第4話
アラームに叩き起こされ、私の意識は夢からベッドの上に引き戻された。
「うぅん……って! 起きなきゃ!」
なんだか懐かしい夢を見た気がする。昨日は早く寝てしまったけれど、今日こそは頑張らなくちゃ。初仕事の日、気を引き締めないと! もう既に割と気に入った自室の中をあちこち駆け回りながら、顔を洗ったりメイクをしたり、とにかく持ってきた荷物を開けつつ、というか部屋を散らかしつつ、準備を進めた。時計の表示は九時だった。うんうん、社会人として、平均的ないい時間帯! 早速仕事に行こう…!
「よし、これで完璧……じゃない!」
私としたことが、まだ着替えをしていなかった。早速、支給された制服に着替えよう。
「……そういえば制服、まだ貰ってなくない? もう、どうしよう!」
姿見に映る私の顔は真っ青。昨日、先輩方から貰うはずだったのかもしれない。初仕事で私服なんて、舐めていると思われるに違いない。とりあえず誰かに助けを求めた方がいいと思った。
「頼れそうな人……姐さん!」
私は顔と髪型だけバッチリ決まったパジャマ姿のまま、急いで姐さんに助けを求めに行った。部屋を出ると、吹き抜けの下の階には、まだ誰もいないようだ。とりあえずこの格好を見られたくなかったので、私は急いで姐さんの部屋の前まで忍び足で向かい、呼び鈴を押してしばらく待つと、まだ眠そうな、というより寝起きの姐さんが出てきた。下着姿だ……。
「う〜ん。おはよ。こんな早い時間からやる気あんね……フルメイクと……パジャマで」
姐さんは眼鏡をかけながら、私を上から下へと寝ぼけ眼で見た。姐さんはなぜ、今起きたふうなのだろうか。この時間は地球ではもう、古来からこの時間帯は交通網が恐ろしいほど混雑するというのに! というか宇宙規模でも、この時間帯はすでに、始業時間なはずだ。
「そうです! そのことで相談があって!」
「地球人は一人でパジャマを脱いではいけない風習でもあるの? まぁいいや、脱がせてあげる」
姐さんの発想は、冷静に見えて突飛。
「はぁ!? 違いますよ」
「違うの? ま、いいわ。入って」
姐さんは何故だか残念そうにさえしていた。そんなわけないだろ……。姐さんに促されるまま、彼女の部屋へと入った。姐さんの部屋は、つくりこそ私の部屋と変わらなかったが、大きな本棚には分厚い学術書が並んでいたり、不思議ないい香りの霧を出すディフューザーがあったりと、とても上品んで素敵な雰囲気。ここまで丁寧に暮らしていそうなのに、下着姿で寝ているのかが理解できない。
「で、どうしたの? まだみんな起きてなかったから混乱したの? ウチの部署はボスの取り決めで、十一時始業よ、よほどのことがない限りはね」
我が社の始業は、一律九時半からではなかっただろうか……。社則を全部覚えたのが早速無駄になりそうだと思った。ここの部署の人はみんないい人そうなのに、それでも仕事をここまで嫌がるのには、何か理由があるのだろうか。
「そういえば始業時間のことも初耳です! 先輩たちが昨日あんまりにも仕事の話を忌避しまくったから、私まだ先輩たちの名前と、お風呂がすごいこと以外全然ここのこと分かってないんですよ。どんな仕事するのかも謎! 仕事しようにもできないですよ!」
姐さんはあたかも何か非常に意義深いことを言っているかのような表情になった。
「仕事仕事って……それだけが人生じゃないのよ。ステラ」
「そんないいこと言ったみたいな! この広い宇宙の安全と秩序を守るのが、私たちの仕事なんですよ。とにかく、もっと責任感を持たないと!」
「責任感ねぇ……持てるもんなら持ってみたいわ」
姐さんは下着姿のまま、手のひらをむすんでひらいている……。
