第2話 薬師ピュリィのポーション

 適温に保たれた湯が、私の肌の上を雫となって伝い落ちていく。

 白い湯気に包まれながら、私は気持ちよさからホゥ、と長めの吐息を一つ。


 朝の薬草採取から帰った私は、まず真っ先にこうしてシャワーを浴びる。

 東の森には、メギドダケ以外にも幾つか注意すべき植物が生えている。


 そういったものの中には毒性の花粉や胞子を飛ばすものが多い。

 だからこうして、念入りに体を洗い流す必要があった。


 ああ、それにしても温かくて気持ちがいい。

 このシャワーは、地下から引いた水を、わざわざ魔法装置を介して熱している。


 温度の調節もある程度可能という便利さがたまらない。

 このシャワー設備は、前にこの家に住んでいた錬金術師が造ったものだという。


 最初は、随分と腕のいい錬金術師だと思った。

 だけど今、シャワーを浴びる私の脳裏に浮かんでいるのは、ピンクの髪の彼女。

 もしかしたら、この家の前の住人というのは――、


「……はぁ、やめやめ」


 呟いて、思考を打ち切る。

 濡れて垂れた髪を手で雑に梳いて、もう少しだけシャワーを堪能する。


 自作の石鹸で体を洗い、もう一度シャワーで流したあとでシャワー室を出る。

 すると、向こう側の壁に貼られた鏡の向こうに、裸の私がいる。


 そこに映るのは、体にさしたる凹凸も見られない十五になったばかりの小娘。

 髪は洒落っ気も何もないありふれた栗色で、長さは肩にかかる程度。


 一応整えた眉の下、はしばみ色の瞳は丸く大きく、子供みたいだ。

 いや、それをいうなら私の顔は全体的に幼い気がする。


 輪郭の丸さに頬の赤みも加わって、成人しているとは思えない子供っぽさだ。

 自分の容貌については、実はひそかにコンプレックスだったりする。


 別に男の人に好かれたいとは思っていない。

 でも、森で出会ったトキシーさんのような人を見ると、無駄に凹みそうになる。


「いやいや、別に私は痴女になりたいわけじゃないってば」


 タオルで体を拭きながら、私は軽くかぶりを振る。

 同時に『でもな~』とも思ってしまう自分を止めることができない。


 トキシーさんは、綺麗だった。

 女性として、というか人としての造形が綺麗だった。


 服装は痴女だけど。

 間違いなく痴女だけど。


 それでも心が『綺麗だ』と感じたのだから、それはどうしようもない。

 一体、何を食べれば、あんな神懸かり的なプロポーションになれるのだろうか。


 まさか、メギドダケ?

 いっぱい食べてたモンなぁ……、あの人。


「……う~ん、でも、さすがに憧れるのはやめておこう」


 だって痴女だし、あの人。

 いくら綺麗だと思っても私は痴女にはなりたくない。


 ため息ののち、下着を身につけて、洗いたての服に着替える。

 ミルク色のローブに、錬金術師の証である銀のブローチ。頭には赤いリボン。


 森に着ていった衣類と防護面は、井戸で汲んだ水を張った桶に入れておいた。

 その水には、汚れを落とす薬品を加えてあり、夜まで漬け置きだ。


 今日は、二週に一度のポーションの納品日だ。

 私は、自分で作った回復用のポーションを冒険者ギルドに卸している。


 十年前の事件以降、錬金術師の風評は地に堕ちた。

 それもあって、ほとんどの商会が錬金術による品を取り扱ってくれなくなった。


 それでも有名な錬金術師なら商品として扱ってもらえる可能性は残っている。

 でも、私みたいな新米の品を扱ってくれる店は、どこにもなかった。


 当然、多くの錬金術師が路頭に迷うこととなった。

 そこに救いの手を差し伸べてくれたのが、冒険者ギルドだ。


 ギルド側にとって、錬金術師は依頼する側としてもされる側としても重要だ。

 だから、ギルドは率先して直営店で錬金術師の品を扱うようになった。


 ただし錬金術師であれば誰でもギルドのお店で扱ってもらえるワケでもなかった。

 ギルドは、錬金術師達に『高い品質』を求めた。


 ひいてはそれが錬金術師の信頼回復にも繋がるし、他の冒険者の利にもなる。

 というのがギルドの言い分で、事実、それは当たっていた。

 こうして、冒険者ギルドが錬金術師に対して厳格な品質基準を定めたのが五年前。


 そして、私の作るポーションはその基準をクリアしている。

 それどころか、同じ価格帯のポーションの中では私の作る品が最も質がいい。

 特に、効能の均一さ具合については突出している。


 その自負があるから、私は新米のクセにギルドに売り込みをかけられた。

 結果、取り扱ってもらえるようになったワケで、これは、自慢してもいいよね?


