第3話
エレベーターの扉が開いた。ボス達は私達を待っていたようだ。マーフィーくんだけは奥で、皿洗いをしている。嘘発見以外にも能があったのか。
「大体案内は終わったみたいだな」
グレイ先輩が大きな目の中に、私たちの姿を映し出す。前髪が気になる時は、いい鏡になってくれそうと思った。
「二人とも割とはしゃいでくれたから良かったよ〜。後は温室だけかな」
部屋の奥の方の透明なドアの方を見て、姐さんは言った。そういえば着陸する前に、透明なドームが小惑星の上にあったのを思い出した。
「あれ、温室だったんだ! 見にいきたいです」
まだ見た事のない宇宙植物などもあるのだろうか。この部署の人たちはみんな珍しい星系の人たちだし、期待できそうだ。私は輝く目を姐さんに向けた。
「もちろん、第三課ツアー、いよいよ最後の場所ね——ゼン、一応言っとくけど、食べ物じゃないからね」
ゼンならどんな植物だろうと齧り付きかねないし、姐さんの忠告はきっと無駄ではない。
「俺だって流石にそこまでバカじゃねぇよ!」
ゼンは笑う皆を、大きな体で牽制している。説得力がない。
「よく言うよ。高校の修学旅行の時、あんたメメタ星の建築物を何個か食べて、国際問題になりかけたのに」
ゼンは修学旅行の最中に、メメタ星人の住む街を破壊したことがあるのだ。私たちの手のひらほどの小さな体を持つ彼らの家……を喰らうゼン。彼らの悲鳴は鮮明に覚えている。
「アレはあそこの物質がみんな甘くてうまいのが悪いんだよ! みんなお菓子みたいに見えてさ……」
ゼンは消し去りたい過去を思い出して、恥ずかしそうにしている。良い気味。
「嘘でしょ……ま、まあ、冗談で言ったんだけど、とりあえず温室では気をつけて」
「アッファッファッファッファ! 小僧、何人か食ったのか?」
「い、いや流石に犠牲者はゼロだぞ!」
流石の姐さんも若干引いていたが、博士の方は大笑いだった。この人、どこかに収容したほうがいいと思う。
「ま、怪我人がいなくてほんと良かったけど、もう社会人なんだから、星が違えば、全てが違うのをちゃんと肝に銘じておきなよ」
「お、おう……わかってるよ」
ゼンに釘を刺しておいた。幼稚園の時の先生の言葉だけれど、私はこれを座右の銘にしている。地球みたいに、星の中ですら環境や文化圏が混在しているところだってあるのに、宇宙に視野を広げたら、尚更どころの話ではない。ボスは機械の指を鳴らした。
「仕事熱心で結構。ステラ、今さっき社会人と言ったね? 休日に仕事のことを想起させる言葉を発した罰として、明日から一週間マーフィーくんと皿洗いしなさい」
「はぁ!?」
ボスがじっとりした視線を送ってきた。何言ってるんだ。と言うか、軍部の仕事って、相当仕事に覚悟とかないと就こうと思わないはずだけど……。特務部なんて聞いたこともないし、もう一体どうなっているのだ。
「っていうか! 皿洗いは後でいいんですよ。温室に連れてってください!」
「ああ、忘れてたわ」
私とゼンと姐さんは、ラウンジを突っ切って、この社屋の玄関口と反対の方へと向かった。
「入るよ」
透明な扉の向こうには、地球のに似たものから、見たこともないような植物まで様々なものがあった。中はかなり広くて、上の階と下の階もあるらしく、階段が上下に伸びている。先ほどのお風呂といい、部屋といい、仕事をしたくなくなるような部分にばかり注力しているような気がする。会社側もこんな施設、認可しているのだろうか……。宇宙の物質が織りなす無機質な世界も美しいが、やはり自然はいいと思った。星々の景色が透明なドーム越しに見えて、良いコントラストって感じ。
「綺麗! 癒されます」
「すげぇ!」
「良いでしょ〜。なんかボスがこういうのに憧れてたみたいで、予算を叩いて作ったらしいわ。野菜とかフルーツもちょっと栽培してたりしてんの……ゼン、つまみ食いしたらボスがキレるからダメよ。ちゃんといつか食卓に並ぶわ」
「うぉ⁉︎」
早速果実に手を伸ばす愚かなゼンを、姐さんがすんでのところで止めた。
「水の音もしますね! なんか地球の山を思い出しました」
「そうそう。水棲植物も育ててるのよ。地下から水中の景色とかも見れるわ。ボスこだわりの場所なのよ、とにかく」
