第6話 毒血の魔女トキシアナ
連れていかれたのは、冒険者ギルドではなかった。
「あの、トキシーさん……?」
拭いきれない不安から、私は前を歩くトキシーさんを呼ぶ。
少し離れた場所から賑わう人々の声が聞こえる。それは大通りからのものだ。
冒険者ギルドがあるのは、その大通り。
そして私が歩いているここは、ずっと離れた狭い裏路地。
今はもう夜で、見える範囲のほとんどが重々しい闇の中に沈んでいる。
並ぶ建物の窓からは明かりも漏れておらず、道もかろうじて見えている程度だ。
それでも私が迷えずにいられるのは、トキシーさんがいるから。
彼女の派手なピンクの髪はわずかばかりの月の光の下でも十分に目立った。
「もうすぐだから、ついておいで。ピュリィ」
「ついておいで、って……」
振り返って笑うトキシーさんの言い方が、ちょっと引っかかった。
「あのですね、私は十五です。大人なんです。だから子供扱いはよしてください」
「あれぇ~、森で子供みたいにワンワン泣いて私に抱きしめられてたのってぇ~?」
「わぁ~!? わ~わ~わ~わ~ッ!」
そのときの記憶が記憶によみがえり、私は声を裏返らせてしまった。
「フフフ、本当にキミは可愛いね、ピュリィ」
心から楽しそうにトキシーさんは笑う。頬がカッと熱くなって、私は声を荒げた。
「もぉ、トキシーさん!」
「悪かった悪かった。――で、ほら、着いたよ」
トキシーさんは足を止め、そこにある建物の方へと目をやる。
つられてそちらを見た私は、かかっている看板に気づいた。
「……『ベルゼン雑貨店』?」
薄暗い中で、月明かりを頼りに、私は何とかその文字を読み上げる。
店名の横には、口を大きく開けた蛇のエンブレムが描かれている。不気味だ。
「トキシーさん、ここは……?」
感じる不安を大きくしながら、私は重ねてトキシーさんに尋ねた。
こんな、大通りから離れた場所にあるお店が、真っ当なお店だとは思えない。
「ここはわたしが懇意にしているお店でね。闇ギルドの直営店さ」
「や、闇ギルド……ッ!?」
その名前を聞かされて、私は驚愕するしかなかった。
存在自体は、前に噂を耳にしたことがある。
暗殺者や盗賊、賞金首やならず者なんかを取りまとめる、裏社会の元締め。
大きな街には必ずそういった組織が存在してるとは聞いたことがあるけど……、
「アーネチカにもあるんですか、闇ギルドが?」
「おや、それも知らなかったのか、ピュリィは。新鮮な反応だよね、実に」
トキシーさんは、またしても愉快そうに笑ってこっちを向く。
「この街にあるのはね、近隣の村や街にも支部がある、辺り一帯じゃ最も大きい闇ギルドなんだよ。冒険者ギルドがこの街の表の顔役なら、闇ギルドは裏の顔役だね」
「……全然知りませんでした」
「知らないってことは、キミがそれだけ健全な生活を送っていたってことさ」
店の戸を開けて、トキシーさんが中に入っていく。
私は、すぐについていくことはできなかった。さすがに怖い。気おくれする。
「闇ギルドのお店と、懇意にしてる?」
開け放たれた戸の向こうに消えたトキシーさんを目で追って、私は繰り返す。
そういえば、私、トキシーさんのことを全然知らない。
知っているのは同じ錬金術師であることと、毒が効かない体質であることだけ。
トキシーさんって、本当はどんな人なんだろうか。
今さらながら、私はそんなことを考える。
そんなことを考えられる程度には、気持ちが回復していた。
「ピュリィ~、入ってこないのか~い?」
「ぁ、今、行きます~……!」
奥から呼ばれて、ハッとなった私は軽い駆け足で店へと入る。
すると店内はとても狭く、私とトキシーさんが入っただけでギュウギュウだった。
天井から吊るされたランタンの小さな灯火が唯一の光源で、辺りを淡く照らす。
左右の壁はそれぞれ棚になっていて、とにかくゴチャゴチャしている。
小さな刃物から、日用品から、紙束から、何かの液体が入った小瓶など。
多分、商品と思われるものが所狭しと置かれている。
そして前側にはカウンターがあって、その向こうに男の人がいた。
波打つ黒髪を肩辺りまで伸ばした、三十代半ばくらいの、無精ひげの痩せた男性。
とろんとした眠そうな目が、こっちを見る。
瞬間、そこにある得体の知れない光に、私の心は竦んでしまう。
「おや、トキシーちゃんじゃねぇかい。こんばんは」
「や、こんばんは、クレィブ君。今日も全く繁盛してないね、このお店」
「いいことじゃねぇかい。ウチが繁盛してないってコトァ、街が平和ってコトさぁ」
クレィブという男の人の声はかなり低めで、ねばつくような喋り方が印象的だ。
私は、この人の顔としゃべり方から、看板に描かれた蛇を連想した。
「こないだの件、鑑定、ありがとよぉ~。あんたさんからお墨付きとあっちゃ、先方も納得するしかなかったようだぜェ~。さすがは『
「その名前で呼ばれるのはあんまり好きじゃないけどね、わたしは」
そう言って、トキシーさんは小さく苦笑する。
だーけん、ぶらっど?
