第6章

51.推測

「うーん・・・・・・」


「食べながらになるけど」とことわったうえで明日香の話を聴いて、ひとまず喜んだものの、最終的にわたしは首をひねった。

ちょっと楽観的すぎやしないかと、思ったからだ。


さかのぼること、数分前。

切り出された彼女の話は、こうだった。


「登理さん、ジェルモ―リオの近くの図書館、覚えてます? あの小さい」


「ああ、もちろん。でもまあ、今、思い出したくらいだけど」


そういえばそんなところがあったなぁと、ずいぶん昔のことのように思い出す。

あの頃は、葉桜だとか、雪柳だとか、生き生きと草花が咲いていたんだっけ。

草花豊かな公園の道を通った先。その先に、あの店も、図書館もあった。

それと同時に、忘れかけていたほろ苦い記憶が蘇る。


「わたし、今日大学の用事で、あそこにいったんです」


「ああ、相変わらず忙しそうだね」


「まあ、仕方ないです。それで、予約本を取りに行ったんですけど、登理さん、あそこの『お勧め本』コーナーって、ご存じです?」


「ん・・・・・・。おぼろげなら」


そういえば、そんな一画があった気がする。あのときはたしか、郷土史的なものが特集されていたような気がする。申し訳ないけど興味がなかったので、素通りしてしまったのだけど。


「あそこ、ちょこちょこっと、飾りつけしてあったのは、覚えてます? 棚とか、ボードとかに」


「ああ、思い出した。そんなのがあったね」


わたしが行ったときは、たしか写真だったか。

季節のものだろう。ファインダー越しの春夏秋冬の町の風景が、そっと本棚に寄せて置かれていた。


「週替わりだったっけ。なんか毎回違ってた気がする」


「そうみたいです。それでですね、そこでわたし、見つけちゃって」


「何? いい本でもあったの?」


「違うんです。 折り紙なんです。 千代紙の」


「え・・・・・・?」


とっさに頭が働かなかったわたしに、明日香は言葉を続ける。


「登理さん、あの子に千代紙をお返ししたって、言ってましたよね。コルクボードに飾ってありました。何個も」


「・・・・・・明日香、千代紙のこと知ってたっけ?」


どういうものかを、という意味だったけれど、意外にも明日香は「知ってますよ」と言った。


「その話聞いて興味があって、登理さんが行ったっていうお店、わたしも覗いてみたんです。未開封のインテリアになりそうだったから、そのまま出ちゃったんですけど。色見本が何枚か並んでたし、たぶん登理さん、これ買ったんだろうなっていうのまでは、見つけました」


興味があれば、即行動。万年インドア派のわたしとは、真逆の姿勢だ。

それが彼女の基本スタイルなのだけど、こういう好奇心と実行力がある人って、どこにいっても活躍できるんじゃないかと思う。ちょっとうらやましい。


「でも、それだからっていきなり佑都くんを持ち出すのは。なんていうか、早計じゃないかな・・・・・・」


「ですね。 これだけなら、わたしもそう思ってました」


あれ。まだ何かあるの・・・・・・?


「登理さんから聞いた話を、思い出したんです。佑都くんが折ってくれたのは、『藍色のイルカ』、『唐草の鶴』、『花びらの皿』って。ほんの少し違うものが混じってましたけど、てっぺんにありました。その3つ」


「・・・・・・偶然、じゃないよね」


さすがの記憶力だなと感心していると、さらに明日香は付け加えた。


「ここからはわたしもやりすぎたと思ったんですけど、係の人に聞いてみました。『毎週付け替えに来てくれる子』がいるそうです。どんな子なのかまでは聞きませんでしたけど、てっぺんの3つは、いつも同じものだって」


