毒魔女さんは色々黒い

楽市

第1話 濃厚ピンクの特大キノコ

 このお話は、私と『彼女』の『出会い』のお話だ。

 でも、それを語る私は別に主人公ではない。


 語り部の私は、ただの新米錬金術師でしかない。

 薬草で作った回復用ポーションを、冒険者ギルドに卸しているだけの女だ。


 でも『彼女』は違う。

 私なんかとは、何もかも全然違う。


 そうだ、あの人は――、『彼女』はまるで甘い毒蜜を含んだ神の果実のような人。

 その存在を知る者は、恐れるか敬うか、そのどちらかしか選べない。


 そんな『彼女』のお話を、私はこれから語っていく。

 あの、毒々しくも華々しい『毒血の魔女ダーケンブラッド』のお話を――。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 黎明。

 夜の香りが強く残る薄闇が、立ちのぼる朝陽を受けて溶けて消えていく。


 森を為す木々は陽がもたらすほのかな熱を受け、目覚めの朝露にその身を濡らす。

 そのときに吸える空気の味は、この世で一番おいしい空気だと、私は思う。


 この東の森で、最も薬草採取に適しているのが、今という時間帯だ。

 夜の冷たさがほどけて、木漏れ日を受けた朝露がキラキラと輝いている。


 その中を、私は歩く。

 採取用のかごを背負い、ローブとマントを重ねて羽織り、顔を防護面を覆って。


 家から一時間もかからない場所にこんな穴場があるなんて、まさに僥倖だ。

 わざわざ街から離れた場所にある古い家を購入して正解だった。


 私程度の新米錬金術師に購入できる家があそこしかなかったのもあるけれど。

 だけど、それは結果として大変な幸運だった。


 元々、別の錬金術師が使っていたらしい家で、中には工房がそのまま残っていた。

 さらには、すぐ近くに絶好の薬草採取ポイントであるこの森がある。


 家を買ったことで財産を使い果たしたときは後悔したものだ。

 でも今考えると、その後悔はするだけ無駄だった。


 この森に生えている薬草は種類も豊富で、何より量が多い。多すぎなくらいだ。

 一人では、毎日通っても百年経っても採り尽くせない量の薬草がある。


 私のような錬金術師にとっては、金の鉱脈にも等しいほどの価値がある場所だ。

 そんなところを独り占めできることに、私はひそやかな優越感さえ覚える。


 ただ、街からもほど近いこの森が未だ手付かずなのも、理由あってのことだ。

 木々が続く森を歩いていると、そこかしこに目に入るものがある。


 地面から噴き上げた地獄の炎のような、独特の形状をした真っ黒いキノコだ。

 そのキノコは、遠い国の神話になぞらえて、メギドダケと呼ばれる。


 もちろん、毒キノコだ。

 しかも、尋常ではない毒キノコだ。


 食べても死ぬことはない。

 しかし、逆に死なないことが、このキノコの悪辣なところだったりする。


 体内に摂取した場合、主に現れる症状は激痛だ。

 しかも、解毒しない限りは時間を経ても収まらない、極度の激痛。


 さらには痛覚が過敏になる症状もあらわれ、風を受けた程度で痛みが走るという。

 仮に解毒しても、体のどこかにほぼ確実に強い後遺症が残るのも厄介だ。


 食べた者は死ぬことはないが、あまりの痛みに死を望むようになる。

 そのことから別名『魂を砕くキノコ』とも呼ばれる、恐るべき毒キノコだった。


 そして、そんな恐ろしいメギドダケが広範囲に群生しているのが、この森だ。

 大量の薬草が手つかずで残っているのも、このメギドダケが理由なのだ。


 何せ、このメギドダケ、食べないでも触れただけで毒に冒される。

 その場合も解毒しない限り触れた個所が痛み続けるし、毒素も広がり続ける。


 最悪なのが、胞子も弱いながらも毒素を含んでいるところだ。

 その胞子、実は年がら年中、この森の空気中を漂っている。


 だから私はこの森に来るときには、顔を専用の防護面で覆っている。

 この防護面は錬金術による加工を用いており、優れた耐毒性能を有している。


 その上、ローブもマントも採取用のもので、足は分厚いブーツ、手には手袋。

 装備をガチガチに固めた上で、私は薬草採取に臨んでいた。


 時間帯を朝に設定しているのも、胞子への不安からだ。

 森全体が朝露に濡れている時間帯なら、空気を漂う胞子の数も減っているはず。


 それを狙っての、早朝の薬草採取。

 この森にはそこまでするだけの価値がある。私はそう思っていた。


 ただし、何事にも例外がある。

 それもやっぱり、森の災厄みたいなメギドダケだった。


 このキノコ、錬金素材として非常に使いにくいというか、実質使い道がないのだ。

 毒素が強すぎて中和するのに手間がかかるし、それで得られる薬効も弱い。


 つまり、薬にするには今のところは割に合わなすぎる。

 毒として見るなら、非常に優秀なのだろうけど。私は毒の専門家じゃない。


 私は主に薬品を取り扱う、いわゆる『薬師メディシン』と呼ばれる錬金術師だ。

 逆に、毒を専門に取り扱う錬金術師は『毒使いポイジン』と呼ばれている。

 毒と薬は表裏一体ではあるけど、同じものではないということだ。


 さて、そろそろいつもの採取ポイントだ。

 薬草採取は二日に一度行なっている。

 今日も、かごにいっぱいになる程度の薬草を採って――、って、あれェ……?