聞き覚えのない呼称に、私は目をパチクリさせてしまう。トキシーさんのこと?
「で、今日はどんな御用で? そっちのお嬢さんはどなたさんだい?」
「ああ、彼女はピュリファといってね、わたしの後輩だよ。それでちょっとこれから冒険者ギルドに殴り込みに行くから、クレィブ君に立会人を頼みたくてね~」
「な、殴り込みィ……ッ!?」
そんな話、一言も聞いていなかった私は、すっとんきょうな声を出してしまった。
「へぇ、冒険者ギルドに殴り込みねぇ。そりゃ楽しそうだ」
「だろう? 立ち会ってくれれば、一番の特等席で最高の娯楽が見られるよ?」
「そいつはいい。最高だ。退屈してたところに、こいつはとんでもない朗報だなぁ」
「そうだろそうだろ。しかもそれだけじゃないよ? 闇ギルドへの特典付きさ」
驚いて固まっている私の前で、トキシーさんとクレィブさんが会話を続ける。
「へぇ、俺だけじゃなくウチにもイイコトがあるってのかい? そいつはどんな?」
「さてね、それはそっち次第かな。ただ、確実に冒険者ギルドに『大きな貸し』を作ることはできるだろうね。何せ今回の一件は、グウェン君のやらかしだから」
「――ハッ!」
クレィブさんの眠たげだった目が『やらかし』という言葉に、カッと見開かれる。
「マジかよ、トキシーちゃん。あの野郎、ついにやりやがったか!」
「やったねぇ~、これは過去最大にやらかしてるねぇ~。何とわたしの保証付きさ」
「ハッハッ! そいつはカタいな。よし、いいぜ。立会人になってやるとも!」
それまでとは打って変わって、クレィブさんは元気に立ち上がって笑っている。
二人が一体何の話をしているのか、私には全くわからなかった。ただ、
「それじゃあ、冒険者ギルドに向かおうか、ピュリィ」
振り返ってそう言ってくるトキシーさんの笑顔だけは、信じられる気がした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――十五分後、アーネチカの街、冒険者ギルド入り口。
「やぁやぁ、こんばんは冒険者諸君! トキシアナお姉さんだよォ~~~~ッ!」
広いエントランスに朗々と響く、トキシーさんの名乗りの声。
夜なのに、そこにはまだ二桁以上の冒険者と、二桁以上の職員がいた。
そして、その場の全員の目が、トキシーさんへと集まる。
当然、彼女の傍らに立つ私とクレィグさんにも、幾つもの視線が突き刺さる。
「うぐぅ……」
多数の視線を一挙に浴びて、私は背筋が冷えた。
そこに、今度は冒険者達の声が漏れ聞こえてくる。
「まさかあいつ、トキシアナ? 『毒血の魔女』のトキシアナか……!」
「あれが『毒血の魔女』――、この街で最悪の錬金術師……」
「何であいつが冒険者ギルドに来てるんだ。誰だよ、あんなのを呼んだのは!」
あ、あんなの?
この街で最悪の錬金術師……ッ!?
