18.雪柳
微妙な流れだ。
この感じは、去るには惜しく、かといって、去らない理由もないとでもいうか。
その、どちらでもない感じ。もともとわたしは、自分から話題を振るタイプではない。
「今日は、ありがとうね。折り紙、きれいだし、嬉しかった」
「ありがとう・・・・・・ございます。よかったです」
二人して図書館を出たはいいものの、なんとなくもう少しお話をしていたい気がする。侑都くんのほうはどうかわからないけど、なんとなく所在なげにしている。
こういうとき、早く帰らせたほうが・・・・・・いいよね、たぶん。
時刻は、午後3時半。これもまた、微妙な時間だ。
そういえば、今日は朝食パンをかじっただけで、何も食べてなかったな・・・・・・。
くうっ、となったお腹は、幸い侑都くんのほうだった。
「侑都くん、お腹空いてる?」
「あ・・・・・・少し」
じつは、わたしもなのである。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか。また今度ね」でもいいし、たぶんそれが自然だけど、なんだかそれも名残惜しい。
でも、「お礼」を渡し合ったのだから、わたしたちの用事はもう、済んでいるのもまた事実。
それに、そんなふうに名残惜しいのはわたしがそうなだけであって、侑都くんはどうなのかは、もちろんわからない。おまけにわたしの気持ちがどうだろうと、ふつうに考えれば、26歳の女が中学生くらいの男の子をこんな平日に引き留める理由はない。
「だんだん暑くなってきたね。侑都くんは、今日はこれから帰る?」
「いえ・・・・・・ボクは・・・・・・夕方まで、あんまり家にいることないんです」
「そうなんだ。塾か何か?」
今思えば、見当違いもいいところだけど、素でそう訊いてしまった。
かぶりを振ったあと、侑都くんはぽつりとこう言った。
「ボク・・・・・・、学校行ってないんです」
立ち止まっているわたしたちを見て勘違いしたのか、日差しを浴びながら、どこからかハトが1羽、2羽と近づいてきた。
「学校行ってない」。
あ、やっぱりと思いながら、いざそう聞いてみると、なんと返したらいいかわからくなってしまう。
わたしは教師でも、ましてやカウンセラーでもない。だけど、大人ではある。でも、ほぼほぼ通りすがりに近い大人。
何がいいたいかというと、こういうときに何を言ったらいいか、わからない。
その「わからない」の度合いが増えるのと比例するように、勘違いしたハトの数が地味に増えていく。きみたちが期待しているもの、持ってないよ。
「登理お姉さんは、休みなんですか?」
先に沈黙を破ったのは、侑都くんだった。
あ。ちゃんと名前、憶えていてくれた。地味に嬉しい。
「あ、うん。わたし、少しだけ変わった働き方してて。フリーターじゃないんだけど、月の半分くらい、木曜日がお休み」
いいなあ・・・・・・と言ったきり、侑都くんの視線はどこか、うつむき加減だった。「いいな」は、「お休み」が・・・・・・という意味なのだろうか。
いや、厳密には帰ってからもいろいろ副業をやっているから、本業が「お休み」なのであって、一日中「お休み」というわけではないのだけど。いや、そんなことはどうでもいい。
この子に今何か言うべきなんだろうけど、何を言っても間違ってしまう気がして、なかなか言葉が口から出てこない。
不登校。
中学生3年のとき、同じ学年に1人、そういう子がいた。
たまに保健室に来ているというのはうわさで聞いたことがあるけど、わたし自身は本人とまったく面識がないし、名前くらいは聞いたことがある気がするけど、もう忘れてしまった。
けれど、その子のことが一度だけ、我が家の中で話題になったことがある。
それで覚えている。あれを言っていたのは、父だったか、母だったか。
たぶん、両方の会話を、夕飯のときに聞いていた。
「勉強はどうか知らんが、出席日数だの内申だのには確実に響くだろう。親御さんも気が気じゃないだろうな」
「そうよね。うちはただの公立校だし、進路も狭まるんじゃないかしらね。保健室登校?っていうのをしてるらしいけど、親御さんは大変でしょうね。登理はそんなふうにならないでよ。ほんと、最近の子は何考えているんだか、わからないわね。先のことなんて、考えないのかしら。いつまでもそんな甘えていられてるわけじゃないのに」
「そんなふうに」という母の言葉をあいまいに「うん」と聞きながら、天津飯の卵を意味もなく崩していたことまで、今、思い出した。
でも、トートバックの取っ手をぎゅっと握りしめている侑都くんの手を見て、そして、気のせいかもしれないけど、侑都くんの
なんとなく勘づいてはいたけど、それでも不用意に、嫌なことを言わせてしまった。
その後悔が、だんだんと胸に広がっていく。
目的のものを持っていないとわかったらしいハトたちが、うろうろと地面をつつきはじめた。
「あれ、何してるんだろね」
「え」
「あ、ごめん。ハト。虫、そんなにいないじゃん。いても困るんだけど。でもいっつも地面つついてるよね」
脈絡もなにもないうえに、この場では、はてしなくどうでもいい話だ。
別に話題を変えたかったわけではないけど、気づけばそんなせりふが口からこぼれていた。
「あれ、石を食べてるんです」
「え、石? 虫じゃなくて?」
「歯がないから、胃の中で石ですりつぶして食べるらしいです」
「侑都くん、じつはけっこう物知り?」
「ううん。この前、ネットで見ただけです。登理お姉さんと、同じこと思ったから」
「ちゃんと調べたんだ。わたし、そういうのサボっちゃうな。折り紙のこととかも、ネットで調べたりするの?」
「あります。youtubeで折ってるとこ、撮ってるひともいるから。でも、折りたいやつが本にしか載ってないこともあるから、両方見てます」
「そっか。ほんとに、好きなんだね」
そういうと、侑都くんはほんの少し笑った。
それでもそれは、嬉しい・・・・・・というより、悲しいような、寂しいような
何かを思い出す表情。侑都くんじゃなく、わたしもそんな表情をしていたかもしれない。
隣の公園を見れば、ススキのような真っ白な植物があちこちで穂を垂らしている。
たまには、ぼんやりしてみるのもいいかもしれない。
そういえば最近まで、
思うところなんて、いっぱいある。
さっきも言ったけど、わたしがこんなことを言う理由なんて、ふつうない。
けど、あの「お礼」をしたときから、し合ったときから、わたしはこう言うことをどこかで待っていたのかもしれない。
「侑都くん、これから少し時間ある? 折り紙の本、よかったら見せてくれない?」
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