「……何、あれ?」


 かごを地面に下ろそうとした私が見た先に、何やら大きく丸いものがあった。

 そしてそれはピンクだった。

 とても濃密で濃厚な、けばけばしいまでにピンクピンクした、派手なピンク色だ。


「ピンク色の特大キノコが生えてる……」


 森の奥の丸い特大ピンクを見て、私は呆気にとられながらそう呟いていた。

 だが、よく見るとそのピンクのキノコはかすかに左右に揺れていた。


 それでようやく、私はそれが人であることに気づいた。

 こちらに背を向けて、身を丸めているんだということも、数秒遅れでわかった。


 ピンク色なのはその人の髪ののようだ。

 随分と長く伸ばされた、尋常ではない毛量の髪だ。


 ようやくそこまで認識して、次に湧いたのは『何でここに』という疑問。

 こんな早朝の、しかも街からも離れた森の中に、自分以外の誰かが?


 確かにこの森にはモンスターなどはほとんど出ない。

 先述したメギドダケのおかげで、モンスターはここを危険地帯と認識している。


 モンスターすらも恐れる。それがメギドダケ。

 と、そこまで考えて、私はハッとする。

 このピンクの人が身を丸めている理由は、もしかしてメギドダケなのでは?


 不用意に素手で触って、毒を蝕まれてしまったのではないか。

 そこに気がついて、私はすぐさまピンクの人に声をかけた。


「あ、あの、大丈夫ですかッ!」


 念のため自作の解毒剤は持ってきている。これで触れた個所を洗い流せば……!

 私は、ピンクの人へと駆け寄る。

 すると、声に気づいたピンクの人も、こちらへと振り返った。


「むぐ?」


 そこには、口に入れたメギドダケでほっぺがパンパンになっている彼女がいた。


「…………え?」

「…………むぐぐ?」


 固まる私。

 首をかしげる彼女。

 そして、硬直する私の前で、彼女はひたすらに咀嚼を続ける。


 もっきゅもっきゅもっきゅもっきゅ。

 もっきゅもっきゅもっきゅもっきゅ。


 ……ものすごくよく噛んでる。


 もっきゅもっきゅもっきゅもっきゅ。

 もっきゅもっきゅもっきゅもっきゅ。


 ……まだまだ噛み続けてる。


 もっきゅもっきゅもっきゅもっきゅ。

 もっきゅもっきゅもっきゅもっきゅ。ごっくん。


 と、毒キノコを飲み下して、彼女は不思議そうな顔つきで私に尋ねる。


「キミは、誰だい?」


 その瞬間、私は腹の底から叫んだ。


「食べてるゥゥゥ――――ッ! 美味しそうに食べてるゥゥゥ――――ッ!?」

「うわ、いきなり何だよ!?」


 私の出した大声に、彼女もまた驚き、身を震わせた。

 これが私ピュリファと彼女トキシアナ――、トキシーさんの最初の出会いだった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 やっと落ち着いたところで、私は彼女に尋ねた。