じゃあボスは植物園とかに就職すれば良かったのでは……。私はそう思ったが、心の奥に留めておいた。芝生に寝転ぶと、ドームの上には瞬く幾万の星々と、茂る極彩色。
「はぁ……綺麗。寝転んで一日潰せそうですね。なんだか眠くなってきちゃった……」
いけない、寝てはならない。まだ勤務時間なはずだから……。ずっと宇宙を飛ばしてきたし、運転中はすごく緊張していて心も疲れていた。私を優しく包んでくれる、生きた揺籠。ああ、寝たい。ゼンも立ちながらうつらうつら首を上下させている。姐さんがそんな私たちを見て、思い出したように言いだした。
「そういえばステラはここまでずっと運転してきたんだよね。時差ボケしちゃったんじゃない?ゼンはほんの三時間ちょっと前に起きたばっかなのに、なんで眠そうなのかわかんないけど」
水が流れる音を遮って、姐さんが急に名前を呼んだので、慌てて返事をした。
「ふぁあい⁉︎ すみません、眠いです……初出勤なのに——っていうか、まだ標準時刻だと十七時ですから」
「無理しないでいいのよ〜。そもそもこんな時間、アテになんないし」
「いやいや、社会人ですよ! 私、新……卒……」
時差ボケは、惑星間の移動が活発になった当初から、ずっと解決できない問題だった。宇宙標準時刻を無理矢理制定することで、私たちはなんとか一日の感覚を失わないで生きているのだ。宇宙標準時刻が定める一日は、きっかり地球の尺度だと二九時間。時間の感覚が種族ごとに全然違うこともあって、こういう規範めいた常識、概念は広い宇宙に一定の秩序を与えることに大きく貢献している。最も、真っ暗な宇宙ではあてにならないと言われればそれまでだ。私は地球の時刻で朝の九時、家族と故郷の人に別れを告げて、宇宙に飛び立った。それから何時間運転したか……。姐さんは、あくびを繰り返して今にも溶けそうな私を見て笑う。
「アハハ、仕方ないよ。どうせ今日は歓迎会だけの予定だったんだし、今日はもう寝ちゃいな。ゼンは後片付けしなさい」
「えぇ⁉︎ くそぉ、仕方ねぇなあ。おいステラ、大丈夫か? 運んでやろうか?」
ゼンが大きな体をかがめて、私の顔を覗き込んだ。近い。
「ふざけてんの? 一人で歩く!」
この時だけ、妙に私の意識がハッキリした。きっと私の脳が、拒否の信号を全力で送ったのだ。ゼンに運ばれたら、お嫁に行けない! 私はフラフラと立ち上がると千鳥足で、ラウンジまで戻り、ボス達に挨拶をしてから自室へと向かおうとした。
二階に登ると、ボスが下から間抜けな声で、
「そういえば、ステラの車にあった荷物、お節介かもしれなかったが、君らが見学に行っている間に、我々——というか、博士の発明品——が、ステラの部屋に運び込んでおいたよ。あ!中身は見ていない! 断じてセクハラではない!」
と伝えてくれた。
「えぇ〜? ありがとぉございます……おやすみなさぁい」
階段の上から、私もボスとは別の方向に間抜けな声で、今できる精一杯の挨拶をして、部屋に入った。
暗い部屋の奥には、当たり前のように星々が浮かんでいる。本当なら、荷解きも今日済ませる予定だったけど……。
「——ま、いっか、明日で……一応シャワー浴びなきゃ」
とりあえずシャワーだけは浴びて、寝よう。私はバスタオルと着替えの入った箱を雑に開けて、適当に衣類を取り出し、シャワーを浴びた。眠い時の入浴ほど、面倒で気持ちの良いものはない。明日は部屋のシャワーじゃなくて、上の露天風呂に入ってみたい。短い入浴を終えて、私はベッドに倒れ込んだ。柔らかい。家のベッドとは違う匂い、違う柔らかさ。寂しさは感じても、嫌ではなかった。私は目を閉じた。
———あぁ、遂にここまで来たんだ。
ぼんやりと安堵したような私の声が、頭の中に響いた。彗星が通り過ぎる音と、滑らかにどこかの恒星が爆発する音。
夢を見た。夢というより、私の過去をそのまま映写しているだけ。出来の悪い記録映画。私は私の記憶を、シアター越しに眺めている。懐かしい記憶。高校の制服の色は心なしか褪せて見えた。春、まだ進学したての私が映し出された。視点は変わらないのに、意識だけは映像の中の私に吸い寄せられていく。懐かしい。私の頭が、忘れられずに反芻しているこの感覚。どうせ起きた時には全て無くなっているけれど。今は確かにここにある。
