54.誘い

「鈴原さん、最近元気ですね。何かいいことでもあったんですか?」


 持参していたおにぎりを食べてうつらうつらしていると、休憩から戻ってきた長瀬さんから声をかけられた。ああ、昼休憩ももう終わりか。


「それって、普段のわたしが元気ないみたいじゃん」


「鈴原さん大人しいですもん。あ、チョコ食べます。なんと、リッツです」


「え! そんな高いもの、もらえないよ。怖すぎる」


「嘘です。チロルのバラエティです」


「・・・・・・ありがと」


 封を開けられた懐かしいバラエティパックを差しだされ、「どれでもどうぞ」と言われたので、ヌガーを手に取った。なぜか、冷たい。これはチョコの中に、白いソフトキャンディー、通称「ヌガー」を入れた、古参のチロルだ。ちなみに西日本では、一番人気のものだと聞いたことがある。

 

「鈴原さん、渋い趣味してますね。わたしこれ、歯にくっつくから苦手で」


「キャラメルっぽいもんね。でもけっきょく、わたしはこれかなー」


「わたしは、これですー」


 いちごと、きなこもち。おお、女子っぽい。あれ、待てよ。


「今は夏だし、バレンタインじゃないよ?」


「冷蔵庫で冷やしときました! いいんです! 数多いから、配りやすいんで。仕事には糖分、必須でしょう!」


 そう言って、普段仲がいいわけでもない須藤さんにまでチョコを配っているので、不思議なこともあるんだなと思いながら、PCの周りを整理していた。といっても、ペンやメモが散らかっている程度なので、それが終われば申し訳程度にデスクを拭くくらいで終わってしまう。さあ、午後の後半戦だ。いつものことだけど、目が痛い。

 帰りに目薬でも買って帰ろうかと思っていると、心なしか弾んだ様子の長瀬さんが帰ってきた。


「何かあったの」


「え、何がですか?」


 と、訊き返す頬が緩んでいる。その様子を見て、理解した。


「めずらしい。宮原さん、いたんだね」


「だから取っておいたんですよ。ここぞっていうときのために」


「ああ」


 そういうことか。前々から少し聞いていたけれど、先日「いよいよ本性を現したモラ男」の彼と別れた長瀬さんの目下の狙いは、宮原さんだ。悪いけれど軽い気持ちかと思っていたら、けっこう真剣に思い悩んでいるらしい。

 たまに長瀬さんから恋愛相談のようなものを持ちかけられるのだけれど、わたしでは経験不足すぎて何も言えない。ただの聞き専になっている。本人としてはそれでもいいみたいなのだけれど、何で相手がわたしなのだろう。


「だって、ずるいじゃないですか。鈴原さんだけ、接点あるなんて」


「接点って。スーパーだよ? しかも、1回だけだよ?」


「でも、羨ましいものは羨ましいんです」


 こういうときの長瀬さんは、見ていて全力投球だなぁと思うばかりだ。何か月か前まではあまり気が合うタイプではなかったけれど、最近は何かと話すことが多い。子どもっぽいところはあるけど、その分懐いた相手には素直。逆の場合は、推して知るべし。

 昔、小さい仕事を「お裾分け」されていたことは、わたしも自分でお人よしだと思うけれど、忘れることにした。意外と憎めないところもあって、気にならなくなったから。そういう感じの、なんていうか気分屋の子。なので、須藤さんのような生粋のクールキャラとは、基本的に相性が悪い。そして肝心の宮原さんとの相性は、よく分からない。


「ていうか。いつも全力だねー、長瀬さん」


「そりゃそうですよ。今じゃなくて、いつ全力になるんですか」


「そっか」


 元気だなーと他人事のように考えていると、突然水を向けられた。


「鈴原さんは、そういうのないんですか?」


「ん。んー・・・・・・」


 思わず、うなってしまった。思いつくような、思いつかないような。家に広げてあるいくつかの資料を思い返しながら、でもあれはまだ、「全力」の対象ではないよなと思っていると、何か勘違いしたのか、長瀬さんが急にキラキラした視線を向けてきた。


