50.発見

「んー・・・・・・」


「公的扶助論」の講義を終えて大講義室を出たわたしは、今日何度目かの、ため息ともつかない呼吸をする。正直、頭が痛い。単位は取れる自信はあるけど、そこに行き着くまでの過程を思うと、少しだけ憂鬱になる。


毎回思うけれど、覚えることが多すぎる。そりゃそうだよね、国家資格だし。

そろそろバイトのシフトも、後輩の子に譲ったほうがいいのかもしれない。

お金のかけられない生活にはなるけど、背に腹はってやつだ。

そういう道を選んだのは、自分なんだし。


「明日香ー!」


雑多な学生の行き来の中を歩いていると、前から見知った顔が手を振っている。

同期の、中沢由紀なかざわゆき、通称「ゆっき」。


「おーす」


「うえーい」


お互い疲れた顔をしているのを見て取り、笑顔よりも苦笑いが先に浮かぶ。


「いっつもいっつも関係法規って、マジやばいよね。これフル暗記とか、鬼だわ」


「フル暗記で済めば、まだいいよ。問題は、現場での応用なんだからさ・・・・・・」


力ない返事をしながら、たった今受けた講義の内容を思い出す。

「公的扶助論」。公的扶助は社会保障のひとつで、「社会保険」制度と並ぶものである。「公的扶助」の例として、「生活保護」が挙げられる。


歴史で言えば、公的扶助の起源は15世紀以降のイギリスにおける、「救貧法」であるとされる。産業と経済の発展に伴い経済は発展したものの、それは同時に、多くの貧困者を生むことになった。従来、そうした人たちへの支援は家庭や地域、例えば教会や修道院が担っていたが、それでは間に合わなくなり、国の税源をあててそうした人たちの支援をするという、「エリザベス救貧法」などの救貧政策が実施される運びになった。これが、世界における公的扶助制度の先駆けであるといわれる。


さらに、日本の扶助制度。

同じく「社会保障」の始まりとなる具体的な貧困政策、明治時代の「恤救規則じゅっきゅうきそく」にまで遡る。江戸から明治への時代の変化。廃藩置県による士族層の失業や、農地の売買自由化により、土地を失う農民が増加したことなどが、その要因とされる。イギリスと同様、早い話が「家庭でなんとかしろ」という話では追いつかなくなり、国が財源を支出して、こうした人の支援にあたったのが、今の公的扶助の起源だといわれる。


現在、単一、あるいは複数の扶助制度で成り立つこの制度ではあるけれど、いずれにせよ「税金で暮らす、食べている」といった負のイメージが強く持たれがちなのもまた、この制度。

よく取りざたされる不正受給者(実際のところは、全体の約0.4%ほどで推移している)の存在により、さらにネガティブなイメージを持たれているのが現状だ。

そうなると、「保護を受ける」ことのハードルは、人によっては、一般的な生活をしている人が想像するよりもかなり高いこともある。


生活の面倒を見てくれる親族が本当にいないか問い合わせる、いわゆる扶養者照会の問題もそうだけど、実際に保護を必要としている人からも「保護を受けるのは申し訳ない」「人目が気になるので受けたくない」といった声が上がっている。とはいえ制度の手続き上そういったことを省くこともできず、決定的な改善策は見えていない。


また、精神疾患を抱えている人においては、内科的、あるいは外科的な症状とは違い、目に見える病気や障害ではないため、話は複雑になる。「自分は病気ではなく、甘えなのでは」という気持ちと、「他人のお世話になってしまっている」という二重の罪悪感に囚われ、生活の質(QOL:Quality of life)が低下したまま停滞してしまうというケースも、珍しくない。


わたしが一番に志しているのは、今のところ病院のPSW(Psychiatric Social Worker:精神保健福祉士)だけれど、退院後に患者さんが地域でどう暮らしていくかということを考える際、こうした公的扶助や社会保険、あるいはその他の各種制度に関する知識は、あればあるほどいい。認知症患者さんが行き場がなく、実質的な終身入院になる「社会的入院」などの問題も山積しているけれど、やりがいのある分野だとわたしは思っている。