放課後、地球の夕焼けは綺麗だった。桜の花はまだ散っていない。私たちの通っていた高校は凄く高い場所にあったので、地球を一望して見下ろす気分になれた。この時間帯になると、上を向けば宇宙船や宇宙車の影やライトが見え隠れする。まだまだ友達とも打ち解けられていなかったこの頃の私は、放課後ここにやってきては地球と宇宙の間から、見上げたり見下ろしたりを繰り返していた。
この日も私は、いつものように秘密の場所へやってきた。ため息が出るほど、この時間は美しい。しばらく目を閉じてうっとりとしていると、よくわからないが好きではない、悪い匂いが、私の鼻を刺した。我に返って目を開けると、煙が私の顔の前に漂っている。煙は私の左側から伸びていて、その方を向くと、私と同じクラスで、皆から疎まれている問題児の女子生徒がいた。彼女の名前はエアリ=ギンヌンガガプ。
彼女は普段も教室の隅で静かにしているか、あるいはサボっているだけだったので、私は直接彼女が何かをしたところを見たわけではないし、問題児と言われる所以は目にはしていなかった。でも、とても荒れている別の高校の、男の三年生相手にカツアゲをしたとか、毎週一人は子供を半殺しにするだとか、とにかく恐ろしい噂が絶えなかったのもあって、私も彼女と関わることは避けていた。その身に纏う黒いジャケットは実は白で、返り血でどす黒くなっているのだという。
———やっば!目あっちゃった!
私は不器用なので、その場から逃げ出すことは出来なかった。ただ黙って、苦笑いともなんともいえない表情を、彼女の方に向けていると、向こうは私を気にもしていない様子で、また前に向き直って、タバコをまた吸う。なるほど、変な匂いの煙はあれか。違法だし校則違反だが、真面目な学級委員長の私でも、流石に彼女相手に注意は無理。クラスでふざけている奴らに、
「ちょっと! 真面目に掃除して!」
と言ってみせるくらいが限界だ。とにかく、私は絶体絶命だった。それと同時に、目の前の光景——というか、エアリの——美しさに、私は心を奪われてさえもいた。エアリは美人だ。青と銀の金属を溶かして混ぜたような、不思議な髪の色。紺色の瞳はガラス細工みたいに、夕焼けを吸い込んで冷たく光り輝いていて、タバコを吸って気持ち良くなっていたのか、彼女の口角は心なしか上っている。それなのにどこか、寂しそうに見えた。だって彼女が吹く水タバコの煙が、どこか行き場を見失っているようで、ゆらゆらと儚く虚空に消えていくものだから。消えたのはタバコの煙か、彼女の魂のどちらなのだろう。私は気づけば、じっとエアリを見つめていた。多分、割と長いこと見ていたと思う。彼女はまたこちらを向いた。まずい、今度こそやばいかも。緩んだ口角はそのままに、エアリはゆっくりと口を開く。
「何か用?」
クラスで全員がした自己紹介をしたぶりに、彼女の声を聞いた。改めて聞いてみると、耳を疑うほどに澄んだ、鈴のような声をしている。どう答えるのが正解なのだろう、こういう時、私の頭はいつも以上に働かなくなる。
「え!? な、何も!」
「僕のクラスだよね。委員長の、ステラ・ハシグチさん」
彼女が私の名前を覚えているとは思わなかった。先程まで見惚れていた存在に認知されているのは少し、嬉しかった。
「はい!? そ、そうです。でもまさか、私の名前知ってるなんて」
「僕の名前は……ま、有名だから今更聞く必要ないよね。こんなところで何してんの?」
もしかしたら彼女は、自分の噂について気づいているのかもしれない。彼女はなぜ、私に質問をするのだろう。
「えーと……ここの眺めが綺麗だったから、見てたんです」
「へー。ここ、綺麗なんだ」
彼女の言っている意味が、私には分からなかった。夕焼けを綺麗に感じるのは、地球人独特の感性なのだろうか? と、なるとエアリは異星人なのかもしれない。
「僕はまあ、見りゃわかると思うけど、やってたんだ。君もよかったら、どう? Sol-988だよ」
エアリは私にシーシャの吸口を差し出して、悪戯っぽく笑った。全然笑えない。
「Sol-988!? タバコ吸うだけでもダメなのに、小学生でも習うくらい、危険な違法薬物じゃない! どこで手に入れてるのか知らないけど、冗談じゃないよ」