「手に持つんじゃなくて、概念的な話です」
「まぁなんでもいいけど。そんであんた、アタシの部屋来た目的見失ってない?」
その通りだ。私は制服について聞きにきたのだ。
「忘れてました! 私の制服って、どこかにありますか? 昨日は入社式ということで、スーツ着てきたんですけど、見当たらなくて」
「あー制服? 一応初日に渡す決まりなんだけど、そういやあんたらの分、まだ届いてないわね……。ま、後でボスに確認しとくわ。発注は確かにあたしがしといたんだけどね」
「え!? あの制服、着るの結構楽しみにしてたのに……。っていうか今日の仕事はどうすればいいですか?」
姐さんはタンスをゴソゴソと漁り始めた。やっと服を着るつもりになったらしい。それにしても、あの制服が着られないのは割とショックだった。私が入社したゼノ・エクセルキトゥス社の制服は、ゼノ社に買収された地球発のブランドがデザインしたもの。その制服を着たいがために入社を志願する人が後を絶たないような、みんなの憧れの象徴だ。落ち込む私をよそに、姐さんはタンスの中から大胆なデザインの服を引っ張り出している。
「まあ、制服なんてかったるいし、いいんじゃない? アタシらも普段私服だし」
「そういえば昨日制服着てないなとは思ってたんですよ! 私服で働くなんてアリなんですか?社則違反ですよ——っていうかそ、そんな、面積少ない服で仕事するんですか!?」
「も〜。いきなりうるさくなるんだから。まあアタシらの場合社則違反かはグレーだし! 社内と、それから出張する時とかは制服を着なきゃいけないってルールだけど、うちの部署、家と仕事場同じ建物じゃん?」
姐さんはストッキングを穿き始めた。
「あ、そうそう。地球出身のステラなら馴染み深いでしょ? ザイタクキンム、だっけ? って考えたらいいのよ。あれだと着替えなくていいんじゃなかった」
在宅勤務って、有名な文化だったんだ……。
「確かに大昔にウイルスが流行った時から、地球では家で仕事したり授業受けたりするのは割とポピュラーになりましたけど、在宅勤務とか遠隔授業でも、きちんと着替える人が多いですよ!」
「えぇ、そうなの? なんか思ってたのと違うわ。ま、とにかく制服なんて仕事でこの事務所出る時くらいにしか着ないよ」
「———そんでもって、仕事で宇宙に出ることなんてまず無いし……ね」
姐さんがもう片方のストッキングを上げながら呟いたが、うまく聞き取れなかった。私はとりあえず姐さんにお礼を言って、自分の部屋に戻り、仕方なく私服に着替えた。
「制服、着たかったなぁ……っていうかほんと、この部署どうなってんの? 覚えた社則が全く役に立たない!」
一人で嘆いた。同時に胸の奥から口へと、溢れるように笑いが込み上げてきた。
「……ふふっ。こんな滅茶苦茶な社会人スタート、笑えてきちゃうね」
まだあの時のまま、切り取られた私と、親友の笑顔の瞬間。写真の中の私たちと目があった気がして、思わず話しかけてしまう。まだ荷解きは全くと言っていいほどしていないけれど、昨日の夜、眠くても私はこの写真だけはと、荷物から引っ張り出して、机の上に飾ったのだった。
「みんな割といい人そう……ゼンはみんなのうちに入ってない——だけど、とにかく、社則とか全然守ってないし、予算で露天風呂とか温室とか作っちゃって。変だよね」
エアリがいるかのように話してしまう。あの不快な水タバコの匂いと、涼やかな声が懐かしくて、私は話しすぎてしまう。私は途中で首を振って、現実に意識を戻した。
「ああもう、ダメダメ! しっかりしないと。変な部署でも、私はゼノ・グループの一員なんだもの!」
そう、もう私は宇宙をまたにかける大企業の一員。どんな状況でも、仕事は遂行してやる!