「そっか・・・・・・」


元気にしてくれてたんだ、という思いが、まず胸に広がった。

どうしても思い出すのは、最後に目にした俯いた顔だったから。

あのときのまま時が止まっていたらと、そんな想像をしてしまうこともあったから。


「わたし、ちょっと勝手に想像してるんですけど、聞いてもらえます?」


「うん」


たぶんそれは、わたしも半分くらい、同じことを思っている。


「もし、ですけど。その子がもし、佑都くんだったとして。また、登理さんに会えるの、待ってるんじゃないんでしょうか」


そこまでいって、わたしが首をひねる、というか縦に振れていない今に至るというわけだ。


明日香の話を、真っ向から否定するわけじゃない。けれど、そうだという証拠もない。わたしがネガティブ寄りの人間なのもあるのだろうけど、どちらかというと、明日香の話は、少し行き過ぎているんじゃないかと思う。

それを口にして嫌な顔をするような子じゃないのは分かっているので、思ったままを言ってみた。


「なるほどね。たしかにその子が佑都くんだっていう可能性はありそうだけど、わたし的には『お返し』使ってくれてるんだなーっていう感想で、佑都くんがそこまで思ってくれてるなんていうのは、ないんじゃないかなーって思うんだけど」


「まあ、わたしも半々くらいの気持ちで言ってるんですけどね。ただ、登理さん、ずっとその子のこと気にしてるっぽかったし、お知らせしておいたほうがいいような気がして。ご迷惑だったら、すみません」


行動派の明日香は、けれど時々こういう一面を見せる。

やりすぎていないか、自分のやったことが出すぎていないか、気にするような。

慎重というよりなんだか不安を感じているように見えるときもあって、それは彼女にあまりそぐわないように思えるけれど、そのことを指摘したことはない。


「全然。そっか、元気なんだろうなって、懐かしかったくらいで・・・・・・」


放置してタレを吸い込んだシューマイをころころ転がしていると、ふと思った。


(元気・・・・・・なのかな)


同じようなことを明日香も考えていたらしく、「元気・・・・・・なんですかね」と、つぶやくような声がした。


「分からないねー」と返すわたしの声も、返事というより、ひとりごとのそれのようだった。


最近では、「スクール・ソーシャル・ワーカー」という資格もあると、明日香に出会って調べた記事には書いてあった。そちら系の資格を目指す明日香なら知識があるのかもしれないけれど、わたしには不登校のことなんて、漠然と「大変だろうな」と思うだけで、その何が大変なのかも、本当はほとんど分かっていない。


アパートの前の道を行くカップルが、「三日月だねー」「キレー」と声を上げたのが聞こえた。あ、もうそんな時間か。


スピーカー越しに声が聞こえたのか、「もう夏ですね」と、明日香の声がした。

気象庁は、正式な梅雨明けを発表した。今年もまた、太陽が地面を焼くのだろう。

そして大人にはない、「夏休み」の季節。

子どもたちは、文字通り夏を、謳歌するのだろう・・・・・・。


「明日香」


「はい?」


「明日香の学校って、不登校の子って、いた?」


「いましたね」


「大変なんだろうね」


「だと思います」


「フツウ」になれなかったわたしを、思い出す。「社会人」って、頑張れば誰にでもなれるなんて思っていた。けれどわたしにはなれなかったし、今ももしかしたらそうなのかもしれない。擬態したい。おちこぼれになってしまったわたしを、わたしも知らない顔して、通り過ぎることができるように。

ただの投影なのかもしれない。けれど、佑都くんもまた、まだこんな気持ちの中にいるのではないだろうかと、ふと思った。


「わたしさ、2回も仕事辞めてるんだよね」


明日香にこの話をするのは、初めてだった。

返事はなかったけれど、スピーカー越しの気配に向かって、わたしは話を続けた。


「なんていうかさ。フツウって言われることが、できなかったんだと思う。いっつも、『もうすこしがんばりましょう』っていう感じで、居場所がなくてさ。学校に行けないっていうの、わたしには分かんないけど、もしかしたらそういう感じなのかもね。まあ・・・・・・」


わたしがそう思いたいだけなのかもしれないけれど。

いつか飲み込んだ言葉を、またわたしは飲み込んだ。


沈黙が流れる。やばい、やってしまった。

慌てて何か話題を振ろうと思って口を開くと、先に明日香が言った。


「わたし、考えたことがあるんです」












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