40:隣国より使者来たる

 リュオンが無事魔法を使えるようになった翌日、メグは痕跡一つ残さず姿を消した。


 さらに三日後には三枚の絵を残してノエルが王都に行った。


 二人がいなくなった伯爵邸は少々寂しい。


 でも、ノエルが去る前日の夜には送別会を開いて皆で飲んで騒いだし、彼は冬の休暇にまた戻ってくる。


 メグに関しても今生の別れというわけではない。


 ドロシー・ユーグレースは気まぐれで有名な魔女。

 気分次第で再びラスファルを訪れることもあるだろうと、ルーシェは楽観的に考えている。


「お、ルーシェちゃん。見回りかい?」

 晴れた日の夕方。


 濃紺のローブを纏ってラスファルの目抜き通りを歩いていると、初老の男性に声をかけられた。


 振り返ると、そこに立っていたのはこの街で一番大きな薬屋を営むキトだ。


 ルーシェがラスファルの魔女として活動し始めてから早くも一か月が経過しようとしている。


 最近ではルーシェを見ればこうして気軽に挨拶してくれる人も増えてきた。


「はい、そうです」

「毎日ご苦労さん。そういや、おとついは大活躍だったらしいじゃないか。西区で大きな火事が起きたのを魔法で消火したんだってな」


 おとついの夜、西区の住宅街で火事があった。

 そこは街の中でも特に貧しい人々が暮らし、小さな家々が密集している地域だった。


 安普請の木造の家はあっという間に火に包まれて隣家にも炎が燃え移り、家の中には親子が取り残された。


 バートラムからの命令を受けたリュオンはすぐに現場に駆けつけ、水の魔法で炎を消し止め、逃げ遅れた親子を救出した。


 華麗な救出劇に住民は拍手喝采、リュオンはこの騒動でまた名を揚げた。


(でもわたしは何にもしてないんだよなあ……)


 火事が起きたとき、ルーシェはリュオンと交代して街に結界を張ったが、現場に赴くことはしなかった。


 何故って、結界魔法以外の魔法を使えない自分が行ったところで全くの役立たずだからである。


 リュオンから色んな魔法を習ってはみたのだが、ルーシェはどうも細かい調整が苦手だった。


 小指の先ほどの光を生み出そうとして巨大な光球を炸裂させてしまったり、庭を水浸しにしたり。


 そうして数々の失敗を重ねた結果、リュオンからもセラからもユリウスからも「ルーシェは街の結界維持に専念したほうが良いと思う」と言われた。


 ルーシェが出鱈目な方向に放った――もちろん意図してではなく、何故か狙った的とは全く逆方向に飛んだのである――火炎魔法を間一髪で回避したジオからは「オレはお前のためなら死んでもいいと思ってはいるが、お前の間抜けな魔法に巻き込まれて無駄死にするのはご免だ。世界平和のためにもおとなしくしてろ」と叱られた。


 彼の代わりに煙を上げて炭化した庭の木を見ては、魔法の習得は諦めざるを得なかった。


 バートラムからは減給を言い渡され、庭師たちからはため息をつかれ、ルーシェはひたすら謝り倒した。


 ちなみに庭師たちの態度が軟化するまでは一週間以上もかかった。


「いえ、消火したのはわたしではなくリュオンです。わたしは街の結界を維持していただけで、特に何も……」


「何を言ってるんだ。街に結界を張ってくれているだけで十分だよ。おかげで俺たちは魔獣に怯えることなく商売ができる。そうだ、頑張り屋さんにはご褒美に飴をあげよう」

 俯いたルーシェの目の前に、小さな袋が差し出された。


 中に詰まっているのは茶色い飴。

 キトは薬屋を訪れた子どもにお手製の飴をあげているのだ。


「ありがとうございます」

 右手の親指と人差し指で飴を摘まみ、口の中へ放り込む。

 甘くて美味しい。暗く落ち込んでいた気分が上昇する。


 少しばかり雑談した後でキトと別れ、ルーシェは再び歩き出した。


「ルーシェ!」

 次に声をかけてきたのは街で人気の『蝶々亭』で働く少女だった。

 住み込みで働いていた従業員が同時期に二人も辞めてしまい、いま『蝶々亭』は大変らしい。


 気が済むまで愚痴に付き合ったおかげでいくらか気分が晴れたらしく、彼女は「よし。これから忙しくなる時間帯だけど頑張るわ。またね!」と明るく笑って手を振った。


 しばらくすると古本を扱う店の前で店の女主人と出会った。


「マデリーンさん、こんにちは。旦那さまの腰の調子はどうですか?」

 彼女の夫はぎっくり腰で寝込んでいる。


「ああ、ルーシェちゃん。おかげさまで、少しは動けるようにはなったよ。やっぱり魔女が調合した薬は良く効くね。数日中にはまた店にも出られるようになるんじゃないかな。ありがとうね」

「いえいえ、どういたしまして。ではわたしは見回りに戻りますね」

「いつもご苦労様」

 軽く一礼して、再び歩き出す。


(ありがとう。ご苦労様、かあ……エルダークの魔法学校にいたときは国を守ってても全く感謝されなかったけど、やっぱりこうやってお礼を言われるのは嬉しいなあ。この人たちのために頑張るぞー! って気になるもん)


 マデリーンとの会話中は右頬の奥に押し込めていた飴を舌の上で転がし、茜色へと変わりつつある空を見上げて微笑む。


(そういえば、わたしがエルダークを出て一か月が経つけど、パトリシアはちゃんと国守りの結界を張れてるのかな? 国全土を覆う結界を張るのはわたしでもめちゃくちゃ大変だったけど……まあ、どうでもいいか。パトリシアが上手くやれていようといまいとわたしの知ったことじゃないわ)


 ルーシェはすぐに首を振り、自分を学校から追い出した女の顔を脳裏から消去した。


 目抜き通りを抜け、いくらか人の減った通りを歩いていると、野菜や果物の載った荷台を引く老夫婦から呼び止められた。

「売れ残った野菜だが持っていけ」と渡されたのはカボチャだ。


(そろそろ日も暮れる頃だし、見回りはこれくらいにして帰ろうっと。今日の夕食は何だろうなーお魚かなーお肉かなー。カボチャのスープがメニューに追加されるかも?)


 大きなカボチャを抱え、ルーシェはすっかり第二の我が家と化した伯爵邸に向かった。


 細道に入って丘の坂道を上る。

 別館が見えてきたところで、ルーシェは瞬きの回数を増やした。


 玄関の前にセラが立っている。


 身体の前で手を組み、不安そうな面持ちで指を揉んでいた彼女は、ルーシェの姿を認めるなり駆け寄ってきた。


「ルーシェ! 大変なの! 大至急本館へ行ってちょうだい!」

「えっ? どうしたの?」

「……エルダークの王の使いを名乗る騎士が来てるの。ルーシェにまた《国守りの魔女》になって欲しいと頼みに来たらしいわ」


「……………………は?」

 ルーシェは唖然とした。

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