「なんてったてこの私は、天才なんだから!」
一人部屋の中で自分を鼓舞してみた。昨日から、配属先の規模やら、アク——じゃなくて個性——が強い部署の人たちやら、思い描いていた社会人生活とはかけ離れていたけれど、私の気持ちはまだ前向きだった。私はかなり適応能力が高いのかもしれない。そんな自惚れは姿見の中に閉じ込めておこう。油断は禁物だ。そんなことを考えていたら、お腹が鳴った。
「———そういえば、お腹すいた。下にある冷蔵庫、勝手に開けちゃっていいのかな」
私は食欲に負けられず、冷蔵庫を漁るべく自室を飛び出した。
誰かが料理をしているのか、吹き抜けの下から、とてもいい香りが漂ってくる。この何かの焼ける音。気持ちが昂らずにはいられない。
「朝ごはん!」
私が思わずそう叫ぶと、下からグレイ先輩が顔を出した。
「おはよう! 今日は僕が担当なんだ。もうできるから、座って」
「今行きます!」
子供のような足取りで階段を駆け降りると、みんないつの間に起きていたのか、食卓についていた。……そして、本当に誰も制服を着ていなかった……。
食卓には、サンドイッチが並んでいた。地球の朝ごはんの光景を思い出して、懐かしい気持ちにさえなる。グレイ先輩は地球人の私に馴染み深い料理を作ってくれたらしい。
「せっかくだし、今日は地球の朝食をと思って調べたら、レシピが出てきたからサンドイッチを作ってみたんだ。いやぁ、地球発祥の料理だとは知らなかったよ。僕も小さい頃から食べてきたからね」
パンは宇宙でも人気の食材で、広く大衆の食文化に浸透している。グレイ先輩の星の食文化にも根付いてしまうパンの魔力は、恐ろしさすら感じた。
「ありがとうございます! いただきます」
私はサンドイッチを頬張った。三日前くらいにも食べたのに、なんだか懐かしい味。具材はどこの何かはわからなかったけど、先輩はとても料理上手だと思った。他のみんなも、大口を開けてサンドイッチを食べている。
「地球の飯ってほんと美味いよな! ガグーアのはなんつーか繊細さがねぇんだよ、その辺の獣の肉を焼くだけとかでさ」
「ふっ……」
私が思わず吹き出すと、ゼンがこちらをじろっと見つめてきた。
「なんだよ!」
「意外と味にうるさいんだと思って。あんたの口から繊細だなんて言葉が出たとこも笑えるけど」
「味にうるさくなったのはお前のせいだろ! 忘れたのかよ……中学の時の、調理実習……」
ゼンはそう言いながら、何故か次第に照れたように声を細くさせた。
「え、中学の時? 何かあったっけ?」
全く、こいつに影響を与えた当たりがない。
「あれだよ! お前、俺と同じ班でさ、俺が適当に味付けしようとして、言ったじゃんか」
「全然覚えてない。まあ、あんたが適当な味付けするのは想像つくんだけど」
こいつは、多い方がいい! とか言って、塩の加減を大幅に間違えそう。経験則が、そう語っている。
「本当に覚えてないのか? “適当な味付けなんて、食材に失礼だ!”って……言ってただろ?」
思わず笑いだしてしまった。
「あははっ! 何それ。そんなこと言った? めっちゃ当たり前なこと言ってるし、いちいち覚えるようなことじゃないじゃん」
「なっ……嘘だろ? 覚えてねぇのかよ。俺は、忘れてねぇのに……」
「え、なんかごめんね⁉︎」
ゼンが何故か肩を落としてそう言うものだから、私の方も咄嗟に謝ってしまった。博士がサンドイッチを齧りながら、わかったような顔をして、
「おお、青いのう……」
と呟いている。ボスは黙って、私たちのやりとりを噛み締めるように頷いていた。一体今の会話のどこに、感銘を受ける箇所が合ったのだろうか。見当もつかない。
「っていうかアンタら、中学からの付き合いなわけ?」
姐さんがマグカップを撫でながら、乗り出して私たちの方を向く。何故だか嬉しそうな顔をしているけれど、その真意は分からなかった。
「最悪なことに! まさか高校も大学も被るなんて!」
