突如聖女が現れ、辺境伯をブン殴る!!

 船体後部を炎上させながら猛スピードで空を突き進む飛行船。その帆先はダントン辺境伯の居城の方向を向いていて、破損と火事の影響で減っていく水素と、その浮力の減少による影響からか徐々に高度を落としていた。


「最終目標を今のうちに話しておきます」


 そんな飛行船のコクピットの中で、聖女は操舵輪を巧みに操っていた。それを支えるのはセシリア。彼女は今は左右のバランスをとるために、バラスト水が蓄えられているタンクの弁を操作していた。


「最終目標は、城の向こうに広がる草原へとこの飛行船を墜落させることと、途中で我々が飛び降りて城へと突入することです。

 そのためには、急減速をして対地速度時速30マイル以下で城の直上を通過する必要があります」


 時速50km以下なら己の肉体で何とかできると豪語する聖女にセシリアが驚きの表情をする。しかし、今の速度は時速100kmを越え、機体もガタガタと震えていた。


「どうやって減速するのですか?」

「飛行船を立ち上がらせます。」

「は?」

「墜落時の火災を少しでも小さくするために、今から少しずつ燃料も水素も廃棄していきます。バランスが大きく変化するので、バラスト水の投棄も並行して行います」


 セシリアの素っ頓狂な声に答えることなく、聖女は一息にこれからの計画を話していく。セシリアは結局それに頷くしか選択肢も時間も無く、すぐに緊急時のフライトチェックリストを開いて機体の模式図を見、燃料タンクと重りであるバラスト水が蓄えられているタンクの位置を確認し始める。


「数表はこれ、だけど……」


 セシリアはチェックリストに付随する数表を読もうとするが、揺れるコクピット内ではそれも難しい。どのタンクをどの順番で操作すれば安定して燃料を捨てられるのか、加えて最終的に飛行船を立ち上げることも考えれば、下手な操作はできない。

 僅かに荷が重いとセシリアが思った瞬間、ほど近くから心配気な声。

 もちろん、聖女のものだ。


「大丈夫ですか?」

「大丈夫です!聖女様は操縦に集中して下さい!」


 こんな所でつまずくわけにはいかない!

 セシリアは振動でぼやける細かい数字を何とか読み込んで、それを頭の中に叩きこみ、あらゆる状況に対応できるようにあらかじめ計算していく!


「燃料と水素はどれくらいまで捨てることができますか?」

「燃料はともかく、水素はあまり捨てられません。脱出時にいくらかは捨てられるでしょうが、激しい爆発は覚悟したほうが良いと思います」

「そうですか……。街がない平原の方へ進行方向を向けるため、左旋回します」


 基本的に、飛行船は自力で浮くことはできない。飛行船全体の比重は、空気と比較してほんのわずかに重くなっているからだ。

 ではなぜ浮けるのか?それは、進行方向に進むことで飛行船についている翼によって揚力を得て、水素の浮力と足し合わせているからである。

 逆説的に、減速によって揚力が減ったり、積まれているている水素が減れば墜落するリスクが高まっていく。

 そして、バラスト水は全体の浮力の調整のために存在する。今回の場合、機体後方の水素タンクが破損炎上して浮力が大幅に減少したため、それを捨てることによって飛行船全体の比重を下げていた。現段階ではもうすでに相当量のバラスト水が捨てられ、残りはそう多くはない。


「一旦、減速してみます」

「はい」


 左旋回を終えた聖女は来たる減速のために、今のうちにテストをする。上手く減速できるのであれば、無理な急減速をしなくてもよいからだ。

 しかし、現実は無常!機体は致命的なほど震え、後方が左右に揺られ始めた!


「加速します!」


 聖女はエンジンに鞭を打ち速度を上げて、機体をまた安定させる。

 ゆっくり減速すると安定性を失い墜落は必至、ならば高度は自力で下げつつ高速で低空に侵入、最後に機体を立ち上げて増大した空気抵抗で急減速をする方法しかやはり存在しない!

 聖女は二つの操舵輪を回しながら、未だに自らの操作を受け付けてくれている幸運を神に感謝する。

 だが、現実はやはり残酷だった!

 後方から軽い爆発音。そして、操舵輪が一気に重くなる!