ちなみに、この前突っ込んできた元気娘のなっちゃんの進路は未定。そして同期の、この中沢ゆっきの希望進路は、行政職だ。


「扶助はともかく、社会保険のほうがあたし、むずいわー・・・・・・」


「大丈夫。わたしなんてもう、両方整理できてない」


「どうする?」


「知らん」


また、どーするんだろうねと、洒落にならないことを2人で頷き合い、まあなんとかなるっしょと、けっきょく笑い飛ばす。わたしたちは、そういう仲。


「明日香、この後時間ある? まだだったら、学食寄っていかない?」


「あー、ごめん。今日この後バイトなのと、先に図書館寄らなくちゃいけなくて」


「大学?」


「いや、バイト先の近くの、小さいやつ」


レポート課題が出ている講義があって、参照したい文献があったのだけれど、大学内の図書館では返却待ちだった。なので、この前登理さんとの会話で話題になった、図書館の「相互貸借」制度を、使わせてもらったのだ。

その話をすると、ゆっきも「その手があったか」という顔をしていた。


「なっつかしー。町の図書館なんて、小学生のとき以来だわ」


「わたしもそれくらいかも。ほんとちっちゃくてさ、近くにあったのに気づかなかったくらい」


わたしのバイト先。カフェ・「ジェルモ―リオ」から見て、その図書館は立地的にはちょうど斜め前にあるのだけれど、少しの距離と、桜の大木がちょうど影になっていて、店と、大学や家を慌ただしく行き来するだけのわたしは、気づかなかったのだ。


駐輪場までを並んで歩いていると、ゆっきが尋ねた。


「それにしても、よくそんなところに今さら気づいたね。たまたま?」


「あー・・・・・・知り合い?」


「何であんたが疑問形なのよ」


深追いされるかと思ったけれど、それ以上は何も訊かれずに、わたしたちは駐輪場の前で別れた。ふと見上げた空には、久々の晴天が広がっていた。



ベタなママチャリをしゃかしゃか漕いで、軽く息が上がるころに目的の場所に着く。

何かで塗装したのか、つやつやしたコンクリートの外装。

進んでみれば、右側だけ手押し扉なのに、左側だけ自動ドアという、不思議な構造をしている。そして入って中央には、ようやく「任意」になった、アルコールボトル。


「予約図書、お願いします」


カウンター越しに呼び掛けると、職員の上品なおばさんが「お待ちください」と、にこやかにカードを受け取る。カウンターの背面に備え付けられた棚には、取り寄せ依頼があったであろう本が、所せましと並んでいる。


「お待たせしました。3冊ですね。届いております」


お礼を言って、あらかじめ持ってきていたエコバッグに本を入れた。

さて、これで安心。帰ろうかと思って時計を見ると、ほんの少し、思ったより時間が余っていた。


といっても10分くらいなので、ゆっくり行くか、早めにジェルモ―リオに着いてもかまわないのだけれど、周りにたくさん並ぶ本と紙の香りに、ふと立ち止まってしまう。


こんな小さな図書館で、蔵書数はもちろん少ないけれど、手続きさえ踏めばほとんどどんな内容の本も読めるのだから、不思議だ。

カウンター斜め前の棚には、「今週のお勧めコーナー」と貼りだされていて、文具をテーマにした本が並んで立てかけられている。文具店ガイド、文具の歴史、雑貨屋の文房具・・・・・・。手に取ってみると綺麗なガラスペンがいくつも載っていて、思わず見入ってしまう。憧れはするけど、わたしには遠い世界かもな。


そうして本を棚に戻したとき、ふと気がついた。

何だろう、この感じ。何か私、思い出さないといけないような気が・・・・・・。


並んでいる本を、かがみ込んで一冊一冊眺めてみる。ピンとこない。


(んー・・・・・・?)


いったん下がって、全体を見つめてみる。

そして、やっと気づいた。


「あ・・・・・・」


これ、どうしよう。登理さんに・・・・・・知らせるべき?


参考文献

野副常治(2016)「社会保障制度の理念と歴史」西南学院大学大学院研究論集 2 15-33.



















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