56.散策

 久々に訪れた動物園は、昼の太陽のもとでの喧騒とは違い、ところどころ薄明りにライトアップされた独特の雰囲気で、なんだかクリスマスマーケットを思い出させる。入場したのが七時半過ぎということで、園内は薄暗いものの、まだ、夜という感じはしない。お客さんの入りも、ぱっと見たところ、四割程度か。カップルと、家族連れが多い。


 こんなところに一人で、それも女一人で来ているのは、やっぱり少数派なようで、チケットを切ってもらうときにちょっと恥ずかしかった。この辺りで比較的気楽に呼べるような距離にいるのは明日香くらいで、その明日香が実習で忙しいとなると、途端にわたしの選択肢は、消滅してしまう。明日香の実習は昨日だったはずだけれど、そういえばいつもは来るラインがなかった。とはいえ、きっと今頃レポートか何かで、また忙しくしているのだろう。


 さて、どこから回ろうか。入り口で配布されていたパンフレットを手に取りながら、現在位置を確認する。入ってすぐのところにある、水槽が張ってあるコツメカワウソのエリアでは、小さなフェレットのような生き物がちょこまかと動き回っている。こうしてみると、同じイタチ科らしく、水辺のフェレットとも見えなくもない。

オコジョにも似ているけれど、水生という以外、何が違うんだろう。中には上から垂らされたロープを咥えて、遠心力で身体ごと竜巻のようにぐるぐる回っている子もいて、元気だなと感心する。


 反対側を見やれば、今度はチンチラらしい小さな影が、薄ぐら闇の中を駆けていく。一瞬目が合って、手を振りたい衝動にかられたけど、すんでのところで抑えた。

 隣のケースでは、藁の布団でウサギが数羽、目を閉じている。


 館内を奥に進むと、ペンギンのエリアに出た。泳いでいる個体もいるけれど、広いスペースの中で、わざわざ木箱に入ってじっとしている子もいる。フンボルトペンギンというらしく、巣穴を作るため、「穴掘りペンギン」とも呼ばれているらしい。今はさしずめ、帰宅時間といったところか。


 外に出て、順当に右側に曲がる。平和に寝そべっているシマウマや、片足立ちのまま眠る、フラミンゴ。ライトアップされて、紅色というより、ほんのりとした桜色に染まっているように見える。サバンナエリアでは、キリンが腰を下ろして首だけ上げた姿で休憩していて、こちらを見やるつぶらな瞳が可愛かった。


 鳥類のコーナーは、主にフクロウが、爬虫類コーナーではトカゲや蛇などが活発に動いているらしいけれど、亀ならともかく、わたしはそもそも爬虫類全般が苦手だ。

 特設された木造小屋の前を、せっかくだけどそろそろとスルーする。


 日中に起きている子でも、夜行性の子にとっても、普段いない人間、それも大勢が夜中にやってくることは、本人たちには歓迎できないことなのかもしれないけれど、動物園の運営にとっては必要なことなのだろう。

 せめて静かにしていようとは思うのだけど、子どもたちの歓声がすごい。どちらも仕方のないことだとはいえ、動物たちには「お疲れ様」という他ない。


 徐々に増えてきた人影をよけながら、脚を畳んで目を閉じているサイを眺めた。

大きな岩礁のように見えるそれは、周りの騒ぎをものともしない様子で、ぴくりともせず目を閉じていた。


 猿やライオン、ヤギなど、起きていたり、眠っていたりする動物たちを適当にひやかし、そこだけひときわ明るい売店にたどり着いた。


 足を踏み入れると、大量の動物グッズにわきたつ親子連れやカップルでにぎわっていて、ちょっと足を踏み入れるのがためらわれるくらいだった。長瀬さんや、明日香向けに何かお土産でも買っていこうかと思って来てはみたものの、夜の動物園という非日常に触発されてか、昼間とは違う活気がある。

 

 隣のブースでは、光るキーホルダーや缶バッジ作りのコーナーがあって、こちらは完全に親子連れでにぎわっている。さらに外では、特設のフードコートがあって、地ビールやポテト、フランクフルトが振舞われている。あまりお酒が飲めないわたしでも、食欲をそそられる香りがした。 