「くっ!」


 聖女は油圧が著しく下がったことを感じながら、操舵輪を無理やり筋肉で動かしていく。まだ、完全に油圧は抜けてはいないが、全て抜けるのは時間の問題だろう。

 セシリアは振り返って、聖女が歯を食いしばって操舵輪を回しているのに気が付くと、焦った声をあげる。


「持ちますか!?」

「大丈夫!機長たちは排気孔を開けていってくれてます!まだしばらく前方まで延焼はしません!油圧も別系統がまだ生きています!」


 バラスト水も少なく、油圧も抜けかけ、後方は炎上中!加速度的に安定性に遊びが無くなっているが、この機体は軍用機。まだ何とか制御できる範囲!

 聖女は額から汗を流しながら、みるみるうちに大きくなる城を睨みつける。


「見えてきた!燃料投棄!」

「はい!燃料投棄します!」


 セシリアは弁の操作スイッチを押し、燃料を投下していく。それと共に、重量が軽くなった影響で浮かび上がる方向に飛行船が動くが、聖女はそれをピッチ制御で抑え込みにかかる。

 そして、セシリアは続いてバラスト水が入っているタンクの弁の操作準備をする!


「最終確認します!最後は一気に前方のバラスト水を抜いて、浮力の不均衡を生み出して立ち上がらせるんですね!?」

「そう!」


 聖女はものすごい勢いで減っていく高度計の数字と、位置エネルギーが運動エネルギーに変換されて上がっていく速度を見やる。速度が上がってむしろ機体が安定したのは幸いだったが、破損個所から流入する空気との混合で、未だに滞っている可能性がある純粋水素がいつ爆発するか分からない危険性は増し続けていた。

 そして、城が接近してくる速度も増す中、灰色のシルエットが大きくなり、城のどこにどんな窓があるのかが視認できるほどの近距離へと突っ込んでいく。


「セシリア様!合図を出したらバラスト水と水素を抜いて!」

「できますが、全ては無理ですよ!」

「分かってます!」


 聖女はもはや限界近いピッチを操作する操舵輪に手をかけながら、セシリアへと振り向いた。そしてすぐに窓から城を見て、その尖塔や城壁を越えた先に広がる何もない平原を視認する。


「セシリア様!……今!」

「はい!」


 セシリアは聖女の言葉に素早く反応して、機体前方のバラスト水を全て抜きにかかる。それにより、未だに無事な水素タンクを前方に持つ飛行船は徐々に首を持ち上げていき、逆に火災で水素が抜けている後方は落ち込んでいく。

 聖女は最低限操舵輪を回しながらバランスを取るが、それはすぐに意味をなさなくなる。コクピットが傾き、急減速による激しい慣性で引っ張られる中、聖女は手を伸ばしてセシリアのことを掴むと、彼女の事を強引に引き寄せた。

 そして、傾きがさらに激しくなり、聖女とセシリアは本来は壁だった場所に立ち、天井だった場所に押し付けられ始める。


「っ!」

「もうすぐです!」


 急減速の影響でセシリアが苦しそうに呻き、聖女は錫杖を振り回し、展望室の窓を粉砕し始める!

 ガシャンガシャンとガラスが飛び散り、窓枠すら錫杖で殴ってゆがめたら、その奥に後方、いや、今は下方となった火災地点から炎が立ち昇って来るのが見えた。そして、その炎のさらに奥には、尖塔と、大きなステンドグラスが目立つ建屋。

 謁見の間だ!

 聖女は腕の中のセシリアの事を見て、彼女に大声をかける!


「行きますよ!」

「はい!」


 セシリアは今日何度目かの、聖女の首に手を回す。そして、聖女は重心を後ろにかけて少しでも勢いを付けると、熱い風が吹き込む窓に向かって全力で踏み出した!


「口を閉じていてください!」


 そして、窓枠に足をかけ、飛ぶ!

 目標はダントン辺境伯の居城の尖塔。飛行船が持っていた速度によって直線じみた放物線を描いた二人は吹きすさぶ風で髪を乱し、聖女は空を走る!

 そして、重力によって地面に引かれながらも、目標地点の屋根へと足をかけた!

 だが、聖女はここで終わる女ではない!


「うおぉぉぉぉ!突入!」


 勢いそのままに尖塔の屋根を走り、また、飛ぶ!

 次は、城の中央!謁見の間に輝く、素晴らしきステンドグラスへ!