ゼンを指差して、私は歯軋りした。
「こっちのセリフだ! いく先々に現れやがって」
ゼンがそう言った瞬間、博士が、座ったまま杖を振り下ろして、食卓を走り回っていたマーフィー君を突然殴った。ガンと金属が唸る音が響く。
「なんで!? っていうか、いいんですか? 機械といえど我が子みたいなもんでしょ!?」
「手が滑っちゃったのう。まあ平気ぢゃ。マーフィーは生半可な戦闘機の攻撃じゃ壊せんし」
「無駄に頑丈……というか、そういう問題じゃないでしょ!」
地球的な価値観からすれば、顔がついているものを殴るのは……なんとも気分が悪い。というか宇宙一般の道徳規範でも、そうなるものではないのだろうか。しかしマーフィー君は本当に平気そうで、塗装された笑顔をこちらに向けて、手を振っている。
『ボク、平気! 痛覚とか、ナイ!』
「やめて! それが一番痛々しい!」
私が因縁の相手、マーフィー君に同情してやったと言うのに、先輩たちはそれを気にしていないようだ。更に不可解なことに、私とゼンとを交互に見つめて、ニヤニヤしている気がする。
「なるほどね〜」
姐さんが含み笑いをこちらに向ける。昨日から何度かこういう雰囲気になっている気がするけれど、全く私はその実態が掴めずにいた。奇妙なことに、またゼンは顔を赤くしている。
「そういえばステラ。昨日はよく眠れたかな?」
ボスが水槽の中から、渋い声で私に尋ねてきた。まるで変な雰囲気を誤魔化すかのように。……そういえばボスって、どうやってご飯を食べているのだろうか。ボスはサンドイッチを機械の手で持ってはいるが、一向に食べる素振りを見せない。まあいい。
「おはようございます。とてもよく眠れました! 今日はマイクの調子いいんですね」
「それならよかった。さっきジゼに制服のことを聞いたよ。発注はしたんだが、まだ届いていないんだ。あとで本部に問い合わせておくよ。すまなかったね。まあご覧の通り、みんな適当な格好をしているし、ステラも自由で構わないよ。僕なんか、ある意味全裸だからね! あっはっは!」
「ハハハ…」
ボスは水槽のスピーカー越しにいい声で笑っていたが、私の方は乾いた苦笑いしかできなかった。上司の自虐ネタほど困るものはない。知り合って丸一日も経っていないのに、攻めたギャグを言うんじゃない。そんなことを思っていると、マーフィー君が騒ぎ始めた。しまった。愛想笑いにも反応するのか、この野郎……。
『ステラ、ウソはダメ!』
マーフィー君の右手が私の左頬を狙い、左手が私の右頬を狙ってしなる。私はすんでのところで、
「違うの! これは嘘じゃなくて、処世術だから!」
イチかバチかの言い訳をした。マーフィー君はピタッと止まって
『ソレなら、仕方ないね!』
とだけ言って、私への攻撃態勢を解除してくれた。ごめんなさい、ボス。でも、昨日経験して分かったけれど、割と痛かったから。
「まあ、上司の自虐とか、新入社員からしたらテロぢゃな」
「そ、そんなぁ……」
博士の批評を受け、ボスは浮かぶのをやめて、水槽の底にしなしなと降りてしまった。
「そ、そんなに落ち込まないでください」
落ち込むボスの姿は、哀愁を纏ったキモカワ生物として私の目に写り、謎の庇護欲を掻き立てられる。ついつい、ボスに気を遣って励ましの言葉をかけてしまった。ボスは水槽の隅でしくしくしている……。かわいい。
「ボスが滑ったところで、もうそろ始業した方がいいんじゃな〜い?」
姐さんはボスを冷酷に斬り捨てながら、時計を見て言った。遂に、初めて仕事をするんだ、私。
「そ、そうだね……じゃあみんな、食器を片付けたら、オフィスに行こうか」
ボスのスピーカーが、絶妙なタイミングでまたおかしくなって、渋いダンディな声から、間抜けな声へと変わりながら、ボスは私たちに促した。ボスには、その残念な声の方が似合っていると思う。私たちはこうして朝食を終え、上のオフィスへと向かったのだった。
