27.岐路

無意識に3本目の煙草に手を伸ばし、慌てて引っ込めた。

夜に思い出にふけると、ついついこんなことになってしまう。


もう手遅れなんだけど、煙で黄ばんでしまった壁紙を見やって、

賃貸なのになーと少し思いながら、ようやくトイレから出た。


暑い夜が続いている。

名前は忘れたけど、何かの国際機関が、「これからの地球は温暖化ではなく、沸騰化現象に見舞われる域に突入する」なんて物騒なことを言っていた。

3年目のクーラーとわたしの家計が、どこまで耐えられるか。

値上がりに次ぐ、値上がり。なんだかんだで、不安定な身分。

地球や北極の氷より、先にそっちのほうが心配だ。


扇風機がかきまぜる、クーラーの風と湿気がないまぜになった微妙な空気を浴びながら、冷蔵庫のお茶を飲む。

正直もう眠れる気がしないのだけど、一応布団に横になって、目だけでも閉じてみる。身体だけでも休めるだろうし、運が良ければひと眠りできるだろうし。


そんな気持ちで目を閉じてみると、まぶたの裏側で、記憶の映画の続きが始まった。

こういう夜は、たまにやってくる。今はもう特に、抗おうという気もない。

そのうち幕引きになって、朝日と少しの生活音が混じったエンドロールの音楽が流れて、上映終了の目覚ましがなるだけだから。


進路希望が「未定」の二文字で見逃してもらえたのは、高2の夏までだった。

20歳を過ぎてからの一年一年も早いけど、高校生活も、思えばあっという間だった。


例の立花さんたちと一緒の教室に残りたくないという動機がよほど強かったのか(まあ、実際強かったのだけれど)、その後わたしが赤点をとったのは1度だけ。

それも、早い段階で教室から友美がわたしを連れ出してくれたおかげで、事なきを得た。


予想はしていたけど、立花さんたちが攻撃したかったのはやはり「優等生」の友美だったようで、わたしは友美への間接攻撃に、名前を材料に利用されただけだったらしい。たまに視線を感じることもあったけど、それもじきに止んだ。

気がつけば、3年生。それも、気がつけばまた夏。あそこもいちおう進学校だったし、時期を迎えた周りの空気的にも、さすがに立花さんたちも、とうにそれどころではなくなったのだろう。


「皆の衆、未来の道は見えておるか?」


場所はいつものスタバ。そしてどこから仕入れたのか、久々に合流したもう一人の友達、八尋奏やひろかなえちゃんから一言。

本人曰く、けっこうなおじいちゃん子だったらしいから、もしかして時代劇の影響かもしれない。

その奏ちゃん。春先に古本屋で会ったときに、ポ二テの制服姿で新選組の小説を熱心に選んでいたので、正直びっくりした。


奏ちゃんの推しは、斎藤一だそうだ。

そこに至った理由もまた変わっていて、中学生のときに読んだ「斎藤はぱっと食べられるので麦とろ飯が気に入っている」といったことが書いてあった小説がどうしてもまた読みたくて、表紙だけの記憶を頼りに探しているのだという。

仲は良いけど深入りするまではないという関係で、今まで気がつかなかったけど、この子もけっこう個性派だったのかもしれない。


「とりあえずそこそこの大学行って、ブラックじゃない就職できればねー」

というのは、現実主義の美沙ちゃん。


とはいえ、彼女が国立大学の環境学科を目指しているというのは、本人も言っていたし、そこにいるみんなが知っていることだった。

難しいことはわからないけど、環境に配慮したデザイン、みたいな仕事をやってみたいと、二人で帰ったときにはにかんだような顔で言っていた。


「あたしは迷い中かなー。ほんと、そこそこのとこ行って考えればいいかーくらい」

というのは、意外にも友美。ただ、美沙ちゃんから「友美は理数系強いから、情報系とかいろいろあるんじゃね?」と言われると、「それもありかもねー」と、のんびりフラペチーノをすすりながら答えていた。


「友美っぽいねー。じゃあさ、のぼりんは?」

と、湊ちゃん。

う、来てしまったか・・・・・・。


「それが・・・。わたしも未定です・・・」


チョコレートケーキにフォークを入れながら、ついため息が出た。

場つなぎに一口含むと、さっきよりほろ苦い味がする気がした。


「わたし、もろ文系だしさ。これっていうのもなくて、とりあえずどこか遠くないところで無難なとこ探ししとこう、くらいかな・・・」


まあ、それもありだよねーという美沙ちゃんと奏ちゃんの相槌。

ふたりともそういってくれるものの、湊ちゃんも、漠然という前置きで語学系に進みたいという話をしていて、それを聞いたあとだと正直いたたまれない。


「まあ、先のことなんてわかんないよ。兄貴なんか、哲学部行って、あちこちさすらって今、救急救命士やってるもん」


「はあっ!?」 

達観したような友美の爆弾発言に、思わず全員の声が揃う。


「え、なにそれ。ニーチェ系救命士? 我救うゆえに我あり系?」


不意打ちすぎた湊ちゃんが、とんでもない造語を持ってきた。クセというか、特技というか。彼女のそれには、オリジナリティがてんこもりだ。

対して、それ、デカルトだよという横からの冷静なツッコミは、読書家でもある美沙ちゃん。


「兄貴聞いたらキレるよ、なんか気にしてるらしいから」

そういう友美ちゃんも、笑っている。


ニーチェ・・・じゃなくて、デカルト系救命士・・・。

その響きがツボってしまって、現場のお兄さんにはとても申し訳ないけれど、

こっちまで笑ってしまった。でも、それって・・・・・・。


「でも、それだけやりたいことが見つかったってことなんだろうねえ」

アイスコーヒーを飲みながら、美沙ちゃん。


「まあ、いろいろ考えたんだろうね。哲学のことはあたし、全然わかんないけどね」


「うう・・・なんか申し訳ないです・・・悪気はなかったんです・・・」


「あんたのそれは、いつものことじゃん。落ち着け」


3人のやりとりを眺めていたら、ふと、なんだかしあわせだな、と思った。


3人には内緒にしていたことがあった。

古本屋で、湊ちゃんに会った日。わたしは、本屋の帰りだった。


大きな本屋の、職業・資格コーナー。

分厚い一覧をめくってめくって、それが書いてあるページを探していた。


わたしがやりたい仕事。わたしにもできる仕事。

意気消沈した帰り道、湊ちゃんに会ったのだ。


「でもさ、のぼりん」


不意に、友美がこちらを向いた。


「のぼりんは自分の書きたいこと、書いたらいいし、書けるよ、きっと」














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