「ん~、朝ごはん食べて最後の分の調合だ~、っと」


 午後の納品に向けて、午前中は今日採取した素材を使って調合を行なった。

 この調合分を合わせれば、必要な数に到達する。


 お昼少し前、最後のチェックを終えて、私はポーションをテーブルに揃える。

 それを肩掛けかばんの形状をした魔法の収納ボックスに入れて、準備完了。


「よし、行ってきま~す!」


 しっかりと戸締りをして、私は家を出る。

 街までは歩いて三十分ほど。

 家を出てすぐにある川に沿って伸びている街道を歩くと、やがて見えてくる。


 途中、冒険者パーティーの一団とすれ違った。

 戦士に魔導士、盗賊に狩人という組み合わせで、ヒーラー役は見当たらなかった。


 もしかしたら私の作ったポーションを買ってくれた人かもしれない。

 そう思うと、少しだけ心が浮つくのを感じる。


 森を探索するため、私も冒険者登録はしている。

 だけど、私には戦う力なんてない。

 私の家は、代々、錬金術師を生業としており、私もそれ以外の生き方を知らない。


 だから、せめて冒険者の活躍の一助になれるよう、私はポーションを作る。

 そうすれば、十年前に失墜した『錬金術師』の信用を少しは取り戻せるだろう。


 でもなぁ、やっぱり理不尽だとは思ってしまう。

 こっちは全く身に覚えのない原因で、嫌われているワケだし……。


「そういえば、あの人も錬金術師なんだっけ」


 街へ向かう道すがら、再びトキシーさんの顔が浮かんだ。

 ダメだ、彼女との出会いにインパクトがありすぎて、脳裏に焼き付いている。


 何で、猛毒のメギドダケを味わえたのか。

 何で、東の森の中で一人、痴女っぽい格好をしていたのか。


 興味というより単なる疑問。だけどそれが頭の中にこびりついて消えてくれない。

 それだけ強烈なキャラクターだったのだ。

 もしかしたら、冒険者ギルドの職員さんなら知っているかもしれない。


「うん、きいてみようかな」


 錬金術師は好奇心が強い。

 それだけに、覚えた疑問をそのままにしておけない。答えを求めずにいられない。

 私はただの新米だが、それでもやはり錬金術師なのだった。


 遠くに、濃い土色の城壁が見えてきた。

 街まではもう少しだ。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 冒険者の街アーネチカ。

 それが、私が今、大通りを歩いているこの街の名前だ。


 この街にある冒険者ギルドは、近隣一帯では最も規模が大きく、所属人数も多い。

 そのため、勢力も大きく、実質的にこの街を牛耳っているといわれている。


 一応、辺境伯領に属しており街を治める領主もいるけど、お飾り同然らしい。

 私はまだこの街に来て日が浅いので、その辺りの事情はよく知らない。


 しかし、ギルドの影響力が大きいのは、正直助かる。

 この街では、錬金術師の証である銀のブローチを隠さないで済むからだ。


 他の街だったらこうはいかない。

 ブローチは隠した上で、魔導士の証である杖で身分を偽る必要も出てくる。


 そうしないと、どこから石を投げられるかわかったものじゃない。

 それが、今のこの大陸における錬金術師の扱いだ。


 冒険者ギルドも錬金術師の名誉回復には尽力してくれている。

 それでも、まだ当面の間は、錬金術師に対する偏見は続くだろうとされている。


「流れ着いた街がここでよかったよね、本当……」


 故郷の村を出て、最終的にこの街に来れてよかったと、私は思っている。

 街中で白い目を向けられないだけでも、それを実感する。


 大通りを突き進むと、やがて大きな建物が見えてくる。

 その、三階建ての石造りの立派な建物が、アーネチカの街の冒険者ギルドだ。


 入り口には、すでに多くの冒険者が群がっていた。

 お昼から活動を開始する冒険者というのも多く、それが理由だろう。


 朝、昼、夕。

 どの時間帯も、ここの冒険者ギルドは常に混雑している。

 それだけ多くの冒険者が、この街を拠点にして活動してるってことだ。


 そして、その多数の冒険者全員が、私にとっては大事な顧客候補でもあった。

 ヒーラーって、実はそんなにいないからね。

 いつだって引く手数多で、だからこそポーションの需要も尽きない。


 無茶は禁物。回復は大事。

 冒険者だったら、なり立ての新人でも知ってることだよね。


「さてさて、裏に回って~」


 私は依頼を受ける冒険者ではないので、出入り口はギルドの裏口となる。

 表側はあんなに騒々しいのに、裏に回ると途端に静かだ。


「こんにちは~!」

「お、ピュリファちゃんじゃないか。今日が納品日だったけ?」

「はい、そうなんですよ~。毎度お世話になってます」


 裏口にいる警備担当のおじさんに挨拶をして、私はギルド発行の身分証を見せる。


「はい、確認したよ、通ってよし!」

「ありがとうございます」


 おじさんに一度お辞儀したのち、私は建物に入ろうとする。

 すると、おじさんが笑って言ってくれた。


「そうそう、ピュリファちゃんのポーション、相変わらず評判いいぜぇ~。ウチの息子も冒険者やっててよ~。安いのに味もよくて効き目も抜群だって言ってたよ」

「本当ですか! わぁ、ありがとうございます~! 嬉しいです!」


 本当に嬉しくなってしまって、私はその場でパンと手を打ってしまった。

 これは、小さい頃の私のクセで、今でも気を抜くと出てしまう。


「今後も、よろしく頼むぜ~?」

「はい!」


 勢いよくうなずき、今度こそ私は建物に入った。

 思いがけず、自作の品の評判を教えてもらえた。何て――、何て嬉しいんだろう!


 私のポーションで誰かを助けることができたなら、それこそ『薬師』の本懐だ。

 でも、それ以外にも、やっぱり喜んでもらえたというのが素直に嬉しい。


 今は、錬金術師にとってはすごく厳しい時代だ。

 だけど一生懸命がんばれば、それを認めてくれる人もちゃんといる。こんな風に。


 俄然、やる気が湧いてくるというものだ。

 納品が終わったら、すぐに帰ってまたポーションを作らなきゃ。


 たくさん作って、たくさん納品して、たくさんの冒険者を助けてあげたい。

 そう思った私は軽やかな足取りで、手続きのため二階への階段を上がっていった。


 そして、そこで私は冷や水を浴びせかけられることとなる。

 手続きの対応に出てくれた顔なじみの女性職員さんに、こう言われた。


「ピュリファさんとの取引は、今回で最後とさせていただきます」


 …………何で?

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