彼女が吸っていたのは危険な違法薬物の中でも、致死性の高いもので、私は青ざめた。冗談かもしれないけど、やっぱり、彼女は危険だ。私が立ち上がって逃げ出そうとしたその時だった。
「敬語、やめてくれたね。ねぇ、委員長だからやっぱり、僕のこと通報したり、学校に言ったりするの?」
エアリは笑っていた。さっきから何を言っているのか、分からない。でも、彼女の中のステラ・ハシグチは少し、実際とは違っているようだった。私は座り直して、遠くの高層ビル群を見つめて座り直す。
「——別に、本当かもわかんないし、誰にも言わないよ。誰かに迷惑かけてるなら許さないけど。タバコとか酒とか、薬とか。自分を傷つけるだけだし。自業自得の範囲内でやる分にはね。もう一回言うけど、自分以外の誰かを傷つけたら、例外だからね! 自分が傷つくことで傷つく他の人のことも考えてないのも、例外!」
エアリは目を丸くしていた。そんな表情もできるんだ。
「思ってたのと、ちょっと違った。正義感が強そうなイメージだったから。成績もいいしさ」
エアリはタバコをまた吸って、呟いた。私も、彼女は噂通りなかなかの曲者ではあったが、それでも噂で聞くような残忍な性格はしていないのは、少しのやり取りの中で十分分かった。
「私は自分自身で責任が取れるっていうんなら勝手にしろって言ってるだけ。大半の人は出来ないんだから結局はダメだよ。正義感がない人みたいに言わないで! っていうか、そっちもその、噂と違う……ね」
勢いでつい、エアリ自身に噂のことを言ってしまった。もしかしたら豹変して殴りかかってくるかもしれない。私は覚悟したが、エアリは笑っていた。
「ああ、その噂、僕が自分で流したんだよ」
「え? そうだったの? でも、なんで……」
「別に」
エアリはまた寂しそうに口角を緩めて、私を置いて、立ち上がって行ってしまった。それから私とエアリは、この場所で何度か会って、その度に話して、仲良くなっていったし、結局徐々にエアリは私以外の人とも打ち解けていった。エアリはドラッグだけは辞めなかったが、寂しげな表情は私の前で以外は、あまり見せなくなっていった。一緒に色々なところへ出かけた。
それから、私とエアリが知り合って三年目。夏の夜。私とエアリは、近所の夏祭りに出かけた。花火の音が何よりも煩くて、それでも、エアリの綺麗な声は、ハッキリと私の耳に響いてくるのだった。
「ねぇ、僕のこと、忘れないでいてくれる?」
突然神妙な面持ちで聞いてくるので、私は困惑した。
「急にどうしたの?」
エアリはまた、あの寂しそうな笑顔を向けてくる。
「なんでもない」
エアリが言うのと同時に、大きな花火の音が響いた。
「そう? まあでも私、エアリのことは一生忘れないよ」
「そっか」
エアリの方に笑いかけると、彼女の方は涙を零していた。宝石のような瞳と、宝石のような涙。泣いていても、エアリは綺麗だった。
「えっ?」
私がどうしたの?と尋ねるのよりも早く、花火で明るかった夜空が急に暗くなって、辺りはどよめいた。どこからか一瞬にして現れた、巨大な戦艦クラスの宇宙船が、頭上を覆って、黒い夜をさらに暗くしていた。その宇宙船は、エアリにライトを当てた。引力光線だ。対象のみを吸い上げる光線。違法パーツとして、取り付けていれば厳しく罰せられる代物だ。この宇宙船はエアリを連れ去ろうとしている。引力光線は、エアリに伸ばした私の手を寄せ付けなかった。エアリが宙に浮き上がる。私はエアリに触れることができない。
「エアリ!」
「ステラ、さよなら」
「行かないで!」
巨大な宇宙船は、エアリを吸い込むとすぐに、夜の空に溶けて消えてしまった。周りの人たちと私は大騒ぎ。結局、宇宙船の正体も、何も掴めないまま、捜査は終わってしまった。エアリはゼノ星系のどこの自治体にも記録がない存在であったことだけが、この捜査の中で判明した。私はあの夜の後、あることを目標に決めてここまで来た。
「絶対にエアリを見つける」
私の野望は、宇宙の片隅の、そのまた片隅の小惑星の上で、煌々と星々に負けずに輝いていた。
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