「もしかして、鈴原さん、彼―――」


「だから! ないって」


 何回目か分からないお決まりのやり取りなのに、毎回長瀬さんはとても残念そうにしている。なんだか、ワイドショーの取材でも受けているみたいだ。スクープを待ち構えるリポーター、みたいな。


(まあ、元気ってことだよね・・・・・・)


 頭の中で半分ため息をついていると、不意に手首を取られて、かさっとした何かを握らされた。追加のチョコではない、紙の感触。開いてみると、紺の下地に描かれた動物たちが印刷された券が二枚。タイトルは、『夜の動物園 無料引換券』。

 植物園への入場も兼ねていて、昼間には見ることができない動物のエサやりや、夜にしか咲かない植物の観察もできるのだという。


「へえ、オシャレだねー。誰と行くの?」


 てっきり嬉しい報告でもあるのかと思って言ってみると、長瀬さんは憮然とした様子で首を横に振った。


「わたしのでしたけど、いいんです。登理さん、行ってください」


「へ?」


「誘えるわけないじゃないですか。こんなものもらったって。しかも動物園とか、中高生でもないのに」


 ああ、そういうことか。長瀬さんの恋バナを聞いた誰かの、ちょっとした贈り物だろう。たぶん、わたしと同じように、本人の話の中でしか進まない恋路の行方を聞かされているのだろう。想像がつく。


「と言っても。わたしも、一緒に行く相手がいるわけでもないしなー」


「えー。前に言ってた、大学生の子なんかどうですか。気分転換にいいんじゃないかな」


 大学生の子、というのはもちろん明日香のことで、専門職を目指している大学生の子と友達になったという程度の話は、普段の話の延長線上というか、なんとなしに長瀬さんにもしている。一瞬何かを期待したらしい長瀬さんは、相手が女子大生だと知ると途端に興味を失くし、それ以降その話題は出ていなかった。


「んー、厳しいと思う。なんか、OGに頼んで、施設の見学に行くって言ってたから」


「うへえ。それって、休みの日ですよね。わたしには無理だなー」


「何か目標があるのって、やっぱり強いんだろうね。ひたむきというか、前向きというか」


「登理さんは、ないんですか。そういうの」


「わたしはいいかな。いや、待って。あんまり良くないかも」


「どっちですか」


「どっちでもある・・・・・・」


 何もかも平凡なわたしが、職場と家を往復して、たまに年下の友達と遊んで。このままの生活が続くのはそれなりに楽しいことかもしれない。けれどこの頃、夜の雲が空を覆う頃になると、ちくりとしたものが胸にはしることがある。今日という一日を、わたしはいったい何に費やしたんだろうと。

 

「長瀬さんはさ―――」


 始業のベルが鳴った。「あ、何でもない」と言い置いて、不思議そうにしている長瀬さんを尻目に、画面に向き直る。

 見慣れた、無機質な数値がひたすら並んでいて、それはとりもなおさず、これからも変わらないわたしの毎日を暗示しているかのように思えてきた。


(ちょっと、疲れてるのかもなぁ・・・・・・)


 さっきのチケットは、一緒に行く人の心当たりもないし、一枚だけ余らせてももったいないので長瀬さんに返そうかと思っていたけど。最近なんとなく出不精になっていて、ミステリーショッパーの副業にも足が向かず、そうなると、こういう機会でもないと何だか煮詰まってしまいそうだ。

 そんなに深く考え込んでいるつもりはないのだけれど、学生時代はよく親友の友美に、「また、うかない顔してる」って、連れ出されたっけ。



「たぶん一枚余らせちゃうけど、もらっていい? さっきの」


 終業後、帰り支度をしながら隣の長瀬さんに尋ねると、「もちろんです」との返事だった。


「ありがと。今度何か、お礼するから」


「いいんですよ。もらいものだし。あ、それじゃあ、宮原さんとのパイプを」


「無理」


「・・・・・・ですよね」


 ため息をついて、編集部のほうをみやる長瀬さん。お目当てのデスクは、空席のままだ。


(前途は、多難そうだなぁ・・・・・・)


 先行きを思いながら、なんだか自分が、世話の焼ける妹の恋路を思いやる姉になったようだなんて思って、ちょっと可笑しかった。


(頑張ってね)


 届かなかった二枚のチケットをしまいながら、心の中だけで声をかけた。


 




 









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