 一方のダントン辺境伯は燃え墜ち行く飛行船が立ち上がりながら城の塔の間をすり抜けていくのを、謁見の間横のピロティから見上げていた。


「クソが!」


 欄干に拳を打ち付け、歯ぎしりをするダントン辺境伯の視界の端に、黒い点のような人影が映る。それはみるみるうちに大きくなり、尖塔の屋根を蹴って、こちらへと飛んでくる。

 慌ててダントン辺境伯が謁見の間に戻ると、そこは血の海だった。広く豪奢な空間だったそこは、今は贄を捧げるための儀式場と化していたのだ。

 青く美しかった大ステンドグラスも今は鈍く光るばかりで、そこに描かれた女神は不気味に顔が暗くなっていた。

 だが!今ここに!聖女がやって来る!


 バリィィン……!


 ステンドグラスに放射線状にヒビが入り、そのまま粉々に割れ、一気に炎の残光が差し込んでくる!

 白き聖女と共に!

 聖女は儀式場の床に着地し、そのまま滑っていく。すると、不思議なことに血にまみれた床が元の美しい色彩を取り戻していくではないか!

 そして、差し込む月光の中、聖女はセシリアを下ろし、天秤を掲げた!


「そこに直れ!ダントン辺境伯よ!すべては詳らかになっているぞ!」


 だが、ダントン辺境伯も黙っているわけではない!

 彼はすぐさま杖を抜くと、その先端を聖女へと向けた。


「死ねぇい!」


 迸る闇の雷!だが、聖女はしゃがみつつ前へ疾駆し、それを避けるではないか!

 聖女は錫杖を構え、目の前の不届き者へと振りかぶる!


「チィ!」

「遅い!」


 ダントン辺境伯の悪手は逃げず、また杖を振ろうとしたことだ。

 聖女の正着手はダントン辺境伯へと情け容赦なく錫杖振るったことだ!


                「聖誅!」

             ――PUNISHMEN†――

          我らが聖女!黒幕の顔面を打ち据えた!

           だが、ダントン辺境伯は倒れない!


                「聖誅!」

             ――PUNISHMEN†――

           我らが聖女!次は腹を打ち据える!

     だが、ダントン辺境伯は倒れない!杖を振るおうとしているぞ!


               「!!聖誅!!」

             ――PUNISHMEN†――

        おお!我らが聖女!ついに黒幕を粉砕せしめた!


 脳天を殴られたダントン辺境伯が地に伏し、聖女は錫杖を打ち鳴らしながら残心!

 一方のセシリアはすぐに辺りを見回し、この場でどんな儀式が行われていたのかを確認する。ペンタグラムが幾つも床に彫りこまれ、それ以外にも邪龍神を象徴するがある所を見るに、ダントン辺境伯が邪龍神を復活させようとしているという推測は正しかったようだ。


「やはり、邪龍神復活の儀式ですか」

「ぐ……」


 セシリアがそう言って、床に倒れ伏すダントン辺境伯のことを軽蔑した表情で見る。地に伏したダントン辺境伯はその視線に睨み返すものの、聖女が彼の鼻の先に錫杖の石突を突いて、おかしなことをしでかさないように牽制する。


「聞かせてもらいましょう。なぜ、軍のみならず、王太子をも巻き込んでこのようなことをしでかしたのかを」


 聖女がそう問いかければ、ダントン辺境伯は聖女の錫杖を掴もうとする、それを嫌がった聖女が錫杖を引けば、彼は空を掴み、そのまま強く握りこぶしを作る。


「俺は、強い王国を作る!」


 その宣言に、セシリアは眼を剥く。あろうことか、そのような胡乱な言葉を吐くとは!あろうことか、そのような胡乱な理由で自身の名誉は傷つけられたのか!


「何を世迷言を!」

「世迷言だと?」


 セシリアの鋭い声に、ダントン辺境伯は握った拳を床に打ち付け、ギリギリと歯ぎしりしながら立ち上がろうとする。


「あの墜ちた飛行船を見てもそれを言うのか!」


 力が入らず滑る足で必死に床を蹴り、男はようやく四つん這いになりながら、なおも叫ぶ。聖女は錫杖を構え、最大限の警戒をダントン辺境伯へと向ける。


「中央は飛行船を作って喜んでいる!だが、見てみろ!簡単に堕ちたじゃないか!」


 聖女は錫杖の先を立ち上がらんとする男へと向け、油断なく彼のことを睨む。


「あんなものは張りぼてに過ぎない!あれはゲーム・チェンジャーたり得ない!