ボスは奥の黒い机に、私たちは手前の、名札のある席へ向かい合わせにそれぞれ座った。机にはまだ数人分空きの席がある。人事はどうなっているのかは、気まずくて聞けない……。
「えーと、じゃあ新入りもいることだし、今一度、我々の理念を確認してみようか」
ボスが改まったように、スピーカー越しに言った。失礼だけれど、神妙な雰囲気と、声がミスマッチ過ぎて笑ってしまいそうだった。ゼンと博士と姐さんは、普通に笑っている……。ボスは水槽の中で顔を赤くしながら、私たちに会社の理念を説き始めた。
「星間共同体、ゼノ連盟——その公営企業、あらゆる宇宙の産業を担うゼノ・ユニヴァース社の傘下、我々ゼノ・エクセルキトゥス社の使命は、ゼノ連盟に加盟する全ての星、国、地域の人々の生命、安全、財産を保護・保存・監督し、守り、治安を維持していくことだ。外交からご近所トラブルの解決まで、様々な問題を取り扱っている———」
そう。ゼノ連盟とは星々や国が加盟している宇宙をまたにかけた大連盟のこと。他にも連盟は存在しているけれど、ゼノ連盟は中でも最大級。私の故郷である地球や、先輩方やゼンの故郷の星も、ゼノ連盟に加盟している。ボスの話は続く。
「ゼノ連盟の軍部でもあり、法的な権利さえも有する、宇宙の平和維持の要の組織。それが我が社なのだ。我々はその自覚を持って仕事に取り組まなければならない。ステラとゼンも、その辺はわかっているね?」
先ほどからボスの声を馬鹿にしてばかりいた私とゼンだけれど、流石に背筋が張った。ボスのスピーカーの調子が、丁度私たちへの問いかけから良くなって、心なしか真剣な雰囲気を纏った。胸の奥にまで響くような低い声が、張り詰めた空間に伝わってくる。ボスはこの変な部署を纏めるだけあって、小さな体からは想像もつかない程の凄みを感じることがある。
「は、はい!」
「もちろん!」
“新入り”の私たちは、かしこまった返事をした。ボスは納得したように、目を閉じて頷くように、水中で体を上下させている。
「———そう、我々の仕事はとても尊いものだ。今日は君たちの記念すべき初仕事! めでたい! 実にめでたい!」
……ボスのスピーカーの調子がまた悪くなってきた。心なしか、嫌な予感がする。だって、この部署は変だから……。そういえばさっき、朝ご飯の後、みんなでエレベーターに乗る際、博士は何故マーフィー君をエレベーターから追い出したんだろう……。
「さあ、今から業務内容を発表しちゃうぞ〜! ダラララララ…」
「……あの、さっさと教えてください」
思わず、口走った。ボスは丸い目を更に丸くしている。勿体ぶるのは、怪しい。私は怪訝な視線をボスに向ける。
「わ、わかったよ……今日の責任重大な業務内容は——」
疑念があっても、少しは期待してしまうのが人のさがある。私はボスが勿体ぶるこの一瞬で、様々な妄想をした。少数精鋭部隊として、極秘任務につくとか、宇宙を飛び回って犯罪者を追いかけるとか……。テレビドラマで描かれるような、花形の軍部の仕事をしてみたいと、私服姿のまま、そんな夢を繰り広げた。ボスの言葉は続く。
「———お悩み相談メールの、整理だ」
嫌な予感が、的中した。
「あ、あの。お悩み相談って、どういう……作業なんすか」
文字通りに決まってるでしょ! と叫びたかったが、文字通りじゃなければどれほど良いことか。そう考えてしまって、ゼンに言い出せなかった。
「届いているメールを開封して、一件一件ジャンルごとに分けて、他の部署にまとめて転送するんだよ。とっても簡単だろう?」
「あぁ……凄い、まごう事なきメールの、整理……」
私とゼンは二人してショックを隠しきれなかった。オフィスは報告書をまとめるためにあるのだと思っていた。憧れの軍部で、まさかのデスク・ワーク……。
「あ、あの。特務部って……」
私は昨日から漠然と感じていた不安が、確実な憂いへと変わっていく感覚を味わった。ボスはなんだか申し訳なさそうに、もじもじと間抜けに答えた。
