26:もう絶対に許さない
「……御冗談を。『最強』の魔女を相手に暴れたところで時間の無駄でしょう。お話とは何ですの」
貴族令嬢としてのプライドをかき集め、きっと彼女を睨む。
エマはドロシーと面識はない。
恨みを買うような行為をした覚えもない。
(私はラザフォード侯爵の娘よ。突然部屋に侵入してきた無礼な魔女に媚びてなるものですか!)
「話が早くて助かる」
魔女は銀色の目を細め、それから言った。
「エマ・ラザフォード。君はユリウス・エンドリーネに懸想しているだろう」
「……はあっっ!!?」
まさかそんなことを言われるとは思わず、エマは素っ頓狂な声を上げた。
「違うか?」
「……そ、それは……」
俯き、絨毯が敷かれた床を見下ろす。
(……人の心を見通すと言われる魔女に嘘をついても無駄よね)
「……その通りですけど!?」
開き直って腰に手を当て、胸を張る。
どうして胸を張っているのかは自分でもよくわからない。
何しろ、世界最強の魔女を前にしてエマは怯え切っているのだ。
気を抜けば足が震えそうだった。
「どうしてそんなことを聞くのですか? まさか……貴女もユリウス様に懸想していて、恋敵を始末しに来たとでも?」
後ずさったものの、エマの足はすぐに寝台にぶつかった。これ以上後退しようがない。
「面白い発想だ。しかし、私が彼に恋をするなどあり得ないよ。個人的に気に入っているのは確かだがね」
魔女は小さく笑って足組みを止め、立ち上がった。
「エマ・ラザフォード。君の恋心が本物ならば私と共に来い。現在ユリウス・エンドリーネはエリシア・レネルと対峙している。果敢にも、彼はたった一人で過去自分を打ちのめした強敵に挑んでいるのだ」
「エリシア!? どうしてエリシアがいまさらユリウス様の前に現れるのです!? 恋人と駆け落ちしたはずではなかったのですか!?」
エマは目を剥いて魔女に詰め寄った。
「話を盗み聞きする限りでは――」
魔女は右耳の横に浮かぶ魔法陣を右手の人差し指で指した。
「エリシアは運命だと思っていた恋人に裏切られたらしい。子どもができたと告げた直後に金を持ち逃げされ、実家からも勘当され、何不自由なく育てられた貴族令嬢には耐えられないほどに困窮した結果、かつての婚約者に泣きつき、復縁を求めている」
「――――」
激しい眩暈がした。
危うく倒れそうになり、寝台に座り込む。
(……いえ、呑気に気絶している場合ではないわ。気絶したいのはユリウス様のほうよ)
怒りの炎が腹の底から噴き上がり、その炎は業火と化してエマの全身を燃え上がらせた。
「私をユリウス様の元へ連れて行ってください。いますぐに!!」
立ち上がって叫ぶ。いや、絶叫する。
「構わないが、その前に着替えたほうが良いのでは?」
言われて見下ろす。
現在エマは黒のひざ丈の部屋着を着ている。
部屋着のまま外出するなど、貴族令嬢としてあるまじき行為だ。
考えてみれば洗顔も調髪も済ませておらず、寝起きそのままの姿である。
「――いえっ、着替えている暇などありません! なんといってもユリウス様の危機なのですから! たとえ侯爵家の評判を落とすことになろうと、このままで結構!! 叱責も嘲笑も侮蔑も受け入れますわ!!」
「素晴らしい覚悟だ」
魔女がパチンと指を鳴らした。
途端に、エマの服は部屋着から衣装部屋にあったはずの蒼のドレスへと変わった。
寝癖がついていたはずの髪もまっすぐに伸びている。
恐らく顔も洗顔後のように綺麗になっているはずだ。
「こ、こんなこともできるのですね、貴女は……」
「そこまでサービスするつもりはなかったが、君の覚悟を見て気が変わった。行こう」
魔女は無造作にエマの手を掴んだ。
ぽうっと、床に金色の五つの光が灯る。
金色の光は縦横無尽に床を走り、エマと魔女の足元に巨大な魔法陣を描き出す。
たった数秒で魔法陣は完成し、完成と同時に凄まじい光を放った。
視界が真っ白に染まる。
あまりの眩しさにとても目を開けていられず、反射的に目を閉じる。
落下するような、あるいは浮かび上がるような、不思議な浮遊感に包まれた。
足裏に感じていた床が消失する。
(い、いま私はどうなっているの――)
魔女の手を強く握り、内臓が浮くような不快感に耐える。
やがて足裏にしっかりと地面を踏みしめているような感覚が戻った。
目を開くと、そこは見知らぬ路地だった。
重く立ち込めるような雲に覆われた灰色の空の下。
夜半過ぎまで降っていた雨に濡れた朝の路地ではユリウスとエリシアが向かい合って立っていた。
路地にいるのは彼らとエマの三人だけ。
魔女はエマを送り届けてどこかへ消えたらしい。
「――どうしてそんなに冷たいことを仰るのですか。あんなに優しくしてくださったユリウス様はどこへ行ってしまわれたのです? ユリウス様ならば私の過ちを許し、私を愛してくださると思ったのに。このままでは母子共々飢え死にしてしまうと知りながら、無情にも見捨てるおつもりなのですか?」
エリシアはエマとよく似た色合いの瞳に涙を浮かべ、左手で下腹部を押さえている。
妊娠したばかりなのか、彼女の腹は膨らんでいるようには見えない――あるいは、妊娠という事実自体がユリウスの同情を引くための嘘なのかもしれないが。
「……。私は何故君のような女性が好きだったのだろうな……」
かつて愛した女性を見つめて、ユリウスは乾いた笑いを浮かべた。
痛々しい笑顔だ。とても見ていられない。
(この女――ユリウス様になんて顔をさせるの――一度ならず二度までもユリウス様を傷つけて――もう絶対に許せない)
皮膚を傷つけるほど強く両手を握り締める。
長距離転移による衝撃のせいで一時的に消失していた怒りの炎が再び燃え上がる。
「エリシア・レネル!!!」
怒鳴るように名前を呼ぶと、二人は驚いてこちらを見た。
「ラザフォード嬢?」
「どうして貴女がここに――」
戸惑いの声を無視してエマはつかつかと歩み寄った。
本来ならば駆け寄ってエリシアを殴り倒したいところだが、自称身重の女性に乱暴なことはできない。
「それはこちらの台詞です。エリシア・レネル――いいえ、貴女は実家から勘当された身でしたね。訂正しますわ、エリシア。貴女は何故ここにいるのです?」
ユリウスを庇うように彼の前に立ち、エマは自分より三歳年上の女を睨みつけた。
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