとして、法事が終わったばかりでここにいるのは不自然だ。


「じゃあ、一体だれが……?」


 そのうちに幻影はすっと消えてしまった。窓辺から離れてしまっただけかもしれない。


 クローリクの幻影。

 それはあくまで閉ざされたカーテン越しの人影に過ぎなかったのだから断定はできない。

 クローリクの遺影を目にしてきた直後に、いっしょによく遊んだ思い出の子供部屋に人影があれば、それを彼女だと思い込みたくもなる。


 しかし、そう、クローリクの象徴的な母親譲りの銀髪を目にしたわけではないのだから早計だ。


「……確かめるか」


 三月はこの洋館の“合鍵”を取り出した。

 キーチェーンマスコット代わりに、合鍵には一匹のネズミのミニチュアドールがくっついている。

 小屋敷のご両親から預かっている合鍵は、生前クローリクが贈ってくれたものでもある。


 当時においてはいつでも遊びにきていいという信頼の合鍵だ。

 現在においてはいつでも祈りにきていいという冥福の合鍵だ。

 喪服の黒ずくめのまま何をやっているのだろうと思いつつ、三月は正面玄関へ。ドアノブをまわすと鍵がかかっていない。念の為にチャイムを鳴らすが、応答はない。


「入ってみよう」


 好奇心に突き動かされて、三月は屋内へ上がる。定期的に手入れ“している”こともあって、生活感こそないが広々とした洋館はまだ当時の、クローリクの生きていた頃そのままに見えた。


(あのソファーでいっしょにアニメを見たっけ。あいつ、ジュースこぼして怒られたりしてたな)


 そうして一階の様子を軽く確かめると、いよいよ三月は子供部屋の二階へと登る。

 懐かしい匂いだ。

 我が家とは異なる、西洋絨毯の匂いが一歩一歩と階段を踏みしめるたびにほのかに香る気がした。


 ほんの少し埃っぽいが、どこか浮世離れした瀟洒な匂いのする洋館――。

 よく観察すれば、階段の手すりに触れた痕跡がある。何箇所か、手すり表面の埃が薄いのだ。


(……幽霊や幻影は埃で手を汚しはしない、よな)


 生きた人間の痕跡。

 だとしたら怪奇現象でないだけホッとする反面、今度は空き巣なりの可能性が高まってきた。

 三月は少々身構えつつ、子ども部屋の扉をノックする。


「有栖川です、扉、開けますね」


 返事がない。

 クローリクの子供部屋には鍵がない。三月は五秒数えてみて、それから扉を開いた。

 夕暮れの色に染まって、白い天蓋つきのベッドが赤々としていた。

 夕陽に手をかざしながら室内を見回せば、窓辺に置かれた安楽椅子に誰かが座っていた。


 少女だ。

 けれども、彼女はクローリクではない。

 長くとも、似ても似つかぬ黒髪。


 少女といえど、小学生であるはずもない十五、六ほどにみえる背丈。

 茨の森の眠り姫もかくやという寝顔で、しずやかに寝息を立てている少女。


 黒の慎ましい西洋喪服はこの洋館に似合いの、アンティークドールを彷彿とさせた。


「……綺麗だ」


 絵画めいた光景、運命の瞬間。

 三月はじっと眺める他なかった。なにか、みだりに触れてはいけない気がした。

 彼女は何者なのか、という疑問を忘れてしまった。

 黒髪の眠り姫はごく自然に、そこに在ることで完成する芸術品のようにこの視界に收まっている。


 だがしかし。

 それは冒涜的でもあると穏やかでない感情が三月の中にじわじわと沸き起こっていた。


 なぜならば、彼女はクローリクではない。

 この子供部屋の亡き主に成り代わって、あたかも住人のように眠る黒髪の少女は許しがたかった。

 それによく見れば、彼女は一体のミニチュアドールを握り込んでいた。


 思い出の人形たち――。

 クローリクとは生前、よくあの小さな掌大の愛くるしい動物の人形を使って遊んでいた。


『ミニチュアドールハウス』


 小さな人形と模型の建物、小物を飾って遊ぶクローリクの大好きな玩具だ。

 クローリクの遺した宝物だ。


 建物や小物の模型はすっかり片付けられているし、人形は押入れの中に大事にしまってあるはず。


 唯一の例外といえば、三月の貰ったネズミさん人形のみ。


 なぜ彼女がああしてミニチュアドールを握ったまま眠りこけているかはわからないが、もしクローリクの大事な遺品をただ気まぐれに引っ張り出してきたのだとしたら、やはり冒涜的だ。


「すぅ……すぅ……」


 三月は迷った末に、乱暴にならぬよう、安楽椅子を軽く揺することで黒髪の少女を起こすことに。


「ん、む、ふわ……ふぅ」


 眠り姫はいともたやすく、呪われざる眠りから目覚めて、まだ眠たげに目を細めてあくびを噛む。

 驚かさないように三月は少し後ずさって、威圧的に見下さないようベッドに腰掛ける。

 黒髪の少女はうーんと背伸びして、目をこすり、ようやく室内を見回して三月の存在に気づく。


「……んぅ、だれ?」


「有栖川 三月、小屋敷クローリクの生前の友人……だ。家主に出入りの許可はもらっている。空き巣でも入ったのかと様子を見にきたら君が寝ていたから、起きるのを待ってた」


「友、人……?」


 黒髪の少女は寝起きもあってか、不機嫌そうに黒瞳で見つめてくる。


「喪服? それ、お葬式の帰り? ああうん、お互い、それ以外にこのかっこは説明つかない、か」


「君もクローリクの葬式に参列してたのか? でも、顔を合わせた記憶が……」


「ああうん、お互い、言葉はかわしてないんだよ、きっと。故人のお友達という枠組みで、参列してる親族全員と挨拶なんてしないし。……でも、うん、ちらっと見かけた気はする。わかった、通報はしないでおく」


「罪状は住居不法侵入? それはまず君が晴らすべき疑いだよ、一体何者なんだ?」


「郡山」


 黒髪の少女は名字だけを無造作にこぼして、それっきり。

 警戒心があるにしても、こちらがフルネームを名乗ったのに名字だけとは嫌われたものだ。

 もしや郡山こおりやまではなく凍てつく北極海の氷山こおりやまなのでは。


「じゃあ、郡山さん。君は小屋敷クローリクの親戚だとして、なんでここに居るんだ?」


「なんでも、なにも」


 黒髪の少女は右手にいつでも通報可能な状態のスマホ、左手にミニチュアドールを握っていた。

 まるで心細い時に励ましてくる、おまもりのように。


「ここに住むの、高校に通うために」


「なるほど住む……住む!? ここに!?」


 予想だにしない黒髪の少女――郡山の一言に思わず三月は叫んだ。青天の霹靂だ。

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