 人は翼を手に入れた?我々は翼を手に入れてなどいなァい!」

「ゲーム・チェンジャー?」


 男のあまりの気迫にセシリアが後ずさりながら言葉を返す。それに、男はゆらりと立ち上がって、聖女とセシリア、特にセシリアの事を睨みつけて叫ぶ。


「中央の連中は、ブレントフォードのクソ野郎は、『竜騎兵に護衛させて運用する』などとのたまっていたが、そんなものだだの戯言!まやかしだ!

 他国の竜騎兵など当てに出来ん!そも、竜騎兵それ自体が当てにならん!」

「兄弟国を何と心得るか!」


 父のことを馬鹿にされたセシリアが男に負けないくらいの語気で気炎を上げる。

 竜騎兵とは文字通り、空飛ぶ竜を駆る騎兵の事だ。この王国では竜を生育することができず、隣の友好国にレンドリースしてもらっているが、ダントン辺境伯はそれが気に入らないらしかった。

 ダントン辺境伯はなおも、セシリア達中央、つまり王都に住む人間を虚仮にする。


「中央でぬくぬくとパーティに励む貴様らは戦争を一切理解していなァい!だが、王太子殿下は理解していた!だからこそ!中央を目覚めさせるために手を組んだ!」

「それと、邪龍神の復活は繋がらないと思いますが?」


 聖女が錫杖をわずかに鳴らしながら男へと問いかける。男は髪を振り乱し。口の端を裂けさせながら、大口を開き、咆哮した。


「このままでは諸国に舐められるばかり!だから俺は、邪龍神を使役してみせる!邪龍神さえ使役できれば、頼りにならない竜騎兵も、木偶の飛行船も必要なァい!」

「やはり世迷言ではありませんか!」


 セシリアの怒鳴り声に、男は胸が張り裂けんばかりに両手を広げ、口を開く。


「俺にはぁ……!出来る!」


 嫌な予感を感じた聖女は錫杖をすぐさま振るい、狂人へと打ちかかった。


「邪龍神を復活させるのだぁッ!!」


 だが、一瞬遅い!

 闇の波動が、深淵に魅入られた狂人から迸り、聖女の錫杖を押し返す!


「邪龍神!!俺に!!王国に!!力をォ!!」

「くぅぅぅッ!!」


 聖女が歯を食いしばって、何とか錫杖を振り抜きにかかるが、びくともしない。その間にも、狂人は目の端から血を流しながら、怪しげな呪文を唱えていく。


【甦れぇ!甦れぇ!お前は不滅の存在ィ!心臓がなくとも、甦れるはずだぁ!!】


 叫ぶ度に、狂人を中心とした風が吹き荒れ、聖女はそれに吹き飛ばされないように抵抗するのに精一杯になってしまう。そんな中、セシリアは腕で顔を覆いながら一歩また一歩と聖女へと近づき、ついに彼女の背中に手を当て体重を預け、支え始めた!


              「聖っ…誅!」

           【邪龍神よ甦れぇぇぇぇ!!】


 セシリアに支えられた聖女が渾身の力を込めた錫杖で狂人を打ち抜くその直前、悪しき詠唱が終了してしまった!

 狂人から放たれた目に見えるほどのどす黒い魔力が、割れたステンドグラスから飛び出していき、一方の錫杖で打ち抜かれた狂人は糸が切れた操り人形のように後ろへと吹き飛ばされ、倒れゆく。


「……」

「っはぁ……はぁ……」


 聖女は錫杖を振りぬいたまま、魔力が飛んでいった方を見る。セシリアも聖女の背に手を当てたまま、彼女に体半分を預けながら油断せずにゆっくりと息をつく。

 二人が息を整え終えた、その数秒の後――


ゴォォォォオオオオオオ!!

「きゃぁっ!」

「っ!」


 今まで感じたことのないほどの大地の揺れ。

 セシリアは悲鳴を上げながら思わず座り込み、聖女はそんな彼女の腕を引っ張って、揺れる謁見の間のシャンデリアの下から退避する。

 この地方では滅多にない激しい地震は何秒も、いや、何分も続き、城全体がみしみしと音を鳴らし、埃をあちこちから立ち昇らせる。

 聖女はセシリアに覆いかぶさって揺れが収まるのを待ち、やがて収まれば――


「この魔力は!邪龍神!?」


 狂人の物より、遥かに邪悪な魔力の奔流が二人のことを襲ったのだった。

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