飛び交うそれらの言葉は、どれも私を驚かせるものばかりだった。
そして、空気が怖い。
冒険者だけでなく、ギルド職員までも、こっちに非難がましい目を向けてくる。
そこにあるのは貫かれそうなくらい刺々しい拒否感と、敵意と、嫌悪の念と……。
場に感じられる忌避感のほとんどがトキシーさんに向けられているものだ。
それはまるで、扱いに困る劇物を見るかのようなまなざしで……。
一体『毒血の魔女』とは何なのか。私の中に、疑問ばかりが積み上がっていく。
さらに、ダメ押しとばかりに――、
「……何で、闇ギルドのギルドマスターまで一緒なんだよ」
遠くから聞こえた誰かの声が、私の心臓をドキンと強く跳ねさせる。
私は、ギギギとぎこちなく首を動かし、クレィブさんを見る。
「……あの?」
「おっと、知らなかったのかい? どうもどうも、闇ギルドの一番エラい人のクレィブさ。短い付き合いになるたぁ思うが、よろしくしてくれよな、お嬢ちゃん」
ウィンク、されてしまった。
それで私に、どんなリアクションを返せというのだろうか。
「ちょっとそこの職員さん、闇ギルドのギルドマスターのクレィブ君が冒険者ギルドのグウェン君にお話があって忙しいところをわざわざ来たんだけど、グウェン君はどこかな? 多忙極まりないクレィブ君がわざわざ話があって来たんだけどなぁ~!」
トキシーさんは、エントランス全体に響く大声でそれを言った。
彼女が声をかけたのは、グウェンさんと一緒に私に取引停止を告げた職員だった。
あのとき私を冷たく睨んでいた職員さんは、今はひどく慌てた様子で、
「ギルドマスターは今、二階で『エストラ一党』と打ち合わせを……」
「おっと、それは何とも運がいい」
トキシーさんがニヤリと笑う。
私は『エストラ一党』の名を聞いて、悪寒に近しいものを感じた。
でもこれは恐怖じゃない。緊張だ。
この先に待っているグウェンさん達との対決を、私はすでに予期しているのだ。
「行こう、ピュリィ。今日だけで全部終わらせられそうだ」
「……はい、トキシーさん」
冒険者達が遠巻きにこっちを睨んでくる中を、トキシーさんと私は歩き出す。
「あ、ちょっと! 今は――」
「お~っと、すまないねぇ~。こっちは緊急の用事なんだ。そう、火急の、非常に喫緊の、今すぐ解決しないといえない、この街の今後に関わる重大なお話なんだよ~」
止めに入ろうとする職員を、クレィブさんが阻んだ。
道化めいた物言いで告げられたとんでもない出まかせに、全員が動けなくなる。
「そ、そうなんですか……?」
「さぁ、どうなんだろうねぇ~」
ギョッとなった私が小声で尋ねると、クレィブさんは笑って肩をすくめた。
か、軽い。この人、ノリも軽いし、言葉に何の重みもない……!
そして、トキシーさんを先頭にして私達は二階に上がる。
するとちょうどよく近くの一室のドアが開いて、そこにグウェンさんが顔を出す。
「何だ、騒々しいぞ。何事――」
「こんばんは、グウェン君」
言いかけた彼に、トキシーさんがヒラヒラと片手を振って挨拶をする。
「貴様は、『毒血の魔女』……? それにクレィブに、ピュリファだと……?」
「なぁ、グウェン君。キミさ、大陸東部にあると礼法についての知識はあるかな?」
いきなり、トキシーさんはグウェンさんにそんなことを尋ねる。
この場の誰一人、その質問の意図がわからない。私も、問われたグウェンさんも。
「何だ、それは?」
「質問に質問を返すのはナンセンスだけど、ま、いっか。最初から答えは期待してないし。グウェン君ならそんなもんだよね。うん、仕方ない仕方ない。……はぁ」
ぅ、うわぁ……。
問い返すグウェンさんを軽く笑って、落胆し、納得し、最後に失望のため息まで。
たった一言で、四回もグウェンさんを侮辱してのけたんだけど、この人……。
「貴様、トキシアナ……」
「それでね、わたしが言った東の国の礼法なんだけど『ドゲザ』っていうんだよ。悪いことをした人がする謝罪の中で、最上級の謝罪のしかたなんだけどね――」
怒りに顔を赤くするグウェンさんなんてまるっきり無視して、彼女は続ける。
その顔に、それはそれは楽しそうな笑みを浮かべて、こう続ける。
「今日はキミに、それをしてもらおうと思って来たんだよ、グウェン君」
私は、納得させられる。
これは確かに、冒険者ギルドに対する、殴り込みだった。
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