 ここぞとばかりに明るい室内を、順繰りに見ていく。狭い通路にグッズが山積みになった店内は、夜にさしかかった時間にもかかわらず、盛況だ。


 今はすっかりめずらしくなった感のある、リラックマの被り物をしたレッサーパンダのぬいぐるみがあった。明日香にはこれなんかいいんじゃないかと思ったりして(前に他県のリラックマ展に、わざわざ行ったことがあると言っていた)、お土産選びもたまには悪くないと思った。


 長瀬さんには、迷ったけれど、いろいろな動物がプリントされた、限定ラングドシャを箱買いした。カフェ通いが好きな長瀬さんには、たぶんウケは悪くないだろう。  

 夜の動物園限定、というところも、ポイントが高い。


 まあ、なんだかんだでけっこうな出費になってしまった。定番の、自分へのご褒美的なものは、ペンギンのペン立てだけと、控えめにしておいた。お手頃価格とはいえ、スイッチを入れれば内側からぼんやり光ってスタンドライトのようになるらしく、珍しいのと可愛いので、迷ったけれど買ってしまった。


 初夏の夜。多少の熱気は残りつつも、昼間とはまったく違う、撫でるような心地いい風が吹いてくる。肩のあたりまで伸びた髪が頬で揺れて、いつも無造作に後ろで束ねた後ろ髪を思うと、そろそろ切りに行こうかと思う。最近面倒で、つい伸ばしっぱなしにしてしまっていたけれど。


 夜とはいえ、どこか煌々とした雰囲気のある動物園に比べ、ロープウェイで登って入園する植物園は、下から見ても人気ひとけはあまりなさそうだった。けれど、上り下りで往復するロープウェイにはその都度何人かのお客さんがいて、真っ暗闇というわけでもなくライトアップもされているようだ。


 マップを見ると、夜にしか咲かない花も複数あるようだし、老夫婦と家族連れが乗り込んだゴンドラが発車するのを見計らって、思い切ってわたしも乗り込んだ。

 職員のお姉さんの、「行ってらっしゃいませ」という声に、見送られる。

 つんと、草の香りがした。


 降り立った地上は森の遊歩道といった風情で、木の影になって動物園よりは暗い感じがするけれど、等間隔でオレンジ色の電灯が大きく灯っていて、入口だけでも数人の人が、マップを片手に佇んでいた。


 わたしも手元のマップを裏返し、植物園コーナーのルートを確認する。夜にしか咲かない花として、目の前で花が開くかもしれないオオマツヨイグサ、白いベルのような花弁が美しいサガリバナ、水面に浮かぶ巨大なパラグアイオニバス、ライトアップされた温室など、「SNS映え」を売りにしたコンテンツも、多数用意されている。

 案の上、あちこちでフラッシュが光っていて、みんなやることは同じなんだなーと思いながらも、わたしも目の前に咲く薄曇りの向日葵を写真に収めた。


 咲く瞬間は見れなかったものの、芙蓉ふようにも似た、衣のような花弁をしたオオマツヨイグサ、ライトアップされたソテツやサボテンなど、道中に目についたものに近づいて行って、気まぐれに写真を撮る。そうして一人歩きに慣れていた頃、それは起こった。


「お姉さん、一人? 良かったら、俺と一緒に回らない?」


 振り返ると、黒シャツにジーンズ、スポーツ刈りの若い男性が、カメラをぶら下げて立っていた。やっぱり迂闊に一人で来るんじゃなかったという思いと、面倒すぎるという思いで、弾んでいた気分が一瞬でしぼんでいく。


「や、わたし、人待たせてるんで。すみません」


「そんなことないでしょー、さっきからずっと一人だったじゃん」


 歩きながら適当にあしらっていたけど、思ったより、しつこい。売店まで行ってしまえばまけるかと思ったけれど、ここからは少し遠い。

 らちのあかないやりとりを続けるわたしたちの横を、談笑しながらカップルが通り過ぎていく。離れたところに家族連れらしい四人組が見えるけれど、ここで大声を出すのもためらわれて、わたしは目の前の言葉の通じない彼を持て余していた。


「ねえ、いいじゃん、お姉さん。お近づきの印にさー、俺、いいスポット知ってるから」


 照明に照らされた顔は笑っているけれど、男の目の奥にはいらつきが見える。

向こうから、歩いてくる団体が見える。笑い声からして、中年女性の集まりのようだ。

 これで手でも取られたら、本気で叫ぼうと思っていたら、後ろから声がした。




 


 

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