「え、何で正気を保ってるんですか?」

「すごいね。挨拶とか名乗りより先に正気の確認をされてしまったよ?」

「すいません……」


 自分の混乱の度合いを自覚して、私は謝った。

 すると彼女は「別にいいけど」と笑って、すっくと立ち上がる。


 それで、彼女の全身が初めて見えたワケだけど、すごい格好をしている人だった。

 褐色の丸眼鏡をかけた美人で、瞳の色は蜜のようにも見える金色。


 やや垂れ目気味で、整った顔立ちは柔らかい印象が目立った。

 唇がモゴモゴしているのは、信じがたいことに今もメギドダケを食べているから。


 この辺りでは見られない、独特な雰囲気を持ったとんでもない美人だ。

 でも、私がすごいと評したのは、その服装の方。

 黒マントを羽織って、その下に纏っているのは何本も縦線の入った白い装束。


 彼女の体つきは、豊かとか豊満なんて言葉では表しきれないほど。

 それを覆う白装束は伸縮性のある素材でできており、体の線を露わにしている。


 さらに装束には等間隔に縦線が入っており、ボディラインを余計に強調している。

 何故か胸元に大きな逆三角形の穴があって、褐色の谷間が派手に覗いていた。


 袖は肘辺りまでしかなく、裾は太ももの付け根近くというギリギリ加減。

 そこから、スラッとした長い手足が伸びている。

 足にはロングソックスをはいていて、太ももが少しはみ出しているのも印象的だ。


 腰の辺りにはベルトが巻かれて、左側に収納用の小型ポーチがあった。

 総じて、こっちが気恥ずかしさに目を逸らしたくなるくらい煽情的な服装だった。


 ぶっちゃけ半分以上痴女。絶対に森を歩く格好じゃない。

 この人、森ナメてるのかな、とか思ってしまった私はきっとおかしくない。


「キミは――、薬草を採りに来たのかな? 錬金術師?」

「はい、そうです、けど……」


 堂々とした態度の彼女にどこか気おくれして、私はおずおずと答える。

 彼女は、そんな私にニコッと明るく笑ってみせた。


「ああ、やっぱりご同業か。その重装備と、背中に担いでいるカゴでもしやと思ったけど、当たってたみたいだね。ふぅ~ん、そっかそっかぁ~」


 と、彼女は興味深げにいうけれど、甚だ心外と言わざるを得ない。

 言ってしまうのも何だが、私にはこんな痴女めいた服装は絶対に無理。できない。


 だがそれを言うワケにもいかず、私はひとまずだんまりを決め込む。

 彼女は、こっちを窺うような目つきを見せる。


「街ではあまり見ない顔だけど、最近来たばっかりかい?」

「そうです。半年くらい前に、こっちに」

「なるほどなるほど~。ふ~む。そうなんだね~」


 私の答えの何がそんなに面白かったのか、彼女が笑みを深める。

 それが少し癇に障って、文句を言ってやろうかと思った。


「あのですね……」

「トキシアナ」


「え?」

「わたしの名前はトキシアナだ。トキシーとでも呼んでくれ。キミは?」

「あ、その……」


 私は言いよどむ。見事に出鼻をくじかれてしまった。


「……ピュリファです」


 せめてもの抵抗に、わざと不満げに名乗ってみせた。

 でも、トキシーさんはまるで気にする様子もなく、ますます笑みを深める。


「ピュリファ、いい響きの名前だね。では、ピュリィと呼ばせてもらおう。こんな山奥で同じ錬金術師に会えるなんて、奇遇というか何というか、これも縁だよね!」


 トキシーさんは、一人でどんどんと話を進めていった。

 ついていけない私は、何も言えないまま、気がつけば彼女と握手を交わしていた。


「さて、ピュリィ。ここは危ない森だよ? 何せ、こぉ~んな」


 と、トキシーさんは指につまんでいたメギドダケを私の前に見せつけてくる。


「危ない毒キノコがいっぱい生えてるところだからねェ~」


 そして彼女は、そのままメギドダケを口の中に放り込んで、もっきゅもっきゅ。


「うんうん、なるほどなるほど。ウワサには聞いてたけど、これはなかなかのコクとまろやかさじゃないか。メギドダケ。しっかりメモしておこう」


 この人、すごい。

 自分から危ないと言っておきながら、メギドダケをたっぷり味わってる。


 あの、それ、食べたら魂砕けちゃうキノコ……。

 危険度激高の超絶猛毒キノコ。だよね。……何か、自信なくなってきちゃった。


「それにしても、このご時世に錬金術師をやるなんて、キミも物好きだねぇ~」


 サラサラとメモ帳に何かを記しつつ、トキシーさんは世間話みたいに言ってくる。


「色々と大変じゃないかい、キミもさ。風当たり、強いだろ?」

「それは、まぁ……」


 チラリとこっちを見る彼女に、私はやや沈んだ気持ちになってうなずく。

 今の時代、錬金術師はどこに行っても疎まれる。


 ちょうど十年前に起きたとある事件がきっかけで、そんなことになってしまった。

 当時、私はまだ五歳の子供だった。

 だから、そんな昔のことを理由にして嫌われるのは、正直、しんどくはあった。


「わかる、わかるよ~、わたしも同じようなモノだからね~」

「トキシーさんも――」


 彼女もやはり、同じく嫌われているのだろうか。

 それを確かめようとしたところで、


「おや?」


 遠くから聞こえるカァ~ンコォ~ンという鐘の音に、トキシーさんが顔を上げる。

 その音は、街にある時刻を告げる鐘が鳴らされた音のはずだ。


「あ~、いけないな、もう鐘が鳴る時間か……」


 呟いたトキシーさんは、その顔をマズげにしかめてため息を一つ。


「いや~、悪いね、ピュリィ。わたしは街に戻らなきゃいけなくなったよ」

「え、ちょっと……」


「それじゃあ、縁があったらまた会おう。またね~!」

「あ……」


 残りのメギドダケをポーチに突っ込んで、トキシーさんはさっさと走り出した。

 その速さは信じがたいほどで、あっという間に見えなくなってしまう。


 そして、森の奥には私だけが残される。

 静寂。どこまでも、静寂。時間が止まってしまったかのようだ。


「…………な」


 トキシーさんがいなくなった方向を見つめて、私はその場にへたり込む。


「何なの、あの人……?」


 腰を抜かして声を震わす私を、やっと昇った朝日が照らしていた。

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