「我々特務部第三課は……その、えっと、良く言えばなんでも係、悪く言うのなら……」
ボスが躊躇っているというのに、博士は容赦無く横槍を入れてきた。
「雑用ぢゃ! ヒャッヒャッヒャ!」
「オォォォォ……」
ゼンが文字どおり真っ白になっている。今風が吹いたら、そのまま灰として消え去ってしまいそうだ。部署の規模の小ささといい、何を管轄しているのかよく分からない名前といい、全ての不可解さが繋がった気がした。博士がここに左遷されたのは、完全に懲罰が意図なのだと確信した。
「で、でも! 今日がたまたまメールの整理ってだけで、宇宙に出る任務もあったりするんですよね!?」
縋るように、向かい側に立っている姐さんに空元気をぶつけた。
「ステラ、トドメを刺すようで悪いけれど……二ヶ月前に小惑星帯で迷子になったペットを捜索したのが最後よ。あとはずーっと、デスクワーク」
「イヤァァァ!」
思い描いていたものとのギャップで、頭がショートしてしまう。宇宙を飛び回る冒険を夢見ていた。でも、それと現実は大きくそれと乖離している。厳しい軍部の訓練だって積んだのに、やることがメールの整理だなんて! 私は半泣きになった。ゼンの口からは魂が抜けている気がする。こいつも私と同じなのだろう。ゼンの場合精鋭部隊の訓練を受けているはずだから、なおさらショックが大きいに違いない。そして、宇宙を駆け巡る冒険がしたかったに、違いない……。
私たちが立ち尽くしているのをよそに、姐さんとグレイ先輩は、当然のようにコンピューターを立ち上げ、仕事を始めている。博士は急にオフィスの隅に置いてあった機械に歩み寄ったかと思うと、その機械のボタンを押して、オフィスを立ち去ってしまった。何も言わずにエレベーターに乗り込む博士を、私とゼンは愕然とした表情で眺めていることしか出来ない。博士の作動させた機械は、ゴトゴトと音を立てながら変形していく。その機械の正体は、ロボットだった。ロボットは博士の席に着くと、カタカタとコンピューターを操作し始めた。
「ソレ、全員分作れば良くない!? ずっとこれがやってれば良くない!?」
私は博士の抜け駆けが許せなかった。私の抗議に、真っ先に反論したのは他の誰でもない。ロボットだった。コンピューターを高速で操作しながら、私の方へ機械的に語りかけてくる。
『ダマレ。労働基準法ニ、抵触スル。労働ロボットにも敬意を払エ。愚かな地球人メ』
あの博士が開発しただけある。信じられないくらい生意気だ。
「このロボット、マーフィーくんよりも可愛げがないんだけど!」
『このロボットでは無イ。ワタシにも名前は有ル』
「そ、そうなの? あんた、名前は?」
『ジュディス』
長ったらしいシリアルナンバーを言うだけであろうと思っていたが、違った。
「そう来たか……女の子、なのかな……」
『今時、ブシツケなことを言うナ。地球のコトバで表すナラ、ヲマエノ価値観ハ、極メテガラパゴス的ダナ』
「なんでそんな古い言い回しまで知ってんのよ!」
『ヲイ、何ヲサボってイル。しのごの言っテナイデ、仕事シロ、仕事』
ジュディスが私を指さす。でも、彼女(?)の言うことも尤もだ。
仕方なく自分の席に着いた。自名札を見て、私はある大事なことを忘れていたのに気づいた。———そうだ、私は天才、期待の新入社員なんだ。ムカつくけれど、ジュディスなんかに負けてられない。ここは感謝しておいてやろう。
「ジュディス、ありがとう! 私、頑張る」
『イキナリ、キモいヤツダ』
やってやるわ! どんな業務だって完璧にこなしてみせる。私は意気揚々とコンピューターを立ち上げた。大量のメールがボックスに溜まっている。早速、一件目のメールを開封した。
“どうも。お尻がすっごい痒いです。助けてください”
添付ファイル:一件の画像
「もう、嫌あああああああああああああああ」
宇宙に轟